再びです  

またもやもの凄い長文です

申し訳ないです

今度の6月9日はちょうど1年前川越に居た頃、

ライフラインのガス・電気が止められて

過酷な生活を送り始めた日です

約1ヶ月過酷な生活を送りました

スマホも充電できず、懐中電灯使い、

もちろん電子レンジも使えず、

お風呂は水シャワーのみ(水道だけは止まっていませんでした)

途中縁を切った弟に最後のSOSの手紙を出しましたが、

結果一応は心配で様子を見に来てくれたけど

「もう勘弁してくれ! 管理会社から何度も連絡が来ているから迷惑」といい

最後に弟が冷やしうどんとおにぎり2個と最後の支援3万を

投げてつけて帰って行きました

 

そして他界した母親のお墓の件で言い合いになり

私から「姉弟の縁を切ってほしい もう2度と会うつもりもないと」私から

最後の言葉を言いました 現状それから一度も会っていません

もちろん連絡も取っていません

そして、管理会社の手助けの元、7月9日に川越市福祉課へ行き保護の申請をしました

そして管理会社が安否確認来るまで続きました

大家さんが「姿を見かけない」「夜も電気が付かない」など

管理会社に連絡が行ったようで7月9日に管理会社が来ました

(そりゃーそうですよね最悪な事が起来たら事故物件になるから)

その時に食事も満足に食べておらす スープだけ

(冷蔵庫空っぽ・備蓄品もすぐに食べられるもの一切無し)

低糖質で立っていられないほど意識も飛びそうだった最悪でした

危うく救急車呼ばれるところでしたけど後からお巡りさんは来た時点で

「今すぐ川越の福祉に行かないと弟に連絡する」と言われ

初めは拒否していましたけどお巡りさんから言われ仕方なく管理会社の方々に

助けてもらい…福祉課に行きました

その帰りに福祉協会につれて行ってもらい食べ物を少し分けてもらいました

 

12月に家賃滞納で強制退去を受け、現在、埼玉県から転居し、

今現状別の関東圏で住んでいます

退去にあたり、無料宿泊所に行くしかなく、家具家電の処分費用は

自己負担で行う事、もし新しい所へ引っ越す場合は、

初期費用・引っ越し代は自己負担 どうやって用意しろと?

無理なら無料宿泊所行く事が決定でした

但し、無料宿泊所には3ヶ月しか滞在できないと最初は言われましたが

舌が乾かないうちに長く滞在する事が出来ると2点3点とコロコロと話が変わり

初めは自宅に無料宿泊所の方が自家用車で迎えに来て、

詰める荷物だけ積んで宿泊所へ行くと言っていたのが、またここで話が変わり

持てるだけの荷物をもって川越市役所の福祉課に直接来てくださいと

そこで車に乗車し、宿泊所へ行きますと…

またここで話が変わった

病院の件も最初は行く前に福祉課に連絡を入れてくださいと

言っていましたが、途中から「勝手に行って受診を受けて下さい」あとから連絡を

入れればいいですからと病院の事もまた最初と言っている事を変えてきた

保護を停止する際にケースワーカーさんが

「他の方の面談に行くついでに来ました 停止の書類にサインしてください」と

玄関先でサインして川越の保護を12月8日に停止してもらいましたが

完全に止まるまで5日間掛かりましたその間に、転居先で保護の申請をしたら

まだ川越市で手続きが完了していないから申請は受理できないと言われ

川越市の福祉課に連絡したところ、私の担当していたケースワーカーさんが

お休みを取っているから停止が出来ないと聞きました

停止書類にサインをいたのは12月8日で約1週間のロス

1度目の保護の申請は12月13日に行った際にまだ処理されておらず

12月14日に13日付で停止が受理された旨の連絡がケースワーカーさんから来ました

実際申請できたのは昨年の12月18日に申請を受理していただきました

 

一度書いたことがありますが昨年の4月に初めて保護の申請をした際に、

申し訳ないって気持ちが優先して、3日間一人で考え、

保護を取り下げてもらう際も福祉課に行った際に、適当な白紙の用紙に

保護の申請を取り下げますと文面を記入しサインしました

その時点で結構いい加減なのかな?ちゃんとした書式もなく、

川越市は市民を助けるのは迷惑と思っているのが態度でわかるぐらい

また、川越市は生活保護をあまりよくは思っていない事も

噂で聞きました。もっと早くに転居したかったな…

40年も住んでいていい思い出は1つもない!断言できる!

市民には厳しく、観光客には緩くがモットーなのかな?

 

家具家電も処分するのに20万~30万まして、そのお金も準備できない

「住宅扶助も3ヶ月しか受ける事が出来ません」と面談の時を言っていました

(ちなみに川越市住宅扶助は一人暮らしの場合42,000円迄)

川越のケースワーカーさん「また買い直せばいいと」電話で言いました

(私が感じたのは借金をさらにしてくださいと)言っているのと同じぐらい

たかが3ヶ月の為に家具家電を処分しろと、処分費も支払えないのにどうやって?

もちろん母の遺骨も持っていくことも出来ません

なにも助言もしてくれなかった、年末に近かったので、

どこの引き取り業者もいっぱい 福祉課から紹介も受けた業者もダメでした

そして、SNSで住居紹介してくれるところを藁にも縋る思いで

SNSで探し面談して何とか助けてもらい現状に至ります

今助けてもらっている市の福祉課に川越の福祉課の件を話したら

「住宅扶助は普通は3ヶ月限定ではありませんよと教えてくれました

なぜそんなこと言ったんだろうねと(・・?」と首をかしげていました

今転居した市の福祉課の方には本当に有難い、ちゃんと親身に聞いてくれる

今期のケースワーカーさんも話を聞いてくれる

転居してよかったと日々思います