岡田茂吉の論文です

薬剤中毒

 病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思っているが、これが大変な謬(あやま)りである。薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させるだけの働きである。しかるに実際の治癒から言えば、前項に述べたるごとく、苦痛その物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するという事は治病の延期になる訳である。しかもそれのみではない。苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。元来、血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、人間は血液さえ純潔ならば、黴菌に対する殺菌力の強烈なるはこれも、前項に述べた通りであるから、病魔には襲われないのである。又血液純潔ならば、その人は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。現在非常に多い、神経衰弱等は、血液の溷濁(こんだく)が原因である。それらの多くは肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗(すこぶ)る多いのである。私が永い経験上、何年も薬剤を服用し、又は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能(よ)く判るのである。一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、すでに老人の皮膚のごとくである。かくのごとき人は、常に憂欝にして元気なく、これと言う病気が無いに拘わらず、何となく優れず、随って、年が年中、薬餌に親しむという具合で、本人は飽くまで、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、信じ切っているから、あちこちの病院を彷(さまよ)い、又は種々の薬剤を物色しつゝ、年を経る毎に、漸次、衰弱の度を増し、ついには、生命を失うまでに到るのである。嗚呼(ああ)、かくのごとき薬剤中毒者が、年々増加の傾向を認むるにおいては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、しかも、何人もこれに気が付かないというにおいては、人類社会の大問題である。私はこういう患者へ対して、薬剤中毒のいかに恐るべきかを教えるのである。幸にもそれを信じ、実行する人は、時日の経るに従い、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良くなり、胃腸は活力を益(ま)し、全体的健康は増進して来るのである。特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。これらはほとんど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないとか、ほとんど発育停止の状態なのがある。この原因は医師に判らないという事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。生後間もない嬰児には、乳以外他の何物も不可なのである故に、薬剤服用が非常な悪作用をするのである。故に、そういう嬰児に、薬剤使用を禁止するにおいて、漸(ようや)く普通の発育状態に還(かえ)るにみても間違いのない事である。次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大もしくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見るであろう。これは未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。それは、注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従い、血液自体の、不断の浄化作用によって、血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。そして、なお益々(ますます)、浄化せらるるにおいて、遂に膿汁と化するのである。その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。故にこの場合は、自然に放置しておけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自然に治癒するのであるが、この理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、その時、無痛等の注射をするに依って、その注射薬が又、いずれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切ると言う様な事を繰返すのである。しかるに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に医師は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行うのである。例の六百六号や、水銀療法等で、それら薬物が又、時日を経るに従い、膿汁に変化する。こういう膿汁又は汚血は、普通肩胛部、頸部に集注する性質がある。常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするという人は、そういう原因から来たのが多いのである。こういう患者が、偶々(たまたま)心配や過激に頭脳使用するにおいて、精神朦朧(もうろう)となったり、頭痛眩暈(めまい)等を起すのである。そうなると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのである。脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思い、恐怖心を起し、職業を抛(なげう)ち、廃人のごとき生活を送るものさえあるのである。嗚呼(ああ)、諸君、これは架空の話や小説ではない。実際である。私が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源である。即ち、始め単なる一本の予防注射が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者にまでされてしまうのである。何と悲惨なる事ではないか。かく、私が述べる事は、余りにも不思議と思うであろう。しかし、事実であるにおいて致し方がないのである。これらの真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事であり、政治経済以上の大問題である。
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