前回のブログで書きましたが、
先々週、
京都の晴明神社と
北野天満宮に行ってきました。
そしてまた、先日は、
大阪の安倍晴明神社と
安倍王子神社、
堀越神社に行ってきました。
陰陽師「安倍晴明公」ゆかりの
神社を訪ねようと思ったのは、
陰陽道のことで、
色いろシンクロが重なったこと、
それで、調べていくうちに、
陰陽師は古神道と共に、
レムリア ・縄文の叡智を
受け継いでいる・・・
それを知って、
ますます興味が湧いたのです。
行くことで、
その土地や場などと、
霊的な繋がりができ、
必要な情報がもたらされることが
多々あるので、
気になったら動きたくなります。
今回もそんな感じの
ミニトリップです
▲京都市上京区にある晴明神社
いつか訪ねたいと思いつつ、
やっと来ることができました
晴明ファンと思われる方がたが
次つぎと参拝に来られていました。
▲晴明神社の説明
晴明神社
平安中期の天文博士安倍晴明を祀る。
晴明は朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条の六代の天皇に仕え、移りゆく星をみて宮中の変革、遠国の吉凶を判断したといわれ、一条天皇の時に天文博士となった。陰陽師としての活躍は有名である。寛弘二年(1005)に亡くなったが、その二年後、功績を偲んだ一条天皇によって晴明の邸跡に当社が創立された。
晴明の邸は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売の各通りに及ぶ広大なものであったが、その後、度々の戦火によって衰えたままであったものを、地元を中心とする崇敬者によって徐々に復興され、現在の規模となった。
境内の晴明井は、晴明の念持力で湧き出たといわれ、飲むと悪病難病が治ると伝えられている。また、当社の神紋は、一筆書きの星型をした晴明桔梗紋(五芒星)で、魔除けの呪符とされている。
堀川を少し南に下がると、晴明が式神十二体を封じ込めたといわれる一条戻橋がある。
▲晴明神社・本殿
▲安倍晴明公像
▲晴明井
晴明神社を参拝した後は、
菅原道真公をお祀りする
北野天満宮へ。
グーグルマップで調べると、
徒歩20分ぐらいだったので、
歩いて向かいました
道真公も最近気になっていたのと、
梅の花が見ごろなのにも
魅かれて行ってきました
北野天満宮は、
確か三度目の訪問です。
▲北野天満宮・三光門
![乙女のトキメキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/473.png)
菅原道真公のご先祖様でもある
天穂日命も気になっていた神様。
今回は、意識して
お参りすることができて、
よかったです
歩数を確認すると、
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
![笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/664.png)
▲安倍晴明神社の説明
当神社は平安時代に活躍された、天文博士安倍晴明公を祀る神社で、創建は社伝によれば、晴明公没後二年の寛弘四年(1007)です。
安倍晴明公は、古代豪族阿部氏の出で、伝説(葛之葉子別れ伝説)では、父阿部保名が和泉の信太明神(聖神社)に参詣の折、助けた白狐(葛之葉姫)と結ばれて、当地阿倍野で生誕されたと伝えます。
幼名は安倍童子で、資性英明学問を好み、京都に上り陰陽家の賀茂忠行と子息保憲に師事し、陰陽推算の術を修め、天文博士、大膳大夫、播磨守等を歴任し、従四位上に叙されました。占いは百占奇中神の如しと称され、花山天皇の退位を予知し、大江山の鬼退治を指導した事は有名で、また職神(精霊)を自在に駆使したと伝えます。
▲安倍晴明公像と葛之葉霊狐の飛来像
▲安倍晴明公産湯井の跡
▲安倍王子神社
安倍晴明神社のすぐ近くにあります。
仁徳天皇の創建と伝えられ、
また一説には
往古より阿倍野を本拠とした
安倍氏の創建とも伝えられます。
熊野詣が流行した平安時代に、
京都より和歌山に至る道筋に
熊野九十九王子と称されたほど
たくさんの王子社ができ、
ここは阿倍野王子となりました。
▲安倍王子神社・本殿
ご祭神は、
伊弉諾命・伊弉冉命・素戔嗚命・品陀別命
このあと、
せっかくなので、
堀越神社まで徒歩で向かいました。
▲大阪市天王寺区にある堀越神社
推古天皇の御代、
聖徳太子により四天王寺七宮の
ひとつとして創建されました。
▲熊野第一王子之宮(堀越神社・末社)
堀越神社に行く途中、
天王寺公園内の「茶臼山」が
気になって帰りに
公園内も散策しました
自然いっぱいの広い公園を歩くのは
とても気持ちがよかったです
この赤い「和気橋」を渡ると
小さな小山、茶臼山があります。
茶臼山は、5世紀築造の
前方後円墳との説もありますが、
延暦7年(788年)に和気清麻呂が
上町台地を東西に横切る運河を
掘ろうとした際、茶臼山南側の
河底池はそのとき中断した
運河の跡で、茶臼山は残土を
盛った丘だとする説もあるとか。
大坂冬の陣で徳川家康が、
翌年の大坂夏の陣で真田幸村が
本陣を構えた場所にもなりました。
天王寺公園と通天閣って、
こんなに近かったんや!
と、ひとり感動。笑
大阪の南は、
あまり土地勘がないので、
思わず観光客気分に
なってしまいました
天王寺公園エントランスエリア
「てんしば」も、
またゆっくり来たいなあ
話は安倍晴明に戻りますが・・・
安倍晴明がさまざまな関わりを
持っていた花山天皇
(花山院・花山法皇)ですが、
10年ちょっと前に、
ある聖地巡りのツアーで
三田市尼寺にある花山院菩提寺を
訪ねたことがあって、
それを思い出しました。
西国霊場を再興した花山法皇は、
出家後41歳の若さで生涯を閉じる
1008年(寛弘5年)までの約14年間、
そのお寺で仏道修行に励まれたといいます。
花山法皇について、
陰陽師について
書きたいことはたくさんありますが、
今日はここまでにしますね。
いずれゆっくりと・・・
では、またね