3.11
震災から1年。

この日、被災地に伺う機会を頂きました。
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やっぱり行ってみて初めて感じることがたくさんありました。
もちろん震災直後からの数々の報道、見聞きしたことは数知れません。
けれど、車の窓越しに実際に景色を見て、さらに車を降りてみてその土地の空気を吸って、というとやはり“感じさせられる”ことはまた違う。
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どうも震災のことを極端に、ドラマチックに捉えがちだったのですが、それ以上でも、以下でもない、ただあるがままの現実というものがあるんだなと。それを突きつけられたような気持ちでした。受け入れるしかないんだ、そう気圧された感じです。その上で、自分はどういうことができるんだろう。ありのままって、どうやったら伝わるんだろう。悩みながら、今打っています。

この日は、追悼式にも参加させて頂きました。
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たくさんのご遺族の方々。
大切な人を失ったこの地に、色んな気持ちを持ち寄っていたに違いありません。
正直、悲しみにくれて空気がとても重たいものになるんじゃないかと想像していましたが、前を向いて歩く足取りは、思っているよりずっと力強くて、どなたも心に、大きさは違えど希望を抱いているように見えました。それは悲しい、寂しいという感情だけではありません。私は、人、というか自然と共生する動物としてのヒトをとても強く感じました。災害は必ずやってくる。起こったことを受け入れて、生きてるものでがんばらないとなぁ、と協力して立ち上がろうとしている気持ちを会場の雰囲気から感じられ、逞しさに驚き、こちらがパワーをもらうほどでした。

それから、想像力がとても必要だということも感じました。
過去を頭で再現して、それから被災者…特に亡くなった方の気持ち、ご遺族の気持ちを考えてみると、どこまで想像できるか、綺麗にいえば思いやれるか。その中で大事なのは、やっぱり忘れないことなんだと思います。時を経る中で、風化させずに、辛い思いをした人にいつまでもどう寄り添えるか。
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気仙沼や陸前高田から望む海はとても綺麗で、嘘みたいに煌めいて目の前に佇んでました。その前にはお家の跡形もない、瓦礫だらけの平地…そのコントラストに、余計胸が痛みます。

みんな、この海が大好きだったんだろうなって、そう思いました。

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感じたことを放りっぱなしにしがちな私だけれど、貴重なこの経験は、しっかり時間をかけて整理していきたいと思っています。

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