昨日、1月7日は、

東灘区に鎮座する「素盞鳴神社」、

そして「岡本八幡神社」を訪ねました。


 

 

 

 

 

素盞嗚神社の主祭神は、素盞嗚尊

配祀神は、伊弉諾尊・伊弉册尊・大山咋神  

 

 

 

 

 

 

 

長く急な石段を上っていくと、

社殿に到着!

 

 

 

 

 

実は、下の鳥居あたりで、

賑やかな声が聞こえていたので、

今日は、神社のお祭り?

と思っていたのですが、

それは、野球チームの少年たちと

関係者の方たちが団体で

参拝に来ていて、終わって階段を

降りてきているところだったのです。

 

 

狭い階段ですれ違ったとき、

「おめでとうございます!」とか

「こんにちは!」とか

声をかけてくれて、

すごくよい気持ちになりましたニコニコ

 

 

そのあと、

階段を降りて来られた女性が、

「ここは、いつもは静かな神社なの。

でも、今日はお祭りみたいに賑やかで、

神様きっとよろこんでるわ!」

とおっしゃられたので、

「そうですよねー♪」

と、私は答えましたニコニコ

 

 

少しでもタイミングが

ズレていたら、

出会えなかったので、

これもステキなご縁ですねラブラブ

 

 

 

 

 

 

参拝後、神社のベンチに腰掛け、

流れゆく雲や、海を眺めながら

しばらくゆっくりしていました。

 

 

また、目を閉じて、

野鳥たちの声を聴いていました。

 

 

山に行ったら、

目を閉じるとよいですよグリーンハート

 

自然の声が、

とってもよく聴こえますからグリーンハーツ

 

 

 

 

 

▲野鳥の声です音譜

 

 

 

そして、その後、

こんな言葉が

私の中に降りてきたのです。

 

 

 

「森の民、海の民。

今こそ心を一つにして、

理想の地球を創るのだ」

 

 

 

志高き、古代人の

思いを受け取ったのでしょうか。

 

ここは天王の山。

 

 

 

 

素戔嗚神社の由緒

(兵庫県神社庁のHPより引用)

 

神社の鎮座する山は円錐形をした美しい姿で、永年斧を知らず、松・山桃・樫が鬱蒼と繁っている。麓から樹下の細い道を30分ばかりで中腹の社前に至る。眼下の眺望広く、大阪湾、紀淡海峡、淡路と一望できる絶佳の地である。 

 

岡本郷が形成された鎌倉時代のはじめ、疫病退散・村造り・植林・怪物退治の神を祀ったものであろうか。山の名は「天王山」といい、『元禄寺社帳』には「祇園牛頭天王山柿茸、勧請之由来年暦知れ申さず、拝殿2間、5間 萱葺。末社 天照大神宮社、春日大明神社、住吉大明神社、辨財天社、坂茸。敷地境内113間、62間 除地」とある。上地して現在は社殿の建つ部分だけである。明治元年(1868)8月22日、「素蓋鳴神社」と改称した。 

 

村内の小祠、若王子社・山神社を明治40年迄に合祀している。

 

 

 

「素盞鳴神社」を訪ねた後は、

「岡本八幡神社」を参拝しました。

 

 

 

 

岡本八幡神社の御祭神は、応神天皇 

 

 

 

 

 

▲八のデザインがいいですねOK

 

 

 

岡本八幡神社の由緒

(兵庫県神社庁のHPより引用)

 

当社の創祀年月を知るべき資料はないが、源頼朝が建久3年(1192)鎌倉に幕府を開いた頃に、岡本は村としての姿を整えたようで、源家の勢にあやかろうと、源氏の氏神八幡神を村の高台に祀ったものであろうか。

神社の地名は、住居表示の為に、今は単に岡本6丁目となっているが、旧字は八幡林であった。社地の東を流れる川の谷は八幡谷と呼ばれている。

元禄5年(1692)の『寺社吟味帳』には、「古来よりの鎮座にて御座候へ共、由来年暦相知れ申さず候」とあり、実在したことは分るが、前記川の氾濫の為か当時の石造物笠は現存しない。岡本の里は六甲山の南麓一帯の斜面に広がる地で、気候温暖、日本一の居住地といわれる。古い家々の庭には必ず夏みかんや柿の木があって、みのりのよい土地であった。

神社の西側は、斜面すべて梅林で寛政10年(1798)刊行された『摂津名所図会』には茶店あり床几あり、実に多数の人々が梅見を楽しんでいるようすが描かれている。

 

 

 

人も自然も

 

すべてが、

 

平和に包まれますようにキラキラ

 

 

 

 

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幸村みよの本

 

 

ラピス: 神様のジグソーパズル

 

 

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