先々週の日曜日のお出かけや

日和先生の講座のあれこれを書こうと思いつつ

できてません!

 

でも、これだけはもう差し迫っているので…

 

6月16日は和菓子の日です!

 

森日和先生の講座『にっぽん日和』で教えていただきました😊

 

いや、和菓子の日を教えてもらったということではありませんよ💦

 

平安時代初期から江戸時代まで6月16日には

「嘉祥の儀」という行事が行われていたそうです

 

この「嘉祥」というのは年号(元号)なんですよ

平安初期、承和15年6月13日(ユリウス暦848年7月16日)に嘉祥へ改元

嘉祥4年4月28日(ユリウス暦851年6月1日)に仁寿へ改元しています

 

なぜ嘉祥へ改元したのか

それも今ではそんなことで?と思う内容😆

「現在の大分川で白い亀が見つかり、献上されたことを大瑞として改元した」

(続日本後紀)

 

白い亀が見つかった!なんて素晴らしいのラブラブ

 

現代の私たちにはビックリする理由ですね

 

明治時代以前は、よく改元が行われていたんです

○とっても悲しいことが起こった…

  大地震等の災害や疫病等、良くない空気がある

 →良くない空気を変えようじゃないか!!→改元だ~!!

 

○とっても良いことが起こった♪

  亀の甲羅に良い印があったよ!

  疲れが取れる醴泉(れいせん)が見つかったわ~!

 →良い気を変えたくない、もっと良くしたい!!→改元だ~!!

 

こんな感じで改元が行われていたようです😊

(砕けすぎ💦)

「より良くなりますように」と改元されていたんですね♪

 

「嘉祥」は仁明天皇の御代です

仁明天皇は天長10年2月28日(833年3月22日)

         ~嘉祥3年3月19日(850年5月4日)御在位

  天長・承和・嘉祥と年号は三つでした

 

戻って、、、

承和15年6月13日に嘉祥へ改元し、3日後の16日に執り行われた儀式が

「嘉祥の儀」でした

16種類のお菓子を神さまへ奉納し、無病息災を祈ったそうです

 

平安時代初期の嘉祥から江戸時代まで続いていた「嘉祥の儀」

 

江戸時代は江戸城大広間に約2万個のお菓子が並べられ(すごいな)

将軍直々に大名にお菓子が振る舞われる儀式へ発展、

庶民においても十六文でお菓子やお餅を買い求め食べるしきたり

「嘉祥喰」として浸透していたとのことです

 

16種類のお菓子か…さすがにね、16種類のお菓子って多いよね

なんと、1+6=7種類のお菓子でもいいそうですよ😅

大名も「16種類はちょっと…1種類と6種類でよくない?」って言ったとか(笑)

 

ということで、、、

6月16日は7種類のお菓子を食べますよ✨

 

…何の宣言?

 

日和先生も仰ってました

「ご神事ですから、無病息災を祈りましょう💕」

 

お菓子を食べていい日です~お団子プリンぶどうさくらんぼバナナカップケーキチョコカップケーキピンクドーナツいちごクッキーピンクマカロンパフェショートケーキホットケーキロールケーキキャンディー

 

あ、興奮しすぎてお菓子の絵文字いっぱい😅

 


この写真は4月に一宮市の喫茶店でいただいたワッフルです♪