祖父の命日。

亡くなったのは、午前3時頃だったと
記憶している。



父方の祖父母は、僕が生まれる前に
亡くなっていたので、僕の中の祖父は
一人だけ。



『向日葵』という僕の曲は、祖父に贈った曲



幼い頃、祖父の葬式の日、祖父母の家の側
に咲いていた向日葵。

当時、空き地だったが、今はアパートが建ち、
向日葵はもうないし、祖母も、もう、
この世にいない…………。

曲を作った当時は、まだあったし、
祖母もその家に住んでいたのだけど。



僕が物心ついて、初めて遭遇した
『人の死』だった……………



祖父が亡くなったのは、夏休みの登校日。



前日、祖父が危篤ということで、
祖母、伯母、伯父、僕の父母は、
(一番上の従姉が中学生だったため)
僕を伯母宅に預け、病院に向かったが、
夜になっても状況が変わらなかったため、
祖母と伯父を残し、帰って来て、
登校日当日になった。



僕は何も知らず、学校へ行った。



しかし、知らなかったのは、僕だけだった。

従姉弟は、朝、学校に行く前に
祖父の死を知らされていたらしい。



登校日、学校から家に帰ると、母がいない。

じゃあ、と、徒歩1分の祖父母宅へ。



いつも通り『たっだいま~♪』と元気に
入って行くと、布団に横たわった祖父。

『おじいちゃん、帰って来たんだ~♪』
と思った瞬間、母が近づいてきて、一言。



『おじいちゃん、死んじゃったの』



………あの時の衝撃は、今でも憶えている。



それから、何時間泣いただろう?
母も祖母も、僕につられて泣いていた。



しばらくして、その日にお通夜をするため、
一度、家に帰り、着替えて、従姉弟の家へ。

地方から従兄弟が来て、4人(従姉以外)で
室内で野球をしてたら、伯母に怒られた。



夕方になって、祖父母宅でお通夜。



次の日に告別式。



献花の時。
僕の後ろから、嗚咽が聞こえた。

誰かが泣いてるんだ、と後ろを向いたら、
祖母が号泣していた。

見てはいけないものを見たような気がして、
すぐに目をそらした。

祖母の涙を見たのは、最初で最後だった。



当時、泣き虫だった僕は、
その時、祖父に誓った。



『もう泣かない』



結局、次にお葬式に行くまで、
人前では、本当に泣かなかった。

今は、変わらず、泣き虫だけどね(苦笑)



『向日葵』を作るきっかけになったのは、
初LIVEが、送り火の日だったから。

祖母に頼んで、送り火をしないで、
祖父を連れて、LIVEに来て欲しいと頼んだ。

『向日葵』初披露だった。



祖父が死んでから、死は身近なものになった

だから、あれから、いつ死んでもいいように
生きてきたつもりだ。



僕は、ちゃんと生きているのかな?
ちゃんとカルマを達成しているのかな?

僕が生きている意味はないのは知ってる。
生き続ける理由は、何だろう??



ひとは、他人のためにしか生きられない。

僕は、誰のために生きればいいのか……?



君は、誰のために生きている………?