さて。
本家コールドケースで、私が一番に印象に残っていた『17歳』のシナリオを、『名前のない殺人者』というタイトルで、つい先日放送されました。
これは、思い入れが強いだけに、ちょっと…独り言を述べたくなったので、久々に呟かせていただきます。
あらすじはこちら。
本家での犯人役はこの人。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/21/miyoco129/a6/e8/j/o1024076814678734124.jpg?caw=800)
名無しのジョン。
この人、自分のした事を棚に上げて、
『無事に見つかるといいんだけど…』
とか言っちゃってる所がサイコパスだし可哀想な人。
そして、日本版は
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/21/miyoco129/b2/dd/j/o1024076814678734146.jpg?caw=800)
山田太郎さん(仮)こと、クドカン。
ナイスキャスティング。絶対期待を裏切らない!
と思いました。
でも。
観進めるうちに
…ん?あれ?
という気持ちになってしまった。
『17歳』を観たときの、あの切ない想いにはなれなかった。
何が足りなかったんだろう?と思い、その後、『17歳』を見直してみた。
まずはですね
↓ここからはネタバレ含みます!
やはりですね、バスに乗り遅れた17歳の佐伯くんが、ヒッチハイク?することが不自然でですね…
本家では、プロムに行く途中、車がパンクしてしまい、そこに声をかけてきた犯人。
同じ不自然さから言ったら、やはり、彼からヒッチハイクするよりも、山田さん(仮)の方が『送っていこうか』と声をかけたほうがしっくり来たかな…
あとー
本家では、犯人が不治の病。脳と脊髄に病気があり、徐々に体が蝕まれていく。
日本版では、HIV。
私的には、HIVか…(;´・ω・)
という感じでした。
そして、スコッティ高木が詰問する場面でのあのセリフがない事に気が付く。
言葉のチョイスがどれだけ大事なのかが分かりました。
私はこのシーンの
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191215/21/miyoco129/66/d8/j/o1024076814678734166.jpg?caw=800)
『あいつらが、永遠に生きているつもりだからだ!』
と叫んだこと。
確かに自分が17歳のころは、永遠に生きているつもりだったし、無敵と思っていたし、死ぬなんて微塵も思っていなかった。
そのあとのリリーと犯人の会話の中の、
『永遠に死なないと思っていた頃は一番幸せだった』
『死なないと信じてた』
というくだりが、やっぱりグッと来た。
『私は覚えてる。冬の寒い日、誰もいない道で、自転車の練習をしてたの。すっかり暗くなるまで。覚えてる。顔に風を受けて、目を閉じると、突然飛んでるみたいな感じがした。彼らが憎いのは死なないと信じているからじゃない。昔は自分も信じていたからでしょ?思い出した?』
とリリーが話すシーンは、自分の17歳のころを思い出してキューってなります。
何度観ても。
だけどね。
私も分かってはいるんです。
日本人の心情として、そのような言葉のチョイスはしないとか、こんな風に自分語りをしないだとか、きっと設定から何から、考えてのものだということを。
それでも、仕上がりとしては、世界観を踏襲していないわけではないので、好きです。
日本版の、あの生き残れた少年とおじさんとの関係性も好きだし、ラストに
Swallowtail Butterfly ~あいのうた~
を持ってきたのもやるなーって思ったし。
を持ってきたのもやるなーって思ったし。
うわ、すっげ長くなっちゃった。
とにかくね、どこかに吐き出したかったんです。
誰か共感する人、世界中のどこかに一人でもいればいいなぁ(*‘∀‘)と思いながら締めます。
これからの各エピソードも楽しみにしています。
また、私の思い入れのあるエピソードが日本版でも放映された場合は、またブログにするかもしれません(笑)
ではでは。