こんばんは🌟
今日はとっても涼しかったですね。
毎日暑いとたまにはこういった日もあると
体力的にも助かりますよね
なので朝のランニングもちょっと爽快に走れた
ので気持ちよかったです
そしてランニング後もとっても嬉しいことが
ありました
それは・・・いつも私が走っている場所に
歩きに来られているおじいちゃんが、
なんと私にポカリをコンビニで
買ってきてくれたんです
毎日
おはようございますの挨拶のみの方でしたが、
わざわざ歩いてコンビニまで行って
朝ラン後にベンチで休憩していた私に渡してくれて
ホントむちゃくちゃ嬉しかったです
だってコンビニに行っている間に、
私が走り終わって帰っているかもしれないし
そもそも挨拶だけで話したこともない私に
そんな気持ちになっていただけたことが
なんだか有難かったです
小さな公園でこうゆう関係も作れるんだなぁ
って思うと近所の公園も捨てたもんじゃない
ですね
では、
今日はインスタでご質問をいただいたので
その内容から思ったことについてです
現在お子様が拒食症の方からのメッセージで
私の娘が摂食障害を治したいと思った時は
どの段階であったか?
という内容のご質問でした。
間違ってはいけないので、娘に確認したところ
2回目の悪化の時に入退院を短い間で繰り返し
ていた時の一番最後の入院の時だそうです。
「治したい」というよりは「楽になりたい」
だったそうで、もう拒食脳に縛られて
辛い日常を送ることが嫌になった感じです。
もう一つ、最後に入院する際に弟に泣かれて
こんなに小さい弟が応援してくれているのに
私は何をやっているんだと気づけたのも
大きなキッカケだったと以前娘が言っていました。
楽になりたいと思っても
頭の声はなかなか言うことを聞いてはくれません。
治したい意思と頭の拒食脳の声との葛藤は
本人でなければわからない苦しみだと思います。
私と主人はそんな娘を見ていて
治すと言うことを優先するのでなく
日々どれだけ娘が1日の中で
楽しいとか安らぎとか心に優しく反応する事に
接することができるかを重要視していました。
例え頑張って食べて見た目が治ったとしても
笑顔がない娘では意味がない。
心から笑うことが出来て、何かを楽しい!って
思えていたら治っているかどうかは関係ないな
って思ったんですよね
「治る」とは人によって定義は違うと思います。
体重が戻り、食事が普通に食べられるように
なることを治ると言うのなら、
それは私の「治る」の捉え方とは違います。
体重が戻り食べることも出来て
尚且つ楽しい!嬉しい!って毎日を
笑って過ごせている状態が私の「治る」
です。
だからそこをゴールとするなら
今できる事は?と考えたら
娘と遊ぶ事でした。
娘が興味がある内容の所に出かけて
一緒に楽しむ
海へ行ったり
山に行ったり
映画を見たり
娘がアスレチックに行きたいと言ったら
ガリガリの体でもアスレチックに連れていきました笑
娘を動かすことは怖かったけど、
食べることだけに向き合っているより
楽しい!嬉しい!っていう体験が
増えていくと
辛い生活より家族で笑っている生活がいいな
って思えて、治したい!って気持ちも芽生えてくる
食べることだけやっているよりずっといいし
親にとってもストレスが減ります
だから喧嘩になることもなかったし
今日行ったあそこの花きれいだったねーとか
通りがかりにあったお店が気になるから今度
いきたいな♡
なんて会話ができるようになってくる
そんな事をやっているうちに
最終的には娘が笑っていてくれたら
治ってなくてもいいかなって思えてきたんですよね
笑っていたらいつか「治る」が後からついて来る
それくらいが心も体も一番負担なくいられるから
だから、私はクライアント様に対しても
克服はこんな感じに自然な形を目指してます
(えいえいおー!がお好きな方には合わないかも笑笑)
もちろんお母さんがお仕事をされていれば
外に行くのはお休みの日に限られます。
でも、一緒にYouTubeで興味のある内容の
投稿を観たらその内容で話ができる
雑誌を買ってきて一緒に楽しむものいいですよね
子供は親との時間を求めてます。
私を見て、寂しいよ、理解して!
って心が叫んでる。
食べる事・体重も大事だけど
もっと大切なことがある
ゴールに辿り着いた時、
子供が心から笑っているために
そしてご家族みんなも笑っているために
「今を楽しむ」
をやってみませんか?
娘が摂食障害になった時、
私はどん底に落ちました。
でも娘の心からの笑顔が見れた時、
私は死ぬほど嬉しかった
だからこの感覚を同じ状況の方に
味わってもらいたくて
何か必要なことが伝わればいいなと思って
今もブログを書いてます。
苦しい経験をしたならば
他の誰よりも幸せにならないとね
では今日はここまで
最後までお読みいただきありがとうございました
miyuki