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2024年4月15日読了

 

内容

オカルト、宗教、デマ、フェイクニュース、SNS。あなたは何を信じていますか? 
口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。

一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。

何でもいいから何かを信じないと、

何が起きるかわからない今日をやり過ごすことが出来ないよ――。

飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、

「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。

 

園もゆかりもない年代の違う昭和生まれの飛馬と不三子。

昭和、平成、令和と生きてきた二人のそれぞれの人生を描いた物語。

 

二人のそれぞれ生きてきた時代とほぼ同じよう世代で生きてきたので、

自分の人生と同じように振り返っているかのように読み進めていきました。

ノストラダムスの話や口裂け女の話は当時は話題になり、

学校帰りに口裂け女に遭遇しないようにと思ったり、

その時代に大きく話題になったものは何かと身近でも

夢中になって話をした記憶が蘇ります。

 

不三子の子供に対する食育や教育の仕方はこの作品では

かなり行きすぎた部分もあり、それに反発してしまった子供の

気持ちもよく分かりました。

けれどその反対に子供の将来のことを考えてこのように

してしまうというのも今のこの年齢だと理解できます。

どちらも意見も分かるけれど、

結局どこまでが良かったのかは分かり兼ねました。

子供が大きく成長してからこの結果が分かるのかもしれないですが・・・

 

飛馬と不三子と同じようにノストラダムスの大予言をはじめとして、

オウム真理教のデマ話やコロナのパンデミックによるデマ話など

今まで自分も同じように慌てふためき生きてきたけれど、

本当の所は自分はいったい何を信じていたのだろうと考えてしまいました。

当時を思い出しながら読めたのは面白かったですが、

なかなか掴みどころが無くて、

読了後までモヤモヤが続いてしまう作品でした。

特に最近はコロナ禍を描いた作品が多いのでちょっとお腹が一杯でした。

 

角田さんの作品は好きなのでこの二人の主人公が

どのようにして何かを成し遂げたり、何かを掴むのかなと

思いながら読んでいましたが、それが何かというものが

はっきりと分からなかったのが少し残念でした。

けれど、ラストの二人はこれといった大きなものを

手に掴むことがないですが、子ども食堂を通して身近な人に

さりげなく手を差し伸べることが大事だということが

分かっただけでも少し未来が明るい兆しだと思えました。

 

自分にもこの二人のように人生という大きな方舟に乗り、

その大きな流れの川に乗りながら、特別なこともなく、

ただ流されるままに最後まで辿り着くことなのかなとも

考えてしまいました。