一般生活から離れて

 

 

夏の終わりから娘の入院生活が始まり、

安心できたのはほんの数日でした。

 

 

ほとんど食べられなくなっていた娘に

いきなり食事を与えても

消化器がびっくりしてしまうので

点滴のみからの治療が始まり、

お粥、白米の順にだんだんと消化器を

慣らしていったのですが

 

点滴のカロリーすら気になる娘は

食事を一向に取ろうとはしませんでしたガーン

 

 

 

 

拒食症で入院すると病院によって

細かい点では違いがあるとは思いますが

 

大まかには、

少ないカロリーからの食事が始まり

その日出された食事を全て食べられたらOK

 

 

そして一定の日数完食が続けば

血液検査の状態を見つつ

食事のカロリーを上げていき

代わりに行動制限が緩くなっていく

という流れになります

 

 

 

 

 

ほとんど食べることができない娘は

1週間、2週間・・・

となんの変化もないまま時がすぎていき、

少しずつ私の中に焦りが出てきましたアセアセ

 

6年生といえば小学校最後の運動会、

そして冬には修学旅行があります

 

このまま行ったら

いつになったら退院することができるのか??

学校にはいつ戻れるの?

 

 

 

 

そして

私自身も完全に病院での生活のみになり

すぐに戻れると思っていた元の世界から

一気に遠のいてしまい、

 

先の見えない状況に

娘の気持ちを考えることよりも

どうやったら速く元の生活に戻れるのか

を考えることの方が

大きくなってしまっていましたショボーン

 

 

 

 

さらに遠のいたのは生活だけでなく

それまで近くにいたママ友や

近くに感じていた

職場の仲間や沢山の友人達・・

 

その時はまだ、

娘が拒食症であることは

誰にも言ってはいませんでしたが

 

入院生活が長引くと共に

家の近くですれ違っても

声をかけられることはだんだんと

無くなっていきました・・・

 

 

 

今思えば

どう声をかけて良いのかわからなかった

と言うことだったかもしれませんが

 

世の中の繋がりというものは

とても薄く建前だけなのだなと

その時はとても寂しく感じたものでした悲しい

 

 

 

そしてそんな私を

さらに追い討ちをかけるように

病院でも先生方からは

母親の愛情不足や虐待等を疑われるような

質問があり、

 

助けて欲しい気持ちでいっぱいな所を

疑いの目で見られると、誰にどう

自分の気持ちをわかってもらったらいいのか

わからなくなっていき

一人思い悩む時間が増えていきましたえーん

 

 

 

 

今過去を振り返って考えてみれば

 

当たり前ですが、

娘自身なろうとしてなった病気ではないです。

 

なぜこのような状態になってしまったのか

自分でも理解することができず、

気づいたら痩せることが止められなくなり

突然入院になって食べることを強要される

 

気持ちの切り替えができるはずもありません

 

 

 

私は私で突然自分の目の前にあらわれた

摂食障害というものに

どう対応していいのかわからず

パニック状態驚き

 

相談相手もないためにグルグルと

暗闇の世界へまっしぐらガーン

 

いい方向に進むわけはないですよね昇天

目の前の状況を冷静に判断できていない

のに、学校は?なんてエゴまみれアセアセ

 

なんか・・今だからですけどそんな自分を

笑っちゃいます笑い

 

 

 

でも、親だって完璧ではない

守りたいものが大きければ

それだけ必死になるのは当たり前

しょうがなかったとしか言いよういがないです

 

 

 

今日はここまでラブラブ

また続きは明日書きますニコニコ

 

最後までお読みいただき

ありがとうございましたラブラブラブラブ