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私の母の胸には、シコリがある。
大きさは、2.5cmと1.5cm。(2007.07.24)
約1ヵ月後、手術をする事になりました。

がんばれ!!!お母さん!!!

このブログは、母の毎日の観察と、
家族の日々を残していこうと、日記の目的で立ち上げました。

なので、コメントや足跡は受け付けておりません。
ご了承ください。
もし、何かありましたら、メッセージを送ってください。

よろしくお願いします。


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母入院

8月31日に母が成人病センターへ入院した。
思いっきり晴れの日でした。

私が免許取れてすぐの事。

7月17日に初めて成人病センターへ行き、
病理検査を受けた。
乳癌と診断されてから約1ヶ月後。

入院までは最低でも1ヵ月半ほどかかると言われていたので、
前日にかかってきたその電話に、母の血圧はマックス!!!!

顔は真っ青!!

私は、入院前日、元職場に顔を出す約束をしていた。
ちょうど何も用がなくて、ゆっくり時間があったので、
家から職場まで2時間、歩いて向かっていた。

携帯はマナー。
ふと、トイザラスに立ち寄り、携帯をチェック。
目を疑った。母からの着信数が異常!!!

すぐに電話した。
その声は小さくて消えそう。
「入院が決まった。ごめん帰ってきて。」

すぐに帰った。

血圧が150に上がったお母さんが寝てた。
薬を飲んで落ち着いたらしい。
ホッ。





次の日、
タクシーで病院へ向かう。
道中、母は不安そう。ずっと手を握っていた。
その手は暖かくて、力んでいた。
この先、何が待っているのか。
不安で不安で仕方ないのだと思う。私も不安だ。
大丈夫という言葉が、何の効果もなくなるほど、この1ヶ月で色々調べた。
良い事も悪い事も、一緒に本を開き、パソコンで検索し、
結果には個人差があると言いながらも、調べずにはいられなかった。

病室に入ると、母は同室の方に自己紹介を始めた。
強い。頑張ろうという気持ち。
その力強い言葉に私が背中を押され、目頭が熱くなった。


まいった。

お母さんなら大丈夫。

きっと乗り越える。

癌に勝つ。

私は弱いなあ。  でも、がんばるよ。

お母さんの子供やからね。


手術は、明日6日9時から。
月曜日に主治医の先生から手術に関して説明があった。

マンモグラフィや、エコーなど、検査結果を見せていただいた。

乳房温存術も可能だという事でしたが、母の希望で全切除。
左乳房全切除、左リンパ節郭清。

通常は、リンパ節生検という、リンパ節を一部を取り出す検査をして、
リンパ節転移がないかどうかを調べる。
ただ、母の場合は、しこりの大きさが、2cmを超えているので、リンパ節も取る。
(※リンパ節を全部取る事を、リンパ節郭清というらしい。)

リンパ節を取った場合、
取った側の腕がむくんだり、しびれたりする事があるらしい。
(※このむくみを、リンパ浮腫という。)

リンパ浮腫

術後、マンマ体操やリンパドレナージというマッサージなどをする。
昨日ビデオを見せてもらった。

症状の出方や時期には、個人差があるようなので、
マッサージと体操を毎日かかさず行う事が大事!!!

よし!!!明日は手術だ!!!

抗癌剤

今日も暑い。
昨日から、40度を超える猛暑晴れ

16日の夜、母が目眩を訴え、脳神経外科へ。
夜中で主治医の先生はいなかったが、当直の先生が診てくださった。
CT撮って、脳を見る。
脳に異常はなかった。ホッ。
血圧が、上 170!!







ところで、抗がん剤について。
副作用の強い薬という事しか知らない。

ペルーでも地震

1ヶ月前、7月16日午前10時13分
新潟県中越沖で、マグニチュード6.8の地震が発生した。
死者11人、家屋損壊は約3万8500棟。
被害に遭われた方々に、心からご冥福と、お見舞いを申し上げます。

そして、今日8月16日午前8時41分(日本時間)
南米ペルーの太平洋岸で、マグニチュード7.9の地震が発生した。
死者366人以上、負傷者多数。
病院やホテルなども数棟損壊しているようだ。
被害に遭われた方々に、心からご冥福と、お見舞いを申し上げます。

募金や支援物資など、私にもできる事はある。

今日も暑い。
月曜日には全国で雨が降り、その後は気温も低くなるそうです。

温暖化が進んでいる。

地球温暖化の現状は、一般に知られているよりずっと深刻な問題です。
地球温暖化とは、「温暖化ガス(二酸化炭素など)が大気中に増えることによって
地球の平均気温が上昇する現象」です。

温暖化ガスは、光は通すが熱を蓄える性質を持っているため、
温暖化ガスが増えることは地球が大きな温室の中に入れられたような状態になることを意味しています。
温暖化ガスの大部分を占めるCO2(二酸化炭素)は、
私たちの家庭で使う電気、ガス、ガソリン、灯油などを消費することによって発生しているのです。

最近、昔に比べて夏は暑くなり、冬も暖かくなってきていますよね。
でもこれでも50年前に比べると、わずか 0.5度 しか暑くなっていないのです。
しかし国連の機関(IPCC)の最新報告では、「今後100年で、最大5.8度の気温上昇」が予測されています。
今後の100年で、50年前に比べて約10倍以上の気温上昇が予測されているのです。

気温上昇により南極などの氷がとけることで数メートルの海面上昇が予測され、
ツバル、モルジブなど数十カ国で国土の大半が水没することも警告されています。
日本でも海面がおよそ1メートル上昇するだけでも砂浜の8割が消えるばかりでなく、
水没域の東京、大阪など都市部を中心に90兆円の資産が失われるなど、
大きな被害を受けることが予測されています。

更に、地球温暖化によって引き起こされるもっとも重大な問題は、
私たちが生きていくために必要な水や食料が世界的に不足してくることなのです。
2025年には、日本を含む世界人口の大半にわたる約50億人が水不足になると予測されています。
今後100年以内に、中国で米の収穫は8割減、
ブラジルやインドでの小麦などの収穫が大幅に減少するなど、
深刻な食糧不足が警告されています。
そして世界ではすでに干ばつや洪水が多発しはじめており、
こうした気候変動や水不足・食糧危機の兆候が現れ始めています。

食料自給率が先進国中「最低」の日本は、食糧の大部分を他国からの輸入に頼って成り立っています。
世界的な食糧の枯渇が予測されている今、日本は食糧危機の危険性のもっとも高い国のひとつなのです。

1977年の温暖化防止京都会議では、先進国全体で約5%の温暖化ガスを減らすことが決められました。
しかし地球レベルでの温暖化を防止するためには、
全世界は60~80%の温暖化ガスの排出削減が必要です(国連IPCC報告書)。

京都会議以降、EUは2020年までに15~30%、長期的に60~80%削減する環境計画を発表しました。

すでに、ドイツは18.5%、イギリスは14.5%の削減実績をあげ、着実に温暖化対策を進めています。

しかし、世界の国々よりも10~100倍も多くCO2などの温暖化ガスを出している日本の削減目標は、
わずか6%。しかも現在では減らすどころか、7.4%近くも増えています。

家庭からの排出は30%増加!
つまり・・・トータルでは13.4%以上をこれから削減しないといけないことになります。


地球温暖化防止京都会議

京都議定書の骨子(外務省)

京都議定書の概要

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ちなみに、最近気になる建物。

スパイラル

三井不動産様ホームページより。
2008年2月完成予定
地上36階・地下3階

モード学園・ハル・医専

名古屋に建つ。
興味のある建物。

終戦記念日

太平洋戦争
1941年12月8日 ~ 1945年8月15日

第二次世界大戦(WWII)の太平洋戦域版名称。
アジア・大平洋方面における、
日本とアメリカ・イギリス・オランダ・中華民国等の連合国軍との戦争。
1941年12月8日の真珠湾攻撃によって始まり、
1945年8月15日のポツダム宣言受諾によって終了した



日清戦争(*1)、日露戦争(*2)で勝利を重ねると、
日本は自らを世界の五大海軍国の一つと自認するようになり、
その自信ゆえに道を踏み外していきました。
そして、日中戦争(*3)の開戦で、
日本は本格的にアメリカ・イギリスを敵に回します。
アメリカによる石油の対日全禁輸という経済制裁を受けた日本は、対米開戦を決意しました。
太平洋戦争は、海軍のハワイ真珠湾攻撃と、陸軍主体のマレー半島進攻で幕を開けました。
海軍の真珠湾攻撃は、強烈な一撃を与えてアメリカの戦意を喪失させるための作戦でした。
一方、陸軍の南方作戦の目的は、東南アジアの豊かな天然資源、
特にインドネシアの石油を手に入れることでした。
着々と領土を広げる日本。
日本の領土は国力を超えて広がろうとしていました。
当初、日本軍はアジア各地で解放者として歓迎されていました。
しかし、日本も西欧諸国と同様に、
資源と労働力を求めているだけだということが明らかになると、
その熱も冷め、ゲリラ運動が盛んになる地域も出てきます。
日本は、ミッドウェー攻略を一大決戦として計画します。
ミッドウェーでの勝利によってアメリカと講和を結ぼうというのです。
綿密に計画されたミッドウェー海戦ですが、
事前に暗号を解読したアメリカの待ち伏せによって日本軍の完敗に終わりました。
しかし、海軍は偽りの戦果を発表、敗北の真実を明かしませんでした。
南太平洋の一角、ソロモン諸島最大の島ガダルカナルでは、
アメリカに奪われた日本の航空基地奪還作戦を続けていました。
周辺の制空権・制海権は完全に敵に掌握され、食料補給すらできず、
次々と将兵は力尽きていきます。
しかし、軍指導部は責任追及を怖れ、「撤退」を言い出すことができずにいました。
ニューギニアはガダルカナルと同じ海域にあり、同じ時期に始まった作戦でした。
この時期アメリカはヨーロッパ戦線にめどが付いたため、
余裕のできた戦力を一気に太平洋戦線へ転用、
要所を押さえ、フィリピン攻略を目指して島を去っていきました。
しかし、日本軍の兵士たちに作戦中止命令は下りず、
彼らは緑のジャングルに終戦まで残されました。
開戦当初、戦備の充実に国力を傾けてきたアメリカが攻撃を本格化し、
次々に太平洋上の島々を攻略していきます。
劣勢に立たされた日本は戦略の立て直しを余儀なくされ、
敵の進攻を食い止める「絶対国防圏」を設定します。
日本軍が緒戦で手に入れた重要拠点ビルマでは、
連合軍の反攻が始まると、敵の拠点インパールの攻略作戦を決行します。
しかし、補給はほとんど届かず、食料も弾薬も底をつき、
インパール作戦は完全な失敗に終わります。
そして、日本軍はビルマから撤退、アジア全域でも追い詰められていきます。
米軍はフィリピンを目指しました。
石油の供給を死守するために、連合艦隊は総力を上げてフィリピン沖海戦に挑みます。
しかし攻撃の主力である栗田艦隊がレイテ湾突入を目前に突如転進、
作戦は失敗に終わります。
連合艦隊は事実上壊滅し、日本はフィリピンを失いました。
アメリカ軍の沖縄上陸。
あらゆる特攻兵器が投入され、戦艦「大和」も特攻で沈みます。
十万を超える沖縄県民が犠牲になりました。
そして、広島、長崎への原爆投下。
日本は、ポツダム宣言の受諾を決定します。
その翌日、玉音放送が日本中に流され、太平洋戦争は終わりました。



*1 日清戦争
1894年8月~1895年3月
日本の近代史上、初めて経験した対外戦争。
原因は朝鮮半島にあった。
当時の世界は、帝国主義の世界であった、
列強の陰謀と謀略が他国に対する意思であり、
侵略が国家の欲望であると言われた時代であった。

*2 日露戦争
1904年2月 ~ 1905年9月
日本では、三国干渉による遼東半島還付以後、臥薪嘗胆という言葉が流行した。
「日露戦争の原因は、満州と朝鮮である。
満州を獲ったロシアがやがて朝鮮を獲る」
日露戦争にもし日本が負けていれば、
朝鮮はロシアの所有になっていたことは、間違いが無い。
日本は、朝鮮半島を防衛上のクッションとして考えるだけでなく、
できれば市場とにできればとも考えていた。
19世紀末は帝国主義による世界分割が激しく、
東アジアでは、日清戦争に敗れた清に対して列強が支配地を拡大していった。

*3 日中戦争
1937年7月 ~ 1945年
満州事変以後、満州を支配した日本は、更に華北への侵略をはかった。
これに対して、内戦をつづけていた毛沢東らの中国共産党は、
介石(しょうかいせき1887~1975。中国の政治家・軍人)
らの国民政府に内戦の停止をよびかけ、抗日統一の機運が高まってきた。
1937年7月、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争が始まった。
近衛文麿内閣は、戦争不拡大の方針をとったが、軍部はこれを無視、
首都の南京を占領し、戦線は華中から華南にも広がった。
中国共産党と国民政府は抗日民族統一戦線を結成し、
国民政府は重慶に移り、徹底抗戦を唱えた。
アメリカやイギリスなどは、中国を援助し、戦争は長期化していった。
日本は1933年に、国家総動員法を制定するなど、戦時体制を強化したが、
戦争は解決のつかないまま泥沼化していった。
そして、1941年の太平洋戦争へと突入し、1945年日本の敗北に終わった。

診察

今日は、成人病センターにて、
全身麻酔の為の検査と診察がありました。

お盆なので人が少ないかと思いきや、
普通に人でいっぱい!!!

先生は、お盆休みとかないんかな。

ありがとう。
なんて言ったら満足に感謝できますか?

午前中、呼吸機能の検査をして、昼から診察。
脳神経外科の先生からの手紙を手渡し、
手術は問題ないでしょうと書いてありますとの事。

併せて、先日から受けていた検査の結果が出ていた。
心電図、胸部レントゲン、腹部エコー、採血、止血、採尿、呼吸機能
ともに良好。
数値上は全身麻酔も全く問題ないでしょうとの事。
母は、くも膜下出血の時に、全身麻酔で手術を受けているので、
大丈夫や!と思っていたらしい。
ともかく良かった。

しこりの大きさも変化ないそうです。

次は、28日。
なるべく早く順番が回ってきますように!!!!!
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