【イノチのあり方 オンライン講座 木曜2期】開催のお知らせ

◆ 「イノチのあり方オンライン講座」全3回 ◆ (6名) 4名
①「いのちと命」(2月29日・木)
 ・「個の命」と「いのちの流れ」について
 ・本来の「いのち」のあり方とは・・・
 ・私たちが日常的に考えている「命」と「本来のいのち」の違いは・・・

 ②「いのちから生まれる『本当の存在価値』」(3月21日・木)
 ・「個の命」が生み出す自己肯定感と「いのちの流れ」が生み出す存在価値
 ・本来の「いのち」のあり方を知ることで、「生きるうえでの苦しみ」は作られたものであることを知る
 ・「いのち」より先に「生」があることで起きること

 ③「すべては流れ続けるために・・・」(4月18日・木)
 ・「生」と「死」の意味を考える

☆すべて20時から21時半までとなります。

詳細・お申込みはこちら

今回の講座は、受講料の3割を能登半島地震で被害に遭われた方へ寄付させていただき、寄付後はみなさんへご報告もさせていただきます。

 

 

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「ガンになるのが、私だったらよかったのに・・・」

 

「代われるのなら、喜んで私がガンを引き受けるのに・・・」

 

 

そんな叶わぬ想いは少しずつカタチを変え、「私もいつか、渓太郎の味わっている苦しみを経験したい」と思うようになった。

 

 

それは一見、自分を責める罪償いのようにも思えるのだけれど、そうではない。

 

渓太郎の身代わりになれない私にとって渓太郎と同じ経験をすることは、心から渓太郎の痛みを理解し、苦しみの分かち合いができる唯一の方法だと感じていたのだ。

 

しかしいくらそんなことを思ってみても、都合よく病気が発症するわけではないし、そんな分かち合いは自己満足にしか過ぎない。

 

 

渓太郎の身に舞い降りた宿命は、渓太郎しか受け取ることができなかった。

 

 

 

 

それから数か月が過ぎ、渓太郎の旅立ちの日が間近となった。

 

 

 

私が渓太郎の隣にピタリと寄り添い、瞬きをすることさえ躊躇しながら「今」を目と心に焼き付けていると、しんと静まり返る病室の扉が開いた。

 

 

渓太郎の姿を心に刻む私の邪魔をしないように、息を殺してベットの近くまでやってきたのは腫瘍科部長だった。

 

 

「渓太郎くんのようすはどうですか?」

 

 

「昨日より苦しそうではありません」

 

 

 

私のひと言に医師は静かにうなづくと、視線を渓太郎から私に移して「お母さんは大丈夫ですか?」と尋ねてきた。

 

 

 

「はい。大丈夫です」

 

 

 

そう答える私を医師は切なそうな目で見つめ、ゆっくりうなずいた。

 

それから、医師が首をあげることなくうつむいたまま病室をあとにする姿を目にして、病室を訪れた目的が「渓太郎」ではなく、「私」であることを察した。

 

すると、医師の心の温もりが、小さな渓太郎を抱く私の身体を包み込んでくれた気がした。

 

 

 

過酷な宿命を背負う渓太郎を、私は見守ることしかできない。

 

そして、残酷な宿命を背負う私を、医師も見守ることしかできなかったのだ。

 

 

 

 

 

私たちは同じ経験をしなくても、見守ることしかできない切なさを味わいながら、その人の苦しみや悲しみの分かち合いをしているのかもしれない。

 

 

 

 

 

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