特別なSLスチーム号 -② / 京都鉄道博物館 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

特別なSLスチーム号 -② / 京都鉄道博物館


特別なSLスチーム号 -①では、FUJITSUならでわのエラーが起きて、後からブログを見て驚嘆そして落胆しました。

今回は箇条書きの追伸を書かずにいられるように、ちゃんと再確認して投稿するをクリックしたいと思います(笑)

さて前回からの続きですが、マイテ492 + 12系5両 + EF58 150による快速ふるさとは、JR誕生初年度の1987(昭和62)年と、翌1988(昭和63)年12月28~31日と1989(平成1)年12月28~31日にも運転されました。



基本的には山口線のSLやまぐち号を、夏休み期間中や運行開始記念日の8月1日を中心にマイテ492を増結して運転しており、稀に他線区のイベント列車において限定的に運用されていました。

ところが2009(平成21)年を最後に営業運転が行われておらず、近年は網干総合車両所宮原支所に留置されている状態が続いていました。

一説には国土交通省が非公式に木造車両の営業運転に難色を示したことから、クモハ12形電車やクモハ42形電車などと共に、ほぼ同時期に運転が見合わされたとも言われています。



公式には整備及び修理のための部品が調達不可に陥ったことから、経年による故障がちとなり安定的な安全運行が脅かされるためと言われています。

尚、木造車両と言うものの実際は半鋼製車両で、車体は鉄筋や合金で組み立てられ、内装が木材で組まれています。

さてこの写真ですが、8620形8630号機のテンダーの3軸台車と、マイテ49-2の3軸台車を撮ってみました。



石炭と水を積載するためのテンダーと、特急列車の1等車のための台車では、その目的が違うため構造が根本的に違います。

しかし現時点において線路上を走行できる現役車両として、機関車と客車の唯一の3軸台車でもあるので、工学的資料としては貴重なショットです。

それも定期列車の運用に就いていた時代には、マイテ49形を8620形は牽引していないばかりか、必ず展望車は最後尾に連結されるので、150年の歴史の中でこの時だけの奇跡でもありました。



3軸台車は2軸台車に比べて乗り心地が良いと言われていますが、今の最先端技術を駆使した台車と比べると、その良さは伝わりません。

戦前の板バネとコイルバネを組み合わせた台車の時代だからこその、そしてロングレールが使われていなかった時代の、衝撃と揺れに対して有効な台車でした。

そして国鉄在来線特急全盛時代の台車を吐く12系客車ですが、こちらもマイテ49形と対比写真を撮ってみました。



マイテ49-2はこの度、途中で静態保存期間があるとは言え、84年間の現役を終えて京都鉄道博物館の収蔵車両となります。

現役車両には法律で定められた自動車で言うところの車検がありますが、この法定検査のうち車両全体の大規模な分解を伴う全般検査を受けたのが2017(平成29)年です。

法的には全検期限が切れる2025(令和7)年なので、あと3年間は本線上で営業運転はできるのですが、博物館入りと言うことはもう2度と本線上で乗ることができなくなるという現実でもあります。



京都鉄道博物館には開館当初から、1933(昭和8)年に製造された食堂と2等座席の合造車から改造された食堂車 スシ28形や、マイテ49形と同じ1938(昭和13)年に製造された皇室・貴賓客用の1・2等寝台客車のマロネフ59形、1955(昭和30)年に急行用客車を軽量化したオハ46形が在籍しています。

トワイライトエクスプレスはスロネフ25形とカニ24形が収蔵されているものの、ブルートレインの20系客車と24系客車には列車名を掲げるナハネフ22やオハネフ24が存在しません。

花形不足な京都鉄道博物館において、この度のマイテ49形の収蔵は新たな魅力の登場となり、花形不足を補うには十分過ぎるスーパースター誕生と言ったところでしょう。



今後のマイテ49-2の保存展示方法はまだ明かされていないものの、今回の特別なSLスチーム号の案内では、これが実質ラストランと思われます。

ラストラン期間の10月6日~10日に牽引を務めたのは、鬼滅の刃 無限列車のモデルにもなった8620形でした。

8620形は1914(大正3)年に登場した日本で最初の量産タイプの旅客用蒸気機関車で、次世代機のC型蒸気機関車が誕生するまで、急行列車や特急列車を牽引した名機です。




マイテ49形が誕生した1938(昭和13)年では東海道・山陽本線での優等列車の牽引を8620形は引退していましたが、今回の特別なSLスチーム号の担当機としては適任だったかも知れません。

京都鉄道博物館に在籍する蒸気機関車でマイテ49形を連結する特急編成を担当したことのあるのは、C53-45号機・C59-164号機・C62-1号機・C62-2号機です。

C53形・C59形とC62-1号機は静態保存機、スワローエンゼルことC62-2号機は現在オーバーホール中で、代役機となるとC61-2号機も相応しく思えますが今は休車中で復旧の目途は立っていない状況です。


C56-160号機はやまぐち号時代にC57-1号機と重連でマイテ49-2を牽引したことはありますが、かつて特急列車の1等展望車のラストランとなれば、やはり牽引機も特急用旅客機を使いたいところです。

ただ、7100形 義経がマイテ49形を牽く姿も、鉄道ファンとしては見てみたかった気もしたりします。

何せ鉄道開業150周年記念ですから(笑)

 

ただ個人的な思いとしては、これでラストランなのならやはりC62-2号機とのコンビを見てみたかったとの、残念に感じる気持ちも心の片隅に残ります。


戦後ニッポンの復興の証しだった特急へいわ、そして特急つばめのゴールデンコンビですものね。


と言うことで特別なSLスチーム号 -③へ続きます。


広島ブログにほんブログ村 鉄道ブログへ
Please follow the blogx