念願の車椅子まであと1日だ

まさか

皮膚筋炎 間質性肺炎の病気で
車椅子生活になるなんて
思いもしなかった

最初は皆んなと同じか息切れからだった

次の症状はつまずき膝折れ

主治医と看護師さんとリハ科に
杖を進められリハ室から杖を持って来た

つまずき膝折れは両足だったので
2本杖を渡された
恥ずかしいから嫌だって反抗した記憶が

結局1本を頻繁に持ち替えたり
力が抜けてしまう時持ち替えたりした

両大腿骨骨頭壊死になった時
痛すぎて歩けず寝れずだった
一定の期間我慢すると痛みは引いていく
って、骨頭壊死経験者や先生に言われ
痛さと闘っていた記憶がある
この時両腕と両足の力はかなり弱っていた
杖が使えない位の力だった

リハ科の先生に車椅子に変更される

整形外科と膠原病内科の主治医が話し合い
肺の状態からして手術は難しいので
大腿骨が潰れない行動にと
シフトが変わった

病室内は延長チューブで杖移動
お風呂等は酸素カートを転がし杖移動
『看護師同伴が条件だった』

仮退院があったので兄に
車椅子を買ってもらった
名前はペレウインク
初代ペレと中百舌鳥を押してもらったり
関東に引っ越しした後も
新幹線で横浜⇆京都を往復したな
僕の相棒でしたキラキラ

横浜に完全移住して感じたのが
坂道だ!
きつい坂道からなだらかな坂道まである
アパート付近は
なだらかで長い坂道
介助者もきついと言っていた

身体障害者手帳呼吸器3級の枠を使い
電動車椅子を申請
自宅付近の調査や何の為に使うかを
質問されたな〜
なんて答えたか忘れたけど
申請が通り 二代目マラドーナが来た
マラドーナは一生物だと思っていた

ここまでは

皮膚筋炎や間質性肺炎の患者でも
居てる範囲だと思う


しかし

昨年 容態が急変した

まさかの寝たきり状態

採血検査
尿検査
肺機能検査
心電図
筋電図
エコー
レントゲン
CT
 MRI
リハ科の評価
膠原病外科の評価
膠原病内科の評価
が告げられて
寝たきり確定になった

マラドーナでは移動不可能になる


介護用品は全てフランスベッドさんが
限度額内で収まるように
サービスしてくれた
エアーマットは実費3万オーバーを
サービス

痰吸引器も倍の値段する物もサービス
ベッドの柵
トイレの棒など
シーツなど
全てサービスしてくれた
課長が担当だったので
全て即決でした


車椅子もお願いしようと思ったけど

普通の車椅子ならどこで作っても同じ
でも今回は長い時間横になったりするので
本当に体型 用途に合った物を作らないと

これは経験豊富な横浜リハビリステーション
で作った方が良いよ!って
横リハのPTさんが言ってくれ
フランスベッドさんも横リハさんと同じ
意見だった。

PTさんに予約も入れてもらい
横リハで三代目を作ってもらった

年明け
寸法を測ってくれ
車椅子作りに取りかかった

それが明日来る
プラティニ


僕の夢や希望を叶えてくれるはず
期待してる







皮膚筋炎だけなら
普通に歩ける

しかし

PTさんは杖を持ってた方が
アピールになるし
気をつけてもらえるから
杖を持ちなねって言ってた

僕はそれが嫌だった

しかし

アピールではなく本当にキツくなり
杖を使った

ここまでが皮膚筋炎




間質性肺炎が加わる
まず

呼吸が苦しくなる

苦しくて足が前に運べない
手も動かない
指先などは真っ白になり
冷たくなる

記憶障害が出る


パルスオキシメーター
動脈採血検査
6分間歩行
肺機能検査
などで
HOTが必要だと言われる

在宅酸素療法決定

安静時3
動作時7と告げられる



杖と酸素カートがお出かけに欠かせない


これが
皮膚筋炎と間質性肺炎が
悪化した人の状態

僕はこれで良し!と思ってた
いずれ働けると思ってた

人生が変わったのが
両大腿骨骨頭壊死かな!?

あれがきっかけで車椅子になった


その後再熱を繰り返し
ステロイド増量
エンドキサン
パルス
グロブリン

CKの急上昇
そして
常に2000から4000を維持してる

筋力の低下で嚥下障害
むせ込み
栄養取れず
体重低下
体力低下
筋力低下
体の機能が動かせない



大腿骨骨頭壊死と再熱が無ければ
今頃はまだ歩けていたかな?

なあーんて思ったり


皮膚筋炎
間質性肺炎なんて
ごくごく当たり前の病気

でもまさかこうなるなんて
思いもよらなかった


今だから心底言える


何故?僕が!?