HiroshimaTrain etSETOra / 桜咲くM字カーブを境内から
いつも踏切から撮る草津のM字カーブですが、八幡宮の桜を撮りに行ったので、今回はM字カーブを境内から撮ってみました。
ここからだと山や家屋に隠れて、力煎踏切からいきなり現れますが、夕陽に照らされた幸神社の大銀杏の佇みや、線路ぎわの菜の花と屋根からチラっと見える桜が好い雰囲気を演出してくれます。
そして続いての踏切が普段撮っている仙洞踏切で、踏切反対側の右手は1階が昔スーパーだった建物で、左手は元毛利家家臣が始祖の小泉酒造所です。
毛利家の家臣と言えば数百年前は私の血筋もでして、高杉晋作を幕末に輩出した高杉家も、数百年昔当時、親戚筋でした。
さて、後追いの写真を並べてみましたが、隙間からかなりムリして撮っています(笑)
客観的には約124年前の敷設の折りに、江戸幕府が開府した時に草津城は廃城となっているものの、トンネルとせず切り通しにしたのか腑に落ちていないのですが。
写真を撮るには、この切り通しはありがたい景観で、だからこそのM字カーブだったりしてくれています。
さて、冒頭からの境内からの写真は3月26日の撮影ですが、この4枚は1ヶ月前となる2月27日の撮影です。
桜の写真つながりで今回一緒にUPしたのもありますが、境内からの写真8枚目の位置が、この城西側で撮った写真の1枚目となります。
115系終焉の頃から、いつか連続で写真をUPしてやろうと思いつつ、やっとエトセトラで果たすことができました(笑)
きっかけを作ってくれた桜の花は、さすが幸坐(さ・くら)の木と言えそうです。
さて、続いてのラストまで続く5枚は、再び八幡宮の境内からですが、撮影したのは3月27日です。
前日も当日も暖かかったので、夕方近いエトセトラの時間には、かなり蕾は開いてくれていました。
前日と同じく力煎踏切から写真は始まりますが、線路際の桜と小泉酒造敷地内の桜が満開近くなっていたので。
写真を撮る立ち位置が違うため、力煎踏切の桜は屋根の陰へ隠れてしまいましたが、桜に挟まれてのサイドビューと、八幡宮の桜を手前に小泉酒造の桜を奥にも挟んで撮ることができました。
ただ、桜に挟まれたサイドビューは115系終焉前にも撮っているのですが、その頃より花の密度が薄くみえるのですけど、これから咲くのか木の勢いが衰えているのか・・・・気になる所です。
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マフィア役が似合いそうな芸能人といえば
今日はマフィアの日。
但し、マフィアそのものの記念日と言う訳ではなく、マフィアということばの由来に因んだ、人権という概念が確立する以前の、民族差別暴動事件を記念した日です。
フランス南部やイタリア北部に積極的な勢力拡大を行い、東ローマ帝国を侵略しようとしたカルロ1世(シャルル・ダンジュー)は、その足掛かりにローマ教皇の支持を得てシチリア王国を征服していました。
1282(弘安5)年3月30日に、アンジュー家の一部の兵士たちが、パレルモでシチリア人女性に暴行し、それに怒った住民が暴徒化しました。
この婦女暴行事件がきっかけとなり、暴動はシチリア全土に拡大して、4000人ものフランス系の住民が虐殺されました。
この一連の事件をシチリアの晩鐘事件(Vespri siciliani = シチリアの晩祷またはシチリアの夕べの祈りとも言う)と呼ばれます。
その時の合言葉が『Morte alla Francia Italia anela = 全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫びだ』で、この単語の頭文字を並べると『M・A・F・I・A』となり、このことばを旗印に反政府活動が継続されました。
同年8月には、シャルルによって暗殺されたシチリア王の娘婿ペドロ3世が、アラゴン王国より軍勢を率いてシチリアに上陸。
シャルルの軍勢を破り、シチリアの王位に即位することで、シチリア人の手にシチリアの主権を取り戻しました。
さて、マフィア役が似合う人・・・・ジローラモ?(笑)
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ゑ |