ついに下の娘っちが今月20歳の誕生日を迎えました✨
20歳になったと言っても日常生活に大きな変化は無いものの、誕生日には娘っちの大好きな韓国チキンをUberしまして、コンビニでお酒(缶酎ハイ)を買って2人で乾杯をしてお祝いをしました(*^^*)

お祝いの前に娘っちとドラッグストアへ買い物に行った時に娘っちが「今頃産まれてた?」と聞くから「今は分娩台で準備中だよ~」とか「そろそろ産まれる時間だよ✨」など時計を見ながら話をしながら楽しく買い物をしてきました。
産まれた時間には「産まれたよ!おめでとうヽ(*´^`)ノ」と✨

でも次女が二十歳だなんて、あまり実感が湧かない。笑
まだまだ高校生でも通る見た目もあるし、色々と辛い経験もして同じ年齢の子より苦労はしたけど...中学、高校と1番キラキラして楽しいはずの時間を苦しんでたから幼く見える部分もまた多い。
それでも無事に二十歳を迎えられたことを嬉しく思います✨


今まで娘達の誕生日には娘達が産まれた日のことを話して「産まれてきてくれてありがとう」と伝えてきたつもり。
「私を選んでくれてありがとう、私を母親にしてくれてありがとう」その思いを伝えてきました。
子ども側からすると(私もだけど)「好きで産まれてきた訳じゃない!」と思う時期もあるし言葉に出して傷付けてしまうこともある。

だけど、子どもは親を選んで「あの人達の子どもになろう」って選んでお腹にきてくれるという話を聞いたことがあり、それは無事に産まれてきてくれる子どもだけじゃなく、中絶や流産、死産、産まれても病気などで子どもの時に亡くなるなど、全ての妊娠で赤ちゃんはお腹にくる前から自分の未来がわるけど、それを承知の上でお腹にきてくれる、親である私達に何かを伝える為に、気付きを与える為にお腹にきてくれるという話を聞いて私はそれを信じてるから娘達は私を母親に選んできてくれたと思ってる。
この話も娘達には伝えながら「ありがとう」という気持ちで誕生日は必ずお祝いをしてきた。

そう話してるうちに「あぁ私も両親を選んで産まれてきたのかな...」と。
私は反抗期が酷かったけど(今度回顧録を書こうと思う)娘達は、特に長女は優しい子だから大きな反抗期は無くて小さな反抗期を繰り返して大人になってから大きな、私達家族を壊すほどの威力の反抗期になってしまったんだと申し訳無く思う。

次女は反抗期というか、外で心を傷つけられたことで大小様々な反抗期(?と言えるのかな?)はあったものの、やっと夢と未来に向けて前向きになった。
まぁ次女の反抗期は反抗期といえるのかどうかなもので、私にあたることで何とか生きてきたんだと思うと感謝の気持ちだ。今こうして生きてくれてることに感謝している。


私の人生は順風満帆では無かったし波瀾万丈で辛いことの方が多くて若い頃は荒れていた。母親はいつも私に我慢を強いていた。欲しいものも買ってもらえず、夢もやりたいことも否定されて生きてることも、我が子であることも否定された。
だから私は自分に子どもが生まれたら全力で愛して守ってあげたいと思った。私が欲しかったもの全部を娘達にはあげたいと思った。

娘達が産まれた時は嬉しくて嬉しくて「全てのことから守ってあげたい存在」と思ったし幸せにしたいと思ったし、夢や希望を叶えてあげたかったし、私が欲しかったもの全てを与えてあげたいと、全てを与えようと誓った。

ただ振り返ると長女とはどこでボタンをかけ間違えてしまったのか...私は2人を平等に同じように愛情を注いできたつもりでいたけど、受け取りかたは人それぞれなのだと痛感した。
同じ親から産まれても全然違うのは当たり前で長女にとっては欲しかったものが違ったのかもしれない。
それに次女を出産して線維筋痛症を発症してからは次から次へと病気に襲われて正直、長女には苦労ばかりかけてしまったし、人一倍優しい子だから私の体を思いやって色々とやってくれた。本当はやりたくなかったかもしれない。だけど優しいから我慢して助けてくれてたんだと思うと申し訳ない。
私はヤングケアラーだったから同じことをさせたくなかったはずなのに優しい長女は私を支え助けてくれて、私は病気で心がいっぱいいっぱいで甘えてしまったんだよね。

次女を妊娠してることを伝えた時、長女は5歳になったばかりだったけど、それまで1人っ子だったからすごく喜んでくれた。メチャクチャ張り切ってて大嫌いだった絵本を毎日お腹の赤ちゃんに読んでくれたり「お姉ちゃんですよ~」と話しかけて産まれてくるのを私より楽しみにしていた。
「お姉ちゃんだから1人で買い物に行ける!」と初めてのおつかいもやった。といっても隣のドラッグストアだったけど。笑
小さな頃は妹大好きっ子で「私がやるから!」と次女が泣けば飛んでいき、お世話しまくっていたなぁ。妹が産まれて本当に嬉しかったみたい。

長女はADHDで行動が読めない子で突然ベビーカーから飛び降りたり、繋いでいた手を振り払って車の前に飛び出してしまったりと何度も怖い思いをした。
何度も何度も「外ではママと手を繋がないと危険なんだよ」と危険なことを教えてもやってしまう。悪気がないのは分かってる。でも女の子だから顔や体に傷をつけないよう、命に関わることが起きないよう目が離せなかった。

長女が1歳半の時、2人で買い物へ行った時にカートから飛び降りてエレベーターに乗ってしまって迷子になったこともあった。あの時は心臓が壊れるかと思った。
本当に予測不能な行動をすることが多くて、ただその頃はまだ発達障害というものを知らなかったから「子どもはそういうもの」と思ってた。娘達の父親の小さな頃のエピソードにも似てたから私が異質、異物なのだと思っていた。
(私は幼い頃から「神社で拾った子」と両親に言われて育ったから良い子でいないと捨てられると思って母の言う通りに全てやってきた。母に裏切られるまでは...)

私は結婚前、自分の親、特に母親に対して不信感が大きかったのもあって自分が結婚して子どもが産まれたら子どもを1番に思う優しい母親、美味しい手料理と手作りのお菓子を毎日用意して、誕生日にはケーキを焼いて子どものお友達を招待して誕生日会を毎年開いてあげたいと考えていた。何不自由なく愛情をいっぱい注いで、やりたいこと学びたいことがあれば全力で応援してあげようと思って、そういう理想の母親像を持っていた。
例えばイジメに遭っていると言われたら我が子の言葉を信じてあげられる親になろう、娘たちを100%信じて守り助け応援してあげられる母親になろうと思った。
私の母は私のことを一切信じてくれず他の人の言葉を信じる人で、両者の話を聞いて判断するのではなく片方の言葉しか聞かない人だったから他の人が吐いた嘘で凄い怒られたり否定されたりいろんなことがあって私は母のような人にはなりたくないと思っていた。
我が子の言葉を信じない親って何?って、でも妹弟の言葉は信じるんだけど私の言葉は何故か信じてくれなくて、私は勉強もスポーツも挨拶や言葉使い、立ち振舞い等々ちゃんと出来ないと叱られるけど妹弟は出来なくても許される。妹が吐いた嘘で散々な目にもあったし、母と妹は昔から私を小馬鹿にし悪口を言う、それは今も続いてる。
そういうのがあるから私は絶対に母のような母親にはならないと決めた。未熟ではあるけど私なりに母親として努力してきたつもりなんだけどね...。

私が結婚した相手は暴力など恐怖で私を縛り、働かずアルコールとギャンブルで生活もままならない、何度も逃げようとしたけど防衛本能?危機能力?は動物並みで誰にも話さず素振りも見せてないのにバレてしまって、その度にボコボコにされ恐怖で支配され心を折られる。そんな結婚生活だった。
身体的な暴力と精神的な暴力、恫喝、モラハラ、洗脳、アルコール依存、ギャンブル依存、それから繰り返す浮気、旦那は働かず私が働いて、でもお金を全部取り上げられて洋服や靴とかボロボロになるまで買わせてもらえなくて壊れた靴を履いて仕事に行ってたなぁ。

長女を妊娠、出産するまでも色々なことがあって、やっとの思いで長女を出産した。下手したら自宅で1人で出産してその後に赤ちゃんと2人でタヒんでいたかもしれないほど酷い状態だった。
だからこそ何とか病院で出産できて無事に産まれてきてくれた長女と助けてくれた周りの人に感謝し、また何にも代えがたく大切な我が子だった。だけど大人としても母親としても未熟な私は理想とする母親像には近付けなかった。必死に守ってきたつもりだったけど守ることに必死になり過ぎて娘を傷付けてしまったんだと思う。傷付けたことに気付かないダメな母親だ。だけど本当に愛していたんだ長女と次女を。

子育てはやり方が1つじゃなくて、その子その子に合った遣り方がある。
持って生まれた性格や感受性、育っていくうちに形成されていく性格、価値観、感受性とか色々。だから何度も立ち返り「これでいいのか?他の遣り方は?」と自問自答して子育てしながら作ったのが我が家の家訓。

1.絶対に嘘を吐かないこと
2.約束は絶対に守ること(どうしても守れない時は必ず伝えること、門限とかね)
3.人にされて嫌だと思うことは絶対に人にしないこと
プラスで、見た目や身体的なこと、自分の努力だけでは変えられないことで差別やイジメは絶対にしてはいけないこととも教えてきた。

3番目は自分がされてなくても想像して嫌だと思ったら人も嫌だという想像力や思い遣りの心を育てたいという願いがあった。
勉強なんてそこそこでいい、それよりも豊かな心、人の痛みを想像できる心を育てたいと思ったから娘達にはいつもこの家訓を伝え続けてきた。
プラスの部分は本人の努力で変えることが出来ない部分、容姿や身体的なこと、家庭環境などでバカにしたり悪口を言ったりイジメたり、そういうのは許さないよって。
例えば性格が悪いのは自分で気付き変えることが出来る、それ間違ってるよって伝えることで変わることもある、でも容姿や身体的な障害だったり発達障害や学習障害、家庭環境等どんなに努力しても変えれないことがあるからね。
それは長女の発達障害と学習障害で勉強をして知識を増やし、長女を育てることで学んだから。

長女は発達障害や学習障害があるもののとても心が純粋で優しい子だった、優し過ぎるから我慢ばかりしていたんだと思う。そして純粋過ぎるから他人の、誰でも気付くような嘘を信じてしまったり洗脳されたり騙されることも多かった。必死に守ろうとして過保護になり過ぎて過干渉になってしまったんだろうな...今なら分かる、私が間違っていたって。
長女は凄く鈍感で、でも繊細で純粋で、凄く優しいけど反面すごく冷たい面もあって全てが両極端で、長女を育てるのは難しかったなぁと思う。初めての子だから解らないことも多かったし親として私は未熟だったし。

親になって分かったけど、妊娠したら急に親になれる訳ではなくて妊娠中から子育てすることで少しずつ親になっていくんだよね。二十歳になったから急に大人になれる訳じゃないのと同じで妊娠、出産、子育てをしながら大人になり親になっていく。子どもに親として育ててもらってるのね。
親が子どもを育てるんじゃなく、子どもに親にしてもらう、親として育ててもらう、一緒に家族として親子として育っていくんだなって。

次女はとても繊細だけど正義感の強い子で、自分をイジメてた子がイジメに遭っていると助ける、嫌いな子でも助ける、間違ってることを間違ってると言える子だったけどそれがもとでイジメに遭い不登校になった。
元々すごく活発で運動が大好きで、とても器用で運動も勉強もそつなくこなす子だった。負けず嫌いなところがあって裏で必死に努力する。本当は誰も見てない所で凄く努力してるんだけど同級生から見ると簡単にこなしてるように見えるのか、それで嫌がらせも多かった。

小2の時に遺伝と色々なことでストレスフルになって、そこに東日本大震災が起きて甲状腺機能亢進症(バセドウ病)を発症してしまった。
薬が効かなくてどんどん悪化して学校にも行けなくなって最終的に甲状腺を全摘するしか命を守れないくらい悪化してしまった。
病気で学校へ行けなかっただけなのに「ズル休みだ、不登校だ」ってイジメられたり、同級生のママ達も「ネグレクトだ」って好き勝手に話を作り盛って面白おかしく話を拡げて、それも次女の病気を知ってる仲良くしてたママ達がやってて人間不信にもなった💧
それでも激痛を堪えながらPTA役員やって仕事もして3人の通院もあり、今思うとよく頑張ったなぁって思う、親なら当たり前のことなんだろうけど(´ー`A;)

そして次女が中学生になって幼なじみの仲良しの子が最初にイジメに遭って次女は毎日その子を迎えに行って必死に守ろうとしてた。イジメをしてる子達に仲間に入れって言われて断ったら次女もイジメられるようになって、でも最初は私に心配かけないように黙って耐えていたけど様子がおかしくなり、だんだんとそれは体に現れて学校へ向かうけど途中で体調が悪くなり学校へ辿り着けなくなった。不登校になって部屋に籠って毎日「タヒにたい」と苦しんで、だから「学校へ行かなくても不登校でもいいんだよ」って。
何度も「タヒにたい、苦しい、辛いよ!」って言ってたなぁ。。。

高校もやっぱりイジメと嫌がらせがあって1年休学して転校もして頑張って乗り越えて卒業できた。今はやっと夢を見つけて夢を叶えるため前向きになった。来春からは専門学校へ通う予定。

学校なんて行かなくても自分の力で未来は切り開けるからと、不登校も引きこもりも1つの経験で、それよりも心を守ってどう乗り越えていくか最後に殻を破って壁を乗り越える力を身に付けて外へ出ていくのは本人だから、そのパワーを貯めるまでは私が全力で守っていこうと思った。
次女は繊細だけど芯があって自分の中に自分の正義を持ってる子。今は嫌なことは嫌、ダメなことはダメって少しずつ言えるようになってきて少し強くなったように思う。

長女も私もイジメられた経験がある。イジメの乗り越え方は人それぞれ、かかる時間もまた人それぞれ。だけど私を基準に乗り越え方を押し付けていたと反省してる。

子どもにとって最初の社会が家族、家庭だ、そして保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学や専門学校、そして就職して大きな社会へと広がっていく。
娘達、特に長女には最初の家族、家庭という社会で躓きを与えてしまった。
長女が産まれた時に旦那とは何としても別れていれば違ったのかな?って、無理矢理に連れ戻されて普通ではない状態で育ててしまったからね。
赤ちゃんには母親が必要なのに旦那が働かないから生活の為に仕事でほとんど一緒に居てあげれなかった。どんなに働いても働いてもアルコールとギャンブルで生活は苦しくまた暴力と言葉の暴力の中に長女を置いてしまったのは私の責任だ。
最初のうちは長女が起きてる間はやらなかった暴力もだんだんとやるようになって次女を妊娠中は普通に暴力があった。長女の目の前で「金を隠してるだろう」と家中を引っくり返して探されたり、お財布の中のお金を無理矢理奪われたり、お金は渡せないと抵抗してボコボコにされたり、何度も「別れたい」とお願いもした、逃げようともしたけどこの度に暴力で心を折られた、でも友達や行政の助けがあって何とかシェルターに長女を連れて逃げて助かり次女を出産できた。

何度もコロされるかと思うほどの暴力があったし、言葉で言われたことも包丁を向けられたこともある、家族もコ○スと脅されたことも。浮気相手から別れないなら子どもをコ○スって電話がきたり脅迫状が届くこともあった。旦那は脅迫状を警察には届けるなと取り上げて浮気相手を「あの子は優しい子だ」って庇った。
浮気相手に家を知られてたから夜遅くに嫌がらせをしに家に来られたこともあって110番もした。それでも旦那は長女を守ろうとはしなかった。私がこの子を守らなきゃ!と必死だったな。

そんなこともあって私は娘達を1人で妊娠して出産したって考えるようにして1人で父親母親業をやった。
この子達が成人して社会に出るまでは何としても守っていかなきゃ!倒れる訳にはいかない!と必死に働いて自分のことは全部後回しにして...そのせいで倒れて働けない体にまでなってしまったんだけどね💦

シングルマザーって難しい。自分のことを後回しにしてでも子ども達をしっかり守り育て上げなきゃ!と思うけど自分が動けなくなったら終わりだ💦
私はその場のことに必死過ぎて自分が動けなくなることまで考えてなかった、考えなきゃいけなかったのに。だから長女に負担をかけ嫌われてしまったのもあるんだろうなぁ。
長女とのことは他にも色々あって、どう教えてもダメで悩むことがいっぱいあった。全てを書いてしまうと長女を傷付けてしまうから書けないけど善悪を教えても伝わらず問題を起こすこともしばしばで、旦那と同じことをするから厳しく叱ることも多かった。旦那のような人間にならないように育てたつもりなんだけど旦那に似ていく長女にどうしたらいいのか苦悩した。。。
別に顔が似てるとかそういうのは気にしないのよ、というか外見は旦那に似てないし。外見よりやること、行動がね...似てるんだ。

これを言ってしまうと娘達を傷付けてしまうんだけど(娘達には伝えてない)、娘達の父親はADHDと学習障害とパーソナリティ障害で、サイコパスというやつ💧
さすがに言えないから黙ってるんだけど幾つかのパーソナリティ障害があって、旦那との生活は本当に大変だった。それが判った時、娘達に遺伝していないといいんだけど...って、だから旦那のようにならないよう必死に育てたんだけど長女は旦那に似てしまったんだよね。多分そういうのがあるかと。認めたくないけどね。

まぁ今は旦那様と幸せに暮らしてるみたいだから大丈夫そうだけど、長女の中には敵か味方の2種類の人間しか居なくて中間がなく敵だと見なすと容赦ない。
だから私は虐待親で搾取親にされたんだと思う。そんなことはしてないけど長女の中ではそう刷り込みが完了されてて、次女も洗脳しようとしたけど失敗した。洗脳?刷り込みしたのは長女の旦那様だけど、次女の将来のことで長女と喧嘩になって「次女の未来は次女のものだから貴女が指図して決めることじゃない」って答えたんだけど、それが決定打だったのかなぁ?と思う。
長女は元々忘れっぽくて、過去の記憶が無いって言うほど忘れっぽいというか嫌な記憶や都合の悪いことは全部忘れちゃうんだよね。本当に覚えてなくて都合のいいように記憶のすり替えがされてたり...。

私は娘達の夢や希望を叶えてあげたかったんだ。せめて高校は卒業させてあげたい、じゃないと今は働くところなんて無いからね。
私の時代は中卒でも手に職をつけてれば稼ぐこともできた。バブルだったから手に職をつけた私は同年代の人達より多く稼げてたし。でもバブルが弾けて大学を出てても正社員になれない人がたくさんいて、その不景気はどんどん酷くなってどんなに真面目でも努力家でも人柄ではなく履歴書で落とされてしまうから何とかしてあげたかったんだよね。

今になって気付いて反省しても時間は戻せないからどうにも出来ないんだけど、長女が「将来この仕事をしたい」って言った時に引っ越ししてでも行きたい高校へ通わせてあげれてたら長女には違う未来があったのかもしれない。
引っ越すと職場が遠くて通えないから転職しなきゃで、病院も通えなくなるからどうしたものかと悩んで、長女が通うの無理だから別の学校にするって言ってくれたことに甘えてしまったんだよね。
その時の職場は私の病気を理解した上で雇ってくれていて痛みの酷い梅雨時は長期間の休みをくれたり在宅ワークさせてくれてたから、そういう会社はなかなか無いだろうと、不景気だし社会は母子家庭に厳しいからね。
母子家庭だからって理由で何社も落とされて、母子家庭だから働かなきゃいけないのに「子どもが可哀想だから母親は家に居ないとダメでしょう」って面接で言われたこともあるくらい厳しいんだ、シングルマザーって。
さすがにこの言葉を言われた時はぶちギレて文句言って履歴書返せ!って、最初にシングルマザーだってことを伝えて、それでも面接してくれるって言うから行ったのに何故か面接ではなくお説教されて、ふざけてんの!?と、だったら電話した時点で断れよ!って「このクソじじぃ!」まで言ってしまった。笑
あの頃はまだシングルマザーへの偏見みたいな、そんなオッサンが多かったなぁ。

母親としての26年間、妊娠中も入れると27年間を思い出すといろんなことがあったなぁ。私の人生の半分以上が母親なんだな(´ー`A;)
本当に色々あってひたすら走り続けた27年間だったと思う。あっという間だったと思う。そして反省することの方が多いと思う。
自分が思い描いた母親にはなれなかったし、娘達の理想の母親にもなれなかったと思うから。

だけど有難いのは次女がこんな母親でも「私はマザコンなの」と言ってくれて、この先もずっと近くにいるって言って私の将来を案じてくれてること、昨年、難病が判って手術の時もコロナで入院した時もずっと支えてくれたこと、私の体を心から心配してくれてること、本当に有難い。
娘達にはずっと「ママのことはいいから自分の人生を大切にしなさい」って言ってきた。病気の母親がいるという負担になりたくないし、介護もヘルパーさんに頼む方が気持ちが楽だし、私の為に夢を諦めて欲しくないと思った。
それに女の子だからいずれお嫁に行く訳で、お嫁に行ったら旦那様の親を大切にしなさいねって、ママは自分のことは自分でするから1人になるのは分かってることだから心配無用だよって。重荷になりたくないし私のことで旦那様に引け目を感じて欲しくないと思ってね。

私はずっと自分がタヒんだら私の体を献体に出そうと思ってたんだけど、最初は次女も賛成してくれていたんだけど...次女は献体がどういうものか、どんな扱いをされるのか調べてて。
次女が二十歳にならないと申し込めないから、二十歳になる少し前に申込書にサインをって話をしたら反対されてしまった💦
理由は医療発展のため、医学生のため、同じ病気で苦しむ人の役に立ちたい気持ちは解るけど、大切な家族を切り刻まれるのは耐え難いから無理!と。
私が亡くなって最期のお別れをして病院へ運ばれて保存されて研究や医学生の実習で使われて、2~3年後に遺骨として戻っては来るけど、その2~3年間を思うと無理って。
ネットで献体の現状を調べて、どう保存されてるのかとか現場の声を聞いたらしく、人間として扱われていないと知って「ママがそんな風に扱われるのは絶対に無理!」とのことで...話を聞いたら私も「え?そんななの?...💧」と躊躇った。
まぁ大学によって献体の扱いや考え方は違うと思うんだけど、娘が調べた所では人間としてではなく肉の塊として雑に扱われてるらしく、いくらタヒんでるとはいえ家族の体をそんな雑に扱われるのは耐えられないし許せないって💦

私的には献体をすることで、この厄介な線維筋痛症やME/CFSの解明や治療法を見付ける為に役立てればって思ってたんだよね。私1人の体だけじゃ研究に大きな発見や成果は無いとしてもほんの少しでも役立てば...と、それに献体だと火葬費用は大学側が出してくれるから金銭的な負担も減らせると思ったり。
それに献体に参加した方々の慰霊祭を毎年、大学側が開いてくれるから例えば娘達が子どもを産まない選択をしても忙しくて私の存在を忘れても誰からも忘れられても慰霊祭をしてもらえる。私が生きていた意味があると思った。
私なりに娘達への負担を減らせるやり方を探したんだけど献体は無理っぽい💦

とまぁ次女とは日々お互いに色々な話をしてコミュニケーションをしっかりとって、将来のことも次女がどうしたいのか夢や希望をしっかり聞いて少しでも次女が夢に近付けるよう真剣に向き合っているつもり。
そして私も今後のことを次女にママはこうしたいと思ってるって話して、一緒に考えて協力したり助け合ったり相談にのったり。
長女とも本当はこうやって向き合いたかったけど...私は向き合ってるつもりだったんだけど長女は違ったみたいだ。
でも過ぎてしまったことは戻せないから今は次女としっかり向き合って次女の夢が叶うよう出来る限りのことはやるつもり。

長女には末永く幸せでいてくれることを願うのみ。長女が結婚してもうすぐ3年?だったと思う。まだ新婚中で幸せいっぱいだと思うけど、その幸せがずっと続いてくれたらいいなぁと。何もしてあげれないのが寂しいけどね。

いつか親になったら解かる時がくると思うんだ。私がそうだったように。
親も人間だから間違いもするし悩むし失敗もする。完璧な人間にはなれないってことを。完璧そうに見える人も見えない所で悩んだり失敗もしてるってこと。
親も完全無欠ではないんだよねぇ。

とりあえず子育て一段落して、これからのこと、もう先は短いけどね、でもまだまだやりたいこと、自分がやるべきこと、いっぱいあるから、その為にどうするか先ずは体調が良い日が続く為の努力や病気が改善、回復する為に何をするべきか、それと平行して夢を叶える為にやることもあって、いつまで生きれるか解らないけど生きてる間は親としても1人の人間としてもやりたいことをやっていこう!と思います(*^^*)

今はME/CFS主治医に「人の為にとかYouTubeとか今はやってる場合じゃないでしょ!やりたいことがあるなら先ずは自分が活動出来る状態に体を良い状態にもっていくこと!」って、先生、私のYouTubeチャンネルをチェックしてて動画をあげると怒られてしまうのです(´ー`A;)
だから今は少しお休みをしてでも体調が良くなるように症状の改善を目指して日々精進中です✨


なんだか中途半端なブログだけど、最後まで読んでくださった方へ

ありがとうございました!(。uωu)♪💕