乳癌告知 | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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2014年6月16日(月)

13日(土)の乳癌健診後に入れていただいた
同病院の乳腺科外来受診。

今はがんセンターに移られたT先生に、
エコーで診ていただきました。

診ていただきながら、淡々と穏やかな、
分かりやすい説明も受けました。

明らかにギザギザの
素人目にも癌と分かる
異形の(円くない)しこり

リンパ節も3つ、
大きな丸いギザギザが、
「山」の字のように
ポコポコ映っていました。

明らかに乳癌です。
リンパ節もですね。
 細胞診をしてもいいけど、結果が出るまで、
 2週間くらいかかってしまう。
 この病院では 乳癌の治療はできないので、
 それを待たずに、治療のできる病院に
 行った方がいい。
 好きな病院に紹介状を
 書きます。
 どこの病院がいいですか?
 治療に通うことになるから、
 近い方がいいと思いますよ。」

H病院で手術を受けることになるのかなぁ、
としか考えていなかった私は、
一瞬迷いました。

娘を非行友達から引き離すために、
職場近くに仮住まいしてました。
最寄の病院は、
がんセンターか聖路加がん研有明も近い。

でも、娘が遠くの私立中学に通い始め、
娘も落ち着いてきたし、
治療費もかかるし、
狭い仮住まいより、保有している
分譲マンションに戻って落ち着きたいなぁ、
とも。

本宅から通勤途上にあるM病院に
紹介状を書いていただくことにしました。
先生との会話の中の一瞬の判断でした。

T先生から、
「落ち着いてますね。 分かってた?」
と言われた通り、

乳癌だろうとは思っていて、
まだ、死に至る病だと思い至らず、
平然と聞けたのですが、

M病院と答えたところ、
「『標準治療』をしてくれますから、
 よく話を聞いて治療するように。」
とも。

その時は、意味が分からず、
半ば聞き流したのですが、
今にして思えば、T先生は、
私がもっと前に乳癌告知をどこかで受けて、
放置か代替医療をしていた人だと
思われたのかなぁ、とも。

私のように、
乳癌と認識せずに、
乳癌だろうと思ってからも、
たいした怖れも危機感もなく、
ここまで進行させてしまう患者は、
そうはいないような気がします。

乳癌も死に至るという概念が、
なぜか大きく抜け落ちていた、
ある意味幸せで御目出度い私でした。

H病院から一駅、その足でM病院へ。

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私が17~18歳、ちょうど大学受験の頃、
すなわち、かれこれ30年以上前に、
父(当時40代前半)がスキルス胃癌を、
胃潰瘍の手術で見つけていただき、
偶々、超早期で手術し今も存命、

※癌だからといって死なないことも
  ごく身近な例として知っています。

小5までは同じ敷地内に住んでいて、
子供がいないから、かわいがってもらい、
どちらの子か分からないくらい、で
自営業だったから、引っ越してからも
しょっちゅう遊びに行っていて、
父の胃癌&自殺未遂の時に、
養女にしてくれる、父のことは気にせず
大学に行け、とも言ってくれた、
 (養女の話はなくなりましたが…)
非常に近い間柄だった伯父が、

そのすぐ後に同じくスキルス胃癌、
開腹手術した時には既に手の施しようがなく
そのまま閉じる姑息手術しか出来ない
末期で、1~2年後に召された

※癌は近くに浸潤していって、
  拡がりすぎると手術で取りきれなくて
   生命を脅かす、
  という、ごく身近な例から、
  癌のイメージが強く刷り込まれて
  いました。

乳癌は生命維持に関係ない臓器の癌だし、
実家の隣のおばさん(同年生のお母さん)は
父の胃癌とあまり変わらない時期に、
だから、30代終わり~40代始めに
乳癌で手術をし、今に至るまで、ずーっと、
存命ですし。

身近な実例から、私の癌のイメージが
あったのです…

 (乳癌が死に至る病だと思い至らず、
  というこの記事を持ってして、
  頭が悪いとか、理系の学位を嘘だとか
  だからブログに書いていることが嘘だとか
  嘘つきだとか、詐病とまで
  ご自分のブログや5ch掲示板で
  貶めて書く方々がいらっしゃったので
  ~しつこい方1名~数名が、
      まだ続けている~
  念のため紫字を補記しました。

  2019/10/27 追記)