令和2年2月18日

会議室に患者家族 医療チーム 訪問チームが
集まり 僕の現状 今後起きうる事
起きてしまった場合 治療はどこまでするか
等をみんなで正式な場で話し
内容を残し 医療チーム皆んなが共有出来る
様にする会議をしてきました。

医療チームからは今日話した内容は
絶対ではないから。
本人やご家族の気持ちが変わったり
不安などが起きたら
電話でも外来でも診察でも良いから
話してくれたら幾らでも時間は作り
話を聞き 対応するからね

医療スタッフ皆んな〇〇さんの事を
知っているから
隠さず相談してね!
人の気持ちは変わるのが当たり前
だからコロコロ変わっても良いから
絶対に遠慮はしない事って。


ドキュメント SNSなど見ると
まだ治療にチャレンジ出来るのに
医療側は最後まで治療をせず……
悲しい姿が家族の目に残る

何故もっと処置をしてくれなかったのか!
処置をもっとしてくれたら……
憎しみ 怒り 残された遺族は後悔の念が…


残された遺族はやり場のない悲しみが
一生残り続ける
勿論、良い思い出も浮かぶが…

2013年母を亡くし
仕事中 母の年齢に近い方を見ると
また記憶が蘇り悲しく…
2017年父を亡くし
同じく父の年齢に近い方を見ると
また記憶が蘇り悲しく…


母は亡くなる数日前に僕達家族を
1人ずつ病室に呼び言葉を残してくれた。

産まれてきてくれてありがとう!〇〇
育てる事が出来 お母さん本当に幸せを
感じてたよ!
みゆ そして今お腹に居る小さな小さな命
全身全霊で愛し 信じてあげてねって…

今でも優しかったお母さんばかり
思い浮かべる


父も亡くなる数日前に姉の自宅で
会った。
末期癌で姉が引取り介護をしていた。

お酒が大好きな父
癌が判明しても飲み続けていたね
兄と本当の喧嘩をし仲違いしてしまったね
末期になって全身が痛くなっても
明るくお酒を飲んでいたね
手が震えコップを口元に運ぶまでに
殆どこぼれてしまってる
それでもいつもの父がそこに居た

僕は携帯酸素が無くなるので
帰宅した
兄は僕を自宅まで送り
また姉の自宅にとんぼ返り

父を囲み宴会をしたと。

数日後 急変し救急車を呼び
病院へ
帰らぬ人になりました。

僕は後悔をしました
何故あの時 予備を持って行かなかったのか
業者に緊急依頼をしなかったのか
酸素さえ有れば 宴会に最後までいれ
父と過ごす事が出来たのに…なんて…後悔

姉は父の苦しむ姿が今でも
頭から消えないと 泣く毎日が続く…

急に起こったアクシデント
苦しむ姿を見るしかなかった

姉、辛かっただろうに…


我が家はまだ小さな二人の子供に
僕の病気の事をはっきり教えている
『7歳娘 5歳息子』

家族皆んなで病気と闘って!と伝えてある
悲しい時も有るけど
パパの闘う姿から目を背けないで!って

2人ともだんだん理解してくれてきた。

パパが苦しい時
手を握り 頑張れ!パパ!と
声をかけてくれる。

パパがリハビリの時
部屋の端からずっと見守ってくれている
発声訓練の時は一緒に
歌ってくれたりと笑わせてくれたり

パパが入院の時
2人でベッド脇に来て
パパが帰ってくるまで頑張るから
元気で帰ってきてね!って
泣きながら言ってくれた。

パパがお腹の手術をした後
お腹に入る栄養液を見て
パパ〜お腹いっぱいになった?
美味しかった?って
目を背けず 笑顔で言ってくれた。

ママが子供達に
パパね ここから沢山元気な物を食べるから
元気になるよ!って
僕が子供達にパパね栄養入れて
デブるからねって言ったら
嫌だ!!カッコ良いパパが良いって
言って笑かせてくれた。


闘う姿を隠さず見せ
一緒に楽しみ
時には悲しみ
残された日を存分に楽しむ

子供達が大きくなっても
パパと過ごした日々を思い出してもらいたい
一緒に闘った日々を…
なにより
後悔はしないように…

医療チームには言ってある
闘っている姿は子供達に見せて欲しいと!

…………
……
でも闘いに負けそうな時は
寝るような穏やかな顔にして
子供達に見せて欲しいと……




各家庭の考えはあると思うんだ

子供に伝え過ぎだろ!
とか反対意見は絶対あると思う。

でもこの関係が僕達家族なんだ!


母に言われた言葉を胸に!
毎日
全身全霊で愛し 信じてあげ
時を刻んでいる

これからも変わらない!

ママ みゆ ゆうき!
これからも大切な時を刻んでいこうね
手を取り合いながら 



みゆ ゆうき
楽しみにしている6月の旅行
今の状態では許可出来ないよと
パパ、言われちゃったよえーん
でもパパはいっぱいいっぱい頑張るから
応援してね!




第一の目標だ!


4ヶ月後 
旅先でblogがup出来る事を願う。