近藤誠氏への批判⑤なぜ個別に反論するがん治療医が少ないのか | がん治療の虚実

近藤誠氏への批判⑤なぜ個別に反論するがん治療医が少ないのか

④話題性はあっても、実際に治療を受けている患者さんへの影響は軽微

今のがん治療を真っ向から否定する近藤誠氏の主張は、確固たる知識や経験があると信じている人なら実行できるだろうが、代わりの明確な解決策が提示されていないから、今受けているがん治療を拒否する患者さんは少数派だろう。

がん放置療法を提唱しているが、やり直しのきかない、あるいは実際に症状で苦しんでいる患者さんにとって現実的な選択肢とはなり得ない。
放置療法を選択できる勇気ある人が多ければ、別領域の話になるが夜間急病センターのコンビニ受診の問題などはもっと対処しやすいだろう。
医療は実際の治療目的だけなく不安解消の一面も大きな役目があるからだ。

⑤実際に氏の本を持って、担当医に挑む患者さんは少ない

もちろん前述のように担当医が説明を求められ、外来診療に支障を来したという話も少しはあるようだが、氏の著書に感銘を受けて専門家に訴えたとしても、まともに議論できるほどの知識はないため多くは無いはずだ。
本当に影響が出てくるようであれば、もっと医療現場で問題となるだろうが、そこまでの事態には至っていない。
がん患者さんも多くなり啓蒙活動もひろがっていることから、それなりに正しい方向性が認識されているのであろう。
しかし治療が功を奏さない例も少なくなく、治療のきつさから不満や疑問を抱いている患者さんも多い。そういった読者層を獲得して氏の著作は売れているのだろう。

⑥多臓器に渡るがん種の議論には反論しにくい

近藤誠氏は一部の例外を除いた固形がんに抗がん剤は効かないと一般向けに主張しているが、これに対してがん治療担当医が反論しにくいのには理由がある。
旧来の大学医学部研究室(教室という)は内科、外科などといった区切りでしきられていた。
最初から手術が無効な白血病などの造血器腫瘍は血液内科の専売特許で、化学療法を専門におこなう科という認識がある一方、肺がんや胃がんなどの固形がんは切除しないと治らないので、外科の病気とされていた。
つまり発生臓器ごとの科に分かれているが、診断も治療もその科でおこなわれているのが普通だ。

例えば子宮がんは婦人科で、喉頭癌などは耳鼻科で、手術も抗がん剤治療もおこなってきた。
ところが欧米では診断、手術は各科でおこなうが、化学療法は腫瘍内科が一括しておこなう。使う抗がん剤も副作用管理も似たようなものだから、薬物療法の専門家が行うほうが合理的なのは言うまでもない。
最近でこそ、日本臨床腫瘍学会ががん薬物療法専門医制度を創設し、造血器、呼吸器、消化器、肝・胆・膵、乳房、婦人科、泌尿器、頭頚部、骨軟部、皮膚、中枢神経、胚細胞、小児、内分泌、原発不明の全領域をカバーした腫瘍内科医の育成を進めているが、いかんせん日本では抗がん剤の導入が遅れたため教えられる教官が不足している。
外科の病気として認識されていたがんの化学療法を、従来の内科医が担当するのはかなりハードルが高い。また医師不足である上に、がんを含む全ての医学領域での進歩が著しいため、結局のところ各がん種を従来担当していた科がおこなうしか無い状況だ。

かつて上司だった臨床腫瘍学会のある大御所に、そちらの腫瘍内科では大腸がんの化学療法もしているんですかと尋ねると、「大腸がんなどは患者が多すぎて手が回らないから外科に化学療法をやってもらっている」とのこと。
今後は腫瘍内科が化学療法を全て担当するような方向になるだろうが、まだ時間はかかる。

ということで、通常現場のがん治療医の扱うがん種はある程度範囲が限られる。
となると評論活動の一環として広範な領域の論文を読み込んでいる近藤誠氏が、色々ながん種における抗がん剤批判をおこなった場合、全てにおいてまんべんなく反論できるがん治療医は少ないと推察できる。
がん放置療法とは違い、目の前の患者さんに最も適切な治療法を開発、あるいは提供するために時間を費やしているからだ。

さらにもともと学会という枠で議論するのが常道である医師にとって、一般紙上で議論することは相当に違和感がある。
ある医学テーマの白黒をつけるためには、がっちり固めた学問的ルールの枠内でおこなわないと誰もが納得できる理屈を構築できないからだ。
したがって、抗がん剤治療が無益だと認めさせたいのなら、氏は学会内で主張すべきだとほとんどのがん治療担当医は考えているはずだ。

つづく