暫く時が経ち私も都内から某県に移り住み結婚、出産したが長くは続かなかった、夫の借金が発覚、私は子供を連れ直ぐに父の元へと出戻り、離婚をし弟を含め暮らすようになった
暫く平穏な生活をしていたが、父が働いていたお店からリストラにあい、そこから我が家は転落人生を送る
トラックの運転手に就き、弟はバーテンダー 私もパートをし、何とか生計を立て暮らしていたが、父の知り合いから雀荘の共同経営を持ち掛けかられ
その話に父は乗った、嫌な予感はしたものの楽しそうに話す父を見て、私も弟も見守る事にした、案の定経営は悪化!これからどうして行こうと考えてた矢先に、またもや父が倒れ今度は脳梗塞、手術は成功したものの言語障害、半身不随と後遺症が残った
何とかトイレには1人で行けたので
私は食事を作り弟はお風呂のお世話などをしていた。
父の体の事を考え食事は薄味に、品数も考えて出していたが味が薄いと叱られた事もあった。
時が過ぎ父は痴呆になり私を自分の元女房と勘違いし、私の名前で呼ぶ事はなくなった
痴呆はどんどん進み父はトイレにも行けなくなり、次第にオムツを使用する様になった、気付くと自分でオムツを剥ぎ取り布団から壁までそこら中汚物まみれにする事も度々あり、私は泣きながら掃除をした、限界だった。
弟に相談をし施設を考えてもらう様聞いてみたが弟は自宅で介護したいと
首を縦には振らなかった。
確かに施設となると金銭的にはうちには到底無理なのは分かっていた
父の介護保険でまかなえる程度で
ヘルパーさんが決まり、少し私的に
気持ちが楽になった、何となく親戚の叔母に現状を報告しようと連絡をしてみた、叔母は
「あなた達2人共頑張ってるね、私はあなた達が不憫で不憫で仕方なかった
もう良いよ、十分頑張ってる!お母さんの連絡先教えるからすぐ連絡しなさい」
叔母は泣きながら私に言ってくれた
私はすぐにメモした番号へ掛けた
何コールか鳴らし母らしき人が
「はい、もしもし」
「お母さん?」
「え?.......」
私はもう一度
「お母さん?」
「あなたなのね?元気なの?」
「うん、元気 お母さん寂しくなかった?」
「全然寂しくなんかなかった」
私は
「あたしは寂しかったよ!」
泣き崩れた
23年振りに再会を果たした
母は弟に抱きつき暫く涙していた
5歳の時に置いて出て行ったから無理はない。
弟は顔も覚えてないし、母親からの愛情も知らない弟は終始苦笑いをしていた。
それから母とお互いの家を行き来する様になり、色々な話も聞いた 父は浮気や生活費も大して入れてくれなかったなど
「私も若かったのよね~性格の不一致かな~我慢出来なかったのよね~」と母は洩らした
無理もない母は10代で父に出会い、妊娠、出産 私を産んだ
話はそれたが、その頃 私が再婚をして子供も増え、正月を一緒に過ごしたり旅行に行ったりする様になった、私の中でやっと、子供として母に甘えられる、離れてたぶんこれから親子として
楽しく生きれる、そう思っていた
だがしかし、こちらから母にコンタクトを取らないと母からは連絡は来なかった、私の中で母に対して 違和感?
説明しづらいのだが距離感は間違いなく縮まる感じはしなかった。
暫くして引越しを考えてた私達は
賃貸の保証人をどなたにお願いするか
家族で話した結果、夫の両親だと現場職と言う事もあり、収入も不安定と言う理由で、母に相談をしてみようとなり後日連絡を取ってみた。
(母はこの時まだバリバリのキャリアウーマン)
母は一言
「筋違いじゃないの?」
確かに、そうだと思う
本来私の夫である父に頼むのが
正解だったかもしれない
でも、お母さん 私はあなたに甘えたかったのです、そんな仕打ちあんまりです。
そこから又年月が立ち
父が亡くなり、母に久しぶりに連絡を取って報告をした。
「私はそちらの籍を抜いた人間だから行けません」.......と
あくまでも私の意見ですが
人一人が亡くなり、ましてや自分の元家族の事なのにあまりにも冷たい
なって、いいじゃないお焼香くらい
顔みてあげてよ 言いかけたけど
止めた。
そこからは暫く母に連絡を取る事もしなくなった。
ある日母からメールが届いた
「お誕生日おめでとう〇〇歳になりましたね」
そう、私の誕生日だった
でもお母さん、娘の歳間違えてますよ
私は連絡先から母の番号、メアド
全て削除した、当然返信はしなかった
弟と母について話す機会があった
弟は母に対して、母親としては見ていないと語った、私もたまに会う親戚のおばさん位にしか思えないんだと伝えた。
また時が過ぎ従兄弟が亡くなったと
母からショートメールが届いた
急いで叔母に連絡してお通夜などの詳細を聞き次の日に斎場へ向かった
母の姿はなかった
無事葬儀は終わり叔母の家でくつろいで帰った
叔母は暖かく優しい、時には厳しく
料理上手で、良く2人で台所に立ち
楽しく料理を教わったものだ
暫くして母から珍しく連絡があった
処分する洋服があるから欲しいのがあれば持って行きなと。
週末母の家を訪れた
お昼頃になり
私「お腹空いたね、なんか美味しい物食べに行こうよ!」
母「どこ行っても混んでるよ」
え?この間自分から外食しようって言ってたのに…
まぁいいや、放っておこう
結局本人もお腹空いたらしく
サラダとパスタ作って2人で黙々と
食べた。
その後コーヒーを飲みながら
母が口を開いた、
「離婚の理由だけど」
「ん?え?あ、うん…」
「お父さん…SEX依存性みたいな感じで、それが辛くて嫌だったの」
「.......」
人それぞれ考え方は違うけど
子供の私からしたら、え?そんな事で? そんなんで子供2人置いて出て行けるんだ?私は良いとしても弟はまだ5歳、そんな幼子を置いて行くなんて
私には信じられなかった
良く聞いてみたら、弟がお腹が痛い頭が痛いなど意思表示が出来るまで待ったんだと…計画的じゃないか。
もう何も言えなかった
暫くして私は意を決して母に電話をした
私は「やっぱりお母さんは私のお母さんじゃない!」
そう一言言って電話を切った
今年の夏また母からショートメールが届いた、誕生日おめでとうと
嫌味を込めて、「ありがとう〇〇歳になりました。」一応返信はした。
母がもし出て行かなければ私と弟の人生は違ったかもしれない
母がもし出て行かなければ父は死なずにすんでいたかもしれない
子供達から母親と認められず
母よあなたは今それでも幸せですか?
乱文長文失礼致しました
長々読んで頂いた方本当にありがとうございます。
感謝致します。