アメンバー限定


限定にする必要はないんだけど私のブログ読んでくれてる人がいる事って嬉しいから
限定にしてみました。






生きている限り色んな事があります。
泣いたり笑ったり辛かったり悔しかったり

言葉は少ないので表現は乏しい。

大きく言うと陰と陽。


日中は光
夜は闇

小さな日本でさえ様々なニュース
もっと言えば自分の住んでいる所での出来事。
良いことから悪いことまで当然あるわけです。

それを陰陽とするなら人間にも当てはまります。

ちょっとどうかしてるぜ!と思う方が90パーセントだと思いますが生まれながら人の陰陽が何となくわかります。

小さい頃は相手の顔1つで何が言いたいか分かったものでした。


当時はそれがストレスでしかなく人の顔を見るのが怖くて怖くて。

必死にわからないふりを続けた結果、わからなくなることができました。

良かったのか悪かったのか。
今となったら後悔しています。

その頃は俗に言う『正夢』ならぬ『予知』もしてしまいました。

したかったわけではなく、勝手にです。

夢で『今日はある日なんだよ』とおじいちゃんが言うとひいおばあちゃんの亡くなった日でした。


夢で『帰れ!』と引っ張られたら愛犬が亡くなりました。


東京大都市である人の顔が浮かんでとっさに隠れた20秒後。

そのある人が目の前を通りすぎました。


でもそんな自分が嫌で嫌で、だんだん蓋をしたのでしょう。今はあまりありません。

忘れもしない7月。


数日後がお祭りなので浴衣が着たくなりお母さんに浴衣はあるか聞きました。

あるけれど送ってあげられないごめんね。
でも会いに来てほしい。

まあすぐにでも持ちに行けたので、って言うか会えるのに何故?と思いながら

結局お祭り当日母親に内緒で帰ったらビックリするかと思い人生でやったことのない『突然帰る』

といった行動を何故か

何故だか
またやってしまったのです。


車内で母親からメールが届きました。
『弟を守ってください、いい人生を送ってください』


なんだ急にと、どうしたのかきいても返信がありません。


電車で地元の中心街に着く一駅手前、弟から電話でした。
弟から電話が来ることはまずありません。
初めてでした。


『お母さんが倒れて運ばれたすぐに来てほしい』

むしろ次の駅が病院の最寄り駅だったので家族より先に病院に駆け込みました。

みんなは後から来たので何故先に居るのと言う顔でしたが、そんな事よりも緊急性のが勝ってなにも言われませんでした。

母親は意識不明。

父親曰く

ずっと具合が悪く今朝から病院に行って検査の予定がいきなり意識が無くなったと言う話。

具合どうのではなく


もう限界を越えた母親がそこにいました。

昨日まで普通に毎日メールしていた筈。
なにげない会話。

○○のテレビを見たよ。
いいねぇ。

野菜はこうやって切るんだよ。

風邪だと思ったら病院行きなよ。

必死に
必死に
また予知ができるよう

意識のない母親からなにか聞こえるよう必死に願いました。

何も聞こえてきません。
静まり返っています。

夢も見ません。

でも必死に話しかけました。

色んな事を言いました。

明日は○○の誕生日だよ、お祝いしなきゃだから起きてと言いました。

まぁ全部ちゃんと聞いていたのでしょう。




次の日に

帰らぬ人となりました。


倒れて9日後の事でした。

家族はとてつもない陰に包まれ
起こること起こること悪い事のみ。

今まで悪いものを全て母親が吸収してくれていたんです。
だから自分て運が良いなぁ!なんて大きな勘違いをしてのらりくらり。




母親は家族に回してはいけないと悪いものを溜め込みすぎて膨れてしまい1週間で20キロも体重が増えていました。病的に。
50キロの体重が70キロです。


それが永遠に出ることなく。


病名※心不全


心不全とは色々な原因の総合で起きる心臓停止という意味なので結局の原因は不明のまま。



人生の終盤を目の当たりにした気分で自分の部屋へ帰ると見たことのない着物が綺麗にかかっていました。

父親に聞いてもなんだかわからないけど最近買ってたよなんて言うもんで

どれだけお母さんに興味ないのとちょっとムッとしながら
お葬式前日。


思い出したかのように母親の行き付けの呉服屋へ一緒にいこうと出かけ

お馴染みの店員さんにあれはなんの着物を買ったのか聞くと

なんとまぁ
喪服でした。

言っておきますが母親は自殺ではありません。

自分の死期がわかっていたのでしょう。

もちろん40代、バリバリ現役主婦
若いです。

けど

私の部屋にあったそれはその日が来たら着てくださいとばかりの
全て道具も揃った


喪服でした。


私よりも遥かに色んな事がわかってしまうような人だったんですね。


今でも鮮明に思い出します。
7月になると思い出します。

2年前の事でした。

最近また人のことが
わかるようになってきたんです。


陰か陽か。


根本はあるんですが病気があるように人間の気持ちもどちらかに傾いてるんですよね。
陰になってしまったなぁと思ったら暫く会わなかったり連絡さえとらなかったりします。

まぁ風邪みたいなものかなと。

陽の場なり人なりにはスッと着いていきます。



そしてずっと思い出せない事がひとつ。
現実だったのか夢なのか

それさえもわかりません。

なにか忘れているのです。

この空間が生きている空間でないような気がするくらい何かを忘れてしまっていて。


たまに母親が教えてくれそうな夢があるのですが

全然分からないんです。
とっても重要な事なんです。


思い出したいけど思い出せないんです。


だからなんだって話ですけど
それを思い出したら人生そのものが変わりそうな位のものなんです。


ここまで軽く書いた文章

第三者的には

病院に行った方がいいんじゃない?って感じですね。私だったらそう思います。笑

でも病気ではないです。


ピンピン元気に生活しております。
心も生き生きしています。


今の仕事を始めたきっかけでもあります。

もしかしたらこれが思い出せる手段なんじゃないかなーなんて。

でもオーディションとか人にこんなこといったらふざけてるのか!と怒られるでしょう、だから始めたきっかけはあたりさわりなく、『15キロ痩せたからです!』と言ってるんですね。


ブログを始め
読んでくれる人が居て

応援してくれる人がいて

あれ?応援してくれてるの?

よし!頑張るね!
人生のパズルの1つ1つはここでも作られています。

それならば微力でも私ができること、みんなの気持ちを少しでも楽しくできる調味料になれるのなら幸いです。




結局なにが書きたいかってこのブログを読んでる人にちょっと私を知ってほしいなぁって甘えで書いたので嫌な気持ちになってしまったら削除してください。


大丈夫です、私は悪いものはうつしませんよ\(^o^)/


とりあえず最近また感覚が戻ってきたと言う勝手な報告でした。

いつか本にでもできたらいいなと。

これはほんの、ほんの一部なのでね。