見ておかなければと思った。

去年の夏祭り 日中ははげしい雨が降って中止だと思った花火大会

夕方になったら雨がぴたりとやんで、バラバラになっていた家族がそろって花火を見に行った

『私は来年この花火を見に来ることはないと思うよ』と12年過ごした岩手から年度末がきたら出る話をなぜか涙を流しながら元夫に話していた。

『よくやったよ じゅうぶんだよ』喧嘩別れした相手が穏やかに答えて不思議な夜だった。

砂浜には人がたくさんいて花火を楽しんでいた。松林に露店が並んでいた。毎年当たり前の光景。

地元で生活しているひとも、お盆で帰省してくる人にも当たり前の夏の花火。

特に出かけることもなかった私が見納めの気持ちで出かけていたのだ。

何かに呼ばれたのだろうか 今年見ておきなさい。 この砂浜を見ておきなさいって。

4/2 被害が甚大であることは十分すぎるほど情報が入ってきてはいたが、まだこの目では見ていなかった。
よく買い物にいったショッピングセンター。元夫の母校。仕事でお世話になった総合病院。切っても切れない生活に密着した町だった陸前高田市。

娘と一緒に車で大船渡側から市街地へ

市街地なんて何にもなかった。海があって砂浜があって防波堤があって側道があって、池があって建物があってそして今私が車を走らせている場所があったはずなのに 道のわきは海だった。

海の中の一本道・・・これもライフライン復興のために整備されたんだろう。

あちらこちらに仮設の橋が架けられていた。

倒れなかった木の高いところに衣類が引っかかったまま風に吹かれている。悲しくなる。

確かに生活していた場所なんだ。なのにこんなに何もない。

娘(18)の同級生が母親に『友達のおばあちゃんのところに避難した』とメールしたのを最後に行方が分かっていない。こんなところまで波がくるなんて誰も予想できなかったと思う。

歩く人はどんな思いでがれきの道をゆっくりゆっくり回っているんだろう 涙が止まらなくなる。

本当に何も姿が残っていない。あの日いったいなにがあったのか

ニュースでみても映像をみても 実際に生きていた町を知っているとなにもかもがフィクションにしか思えなくなってくる。

どこになにがあったのかもわからないたしざんで行こう

たしざんで行こう