娘が摂食障害になって

私の人生は大きく変わりました。

 

 

夏の暑い日に

水さえ摂ることができなくなって

ただ狼狽えるしかできなかった頃から

7年が経ちます。

 

 

 

 

 

あの頃は仕事と家事と子育てに

必死になっていて

 

 

自分の事はおざなりにしていました。

 

 

子供のことも自分では愛情を持って

育てていたつもりです。

 

 

でも、娘に「寂しかった!」

と叫びながら言われた時に

それまでの過去を振り返り

 

 

 

いかに自分が周りの目を気にして

世間の価値観を鵜呑みにし、

自分のエゴを子供に押し付けていたかを

思い知らされました。

 

 

 

 

 

 

 

『摂食障害』というものは

とても苦しく辛いものです。

 

 

当たり前にあると思っていた物・人・事が

 

 

簡単に崩れていく、離れていく・・

 

 

必死になって生きてきたのに

なぜこんな辛い目に

合わなければいけないのかと

絶望感でいっぱいだった時もあります。

 

 

 

 

 

 

でも、色々と経験し

「摂食障害」を振り返ることができる今は

 

 

離れていったものたちは私にとって

要らなかったもので

 

 

余白ができたところに

本当に必要な物たちがやってきて

 

 

新しい人生の手助けをしてくれているとわかります。

 

 

 

 

 

 

「摂食障害」は子供にはもちろんの事、

母親にとっても本当の人生を歩みなさい

というメッセージである

 

 

と思っています。

 

 

自分が持っている『当たり前の価値観』を

摂食障害という大きな爆弾を投下しなければ

崩せない

 

 

 

それだけのショックが

私のような真面目に何の疑いもなく

生きることに必死になってきた者には

必要だったというだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「本当はどうしたいのか?」

を感じることがなさすぎる人生

 

 

 

だからこそ自分がどれだけ

自己犠牲をしているかに気づけない

 

 

 

だってそれが「当たり前」だから・・

 

 

 

でも何か違う!と心のどこかで感じてた

 

 

 

だから娘の摂食障害が

私の心・生き方と繋がる

と知った時

 

 

 

「やっぱりな・・・」

 

 

 

と安心したのです。

 

 

 

 

 

 

 

だったらもう楽になったらいい

 

 

自分を見つけて生きたらいい

 

 

自分を解放していいんだ・・

 

 

そう思ったら

とても嬉しく気持ちが楽になったのを

覚えています。

 

 

 

 

 

それから毎日

必死になって自分と向き合い続けてきました。

 

 

 

結果を求めて焦り本当は必要ではない事も

学んだりしましたが

 

 

 

それも今となっては大事な経験となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの地獄絵図のような日々から7年

 

 

 

摂食障害と出会った日は

私にとって神様からもらったギフトです。

 

 

 

その大切なギフトを無駄にしたくはないから

 

 

 

よくやってきたな

と自分と褒め

 

 

 

今日からまた、

今抱いているゴールに向かって

歩んでいきたいなと思います。

 

 

 

 

 

 

という今日は振り返りの日キラキラ

 

 

こんな私の些細な呟きも

誰か一人でもお役に立てたらいいな

と思います。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございましたピンク薔薇

 

 

miyuki