今は、GWから引き続き
埼玉の姉が愛媛の実家に滞在中で
母の世話をしてくれていて、
また、日々、兄姉グループLINEに
母の様子をつぶさに伝えてくれるので
感謝しかない。
どんな様子かわかると、安心するもんね。
ひとまず、埼玉の姉が記録した
母の様子を備忘録として。
(文字数制限に引っかかったので、画像で貼付)
標準診療計画書(クリニカルパス)と
ベッドに横たわる母。
(埼玉の姉撮影)
手術翌日(9日)の母。
母の誕生日にプレゼントした
もふもふグレーの大判ブランケットを
使ってくれているのが、何だか嬉しく。
お揃いでワタシも使ってるよー★
退院まで、しっかり療養してや〜。
話は変わり、
5月9日からダンナが仕事の関係で
輪島市へ応援派遣に行っていて、
しばらくピノとお留守番体制を組んでいる。
出発日の前日は、仕事帰りに
予約していた鰻の店で壮行会を開き。
と言っても夫婦2人だけやけど★
ダンナは鰻が大好物なので、
鰻が折り重なって敷き詰められた特上うな重に
かなり満足してもらえたようだ。
はみ出すほど、めっさボリューミー!!
ダンナによると、
輪島市は多くの家屋が被災し、
道路もボロボロの状況で、
仮設住宅は急ピッチで建てているけど
復興はまだまだ手付かずの印象のようで。
物が散乱してて足場が悪いのと、
調査は中腰やしゃがんだりが多いそうで
早速、筋肉痛らしい。
それにしても、正月にニュースで見た状況から
あまり変わってなくて、心が痛い…(涙)
宿泊については、当初、言われていた
キャンピングカーではなく民宿に素泊まりで、
到着初日は能登温泉、
(ホテルのお風呂に男女交代で隔日入湯)
2日目は自衛隊のお風呂に入ったようで。
時間帯が決まっているみたいやから
ゆっくり入れず、慌ただしいやろな…。
(ダンナ撮影)
気になる食事については、
昼は基本的に菓子パンなどが配給され、
晩はお店に食べに行くそうで。
開いている店もあるけど少なく、
開いてても閉店時間が早いので
歩いて探すのが大変らしい。
それでも、初日の夕食は海鮮丼、
2日目の夕食は焼肉にありつけたそうで、
輪島市の惨状と豪華な食事のギャップに
ちょっと驚いたり。
3日目以降は質素だけど、
温かいものが食べられることに感謝よねぇ…。
(ダンナ撮影)
からの、今朝のピノ。
昨夜はワタシと同じ布団で寝ていたはずなのに
いつの間にか隣のダンナの布団へ。
ダンナが居なくて寂しいんやろな…。
ダンナは14日に大阪へ帰ってきて、
また新たな派遣団が
入れ替わりで輪島市へ応援に行く予定だ。
能登の復興は過酷で長い道のりかもしれんけど
皆で力を合わせて頑張ろう!!