自民党政権下での政-官関係は、単に官僚がすべて取り仕切っていたというような単純な話ではない。政治家はある一定の方向を示し、それに向けて細部を官僚が詰めていくという、相互依存的な関係であった。そして、冷戦下において、自民党の政治家が指し示す方向というのは、外交であればアメリカの「核の傘」に入るであるとか、内政であれば公共事業を通じた所得の再分配などであった。バブル崩壊や冷戦構造の崩壊、あるいはグローバル化の進展という状況が起こってくる90年代になるまでは、国が進むべき道筋については、明確なビジョンが存在し、それに異を唱える勢力は主流にはならなかった。であるがゆえに、自民党は長期政権を維持することができたのである。さらに、自民党が長期単独政権を維持したことによって、政治家、官僚とさまざまな利益団体の癒着が起こってしまった。
しかし90年代以降、いわゆる「55年体制」の前提条件が次々と崩れ去り、自民党の政治家自身も、明確な国家の道筋を見出すことができなくなった。そうした状況下で、民主党は「政治主導」を掲げて政権交代に成功した。当然、政治戦略として、民主党が「自民党は政治を官僚に任せてきた」というのは理解できるが、それは以上の概括的に述べてきたことからいって、事実ではない。問題は、政治家が「55年体制」の制度疲労を乗り越える明確なビジョンを示せなかったことであろう。であるがゆえに、「55年体制」下の政-官関係では、政治家が官僚に乗っかっているだけで、既得権益が再生産されるだけの「惰性の政治」となってしまったのであろう。
さて、鳩山政権は「政治主導」を目指した。その背景には、間違いなく上述した「惰性の政治」を変えたいという意思があっただろう。社会全体で進むべき進路が見えづらくなったことを受けて、主権者である国民が主体的に政治的決定を行う。そのために徹底して情報公開を行い、いままでのように「お任せ政治」ではなく、国民が「引き受ける政治」に転換を図ろうとしたのである。
問題は、「引き受ける政治」の前提となる情報公開の進展があまりなされないまま、「政治主導」というものが単なる官僚を外して政治家が政治を行うというものに矮小化されてしまったことである。本来、「政治主導」というものはこの「引き受ける政治」のための手段であったはずである。これは推測だが、民主党が「自民党は政治を官僚に任せてきた」と主張したのは、単なる政治戦略ではなく、本気でそのように思っていたからではないか。であるがゆえに、「政治主導」が単なる官僚外しというものになってしまったのではないか。
普天間移設をめぐる鳩山政権の迷走は、はっきりとこのことを示している。鳩山政権は、はっきりと日米安保体制のレジームを変革するビジョンを持っていた。それに向けて、上手に外交官に交渉させればよかったはずである。しかし、交渉から外交官をはずしてしまった。旧来のレジームに取り込まれることへの不安からかもしれないが、結果として事態は何も変わらなかった。むしろ、民主党政権になっても辺野古移設の声明を出してしまったことで、事態は悪化したと言えるかもしれない。
このように見てくると、やはり政治家はアウトラインを示し、官僚は細部の実務を行うというものが、あるべき政-官関係なのではないかと言わざるを得ない。ただ、自民党政権下のようなやり方が再び目指されるべきなのかというと、そうではない。自民党政権下には進まなかった情報公開をより推し進め(具体的にはザル法である情報公開法の改正)、公権力に対して国民のチェックが働くようにすることが急務の課題である。それこそが、「引き受ける政治」の前提だからである。
その上で、政治家が示すアウトラインとは何か、ということが問題となる。それは、旧来の自民党が行っていたような利益調整型の政治を超えたものでなくてはならない。すると、科学技術の分野で行われているような「コンセンサス会議」のようなものがヒントになるのではないかと思われる。社会の議論の蓄積が政治家のアウトラインを規定するということが、制度的に担保されるようになれば、デモクラシーが進展するのではないか。
最後の、これからのデモクラシーについては記事を改めて論じたい。