オススメは少し置いておいて、

昨日は、エジプトでの出逢い以来、友人であるウィーン在住のミレーナさんの本の出版イベントに伺ってきました。





タイトルは「私とネクタイさん」。主人公の20歳のヒロと、定年の年齢に近い会社員・テツがひょんな事でつながり、会話するようになる。その中で主人公の内面が大きく変化していく、という普遍的なお話。

舞台は日本で、ミレーナさんは日本とオーストリアのハーフではあるけれど日本には住んだことがないので、日本の描き方がどこか浮世離れしていて、それが美しかったりして…ラッシュアワーの駅のプラットホームも、演歌も、どこにでもある公園さえも。

この本はあくまでふたりの人間の友情の物語であり、私自身“引きこもり”がこの本の中でテーマだという認識はそれまであまりなかったのだけれど、ミレーナさん、翻訳家の方、そして精神科医の方とのクロストークはとても面白かった。


まず「引きこもり」とは。Oxford辞典に“hikikomori”という単語があるほどで、それじゃあ日本独特のものなの?という予想に反し、家族主義(↔︎個人主義) の国で多いんだそう(アメリカなんかでは成人すると家からつまみ出される)。例えば、韓国、中国、イタリア、スペインなど。儒教&カトリック圏において多いんじゃないかという精神科医の先生の見立ても興味深い。


先生はこの本に出てくる主人公を「理想的な引きこもり」とトークの中で表現していて、「単純に困難な状況にいる人として描かれていて、私たちにとって珍しいものではなく、誰にでも起こりうることとして書いてあるのが良かった。」と言っていた。たしかに2年人と顔を合わさないというのはすごく長くて想像できないけれど、これだけショッキングなことがあると、たしかにそうなる人もきっといるよね、というある種の共感がある。その上で、社会にどうにか帰ってくるのが、理想の引きこもり。じゃあ理想的でないのは?“心にぽっかり穴が空いたように、ただ何もせず社会から乖離した人”。本人に意思がないため、社会に戻ることはとても難しい。ただ、引きこもりをケアすると方法論は国でもう確立されている(半信半疑で厚生労働省のページを見てみましたが、本当だ)。

あと、なにかをクリエイトする人も作業するとき、自分の内面と向き合う意味で「引きこもり」と先生が言っていたのが印象的だった。うーん、言われてみればたしかに。それは多分、ものすごくポジティブな引きこもりだ。


引きこもりに関していえば、困難な状況の他にもその人が住む環境においての他人との距離感、どう見られるかを人がどれくらい意識しているかも、原因になるのかなと思った。アメリカにだって引きこもりはきっといるんだろうけど、見ている限り日本よりやっぱり少ないだろうなと思うもの。


イベントが終わった後、翻訳家の関口さんともお話をしましたが、本のことを尋ねると文体をつくるのが難しかった、とおっしゃっていました。とても時間がかかったんだよ〜、とも。でも詩的な表現を用いながら、とても丁寧に、1文1文味わい深く、訳されています。私が勝手に、ミレーナさんに代わって素敵に訳してくださってありがとうございますってお礼を言いたいくらいだった。ぜひ、皆さんも手にとってみてくださいね。



翻訳家の関口さん、ミレーナさん家族と。


テオちゃん&旦那さんとも1年ぶりに逢えてうれしかった!テオちゃん大きくなったな〜。


今日はミレーナさんのドイツ語での朗読も聞けて、本に視線を落とすときの彼女の顔はとても美しいな、とひとりで思っていました。ごめんなさい、ドイツ語はまったく分からないの。



オーストラリアで10万部を超えるベストセラー。世界各国で翻訳されているこの作品、
世界の人たちがこの日本の物語をどう読むのか、とても気になります。