瀬戸内マリンビュー・2019 -⑦ | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

瀬戸内マリンビュー・2019 -⑦


いよいよ22日で終焉を迎える、瀬戸内マリンビューです。

寝起きは相変わらず耳鳴りが爆音ですが、起きていると耳を澄ませてみたら鳴ってるなぁ~ぐらいまで回復したので、ずっと心に引っかかっていたことを、果たしにお出かけしました。

当日は"私が休み" + "天気が好い" + "時間帯に満潮"が重なって、麗らかな時間を過ごしました。




元々は前々回の日曜日・8日にお出かけしようとしたのですけど。

天気予報は晴れとなっていたものの、家を出ようかとしている時間は雲が多くて、空はグレー一色だったので、何となく気分が乗らなくてダラダラしてたら、予定の列車に乗り遅れてしまい。

瀬戸内マリンビューより先回りができなくなってしまったので、広島駅の愛宕踏切で撮ることにしたのですが・・・・うーん、逆光がぁ。





15日はまずどうしても撮りたかった、忠海駅付近の波止場の堤防から、鉄橋を渡る姿を写真に収めます。

しばらく山影を走り、やがて反対側に現れたら海沿いを走るので、その間に1年振り以上ご無沙汰で持参した、長玉系のズームレンズに交換して撮影しました。

12月中旬だと言うのに、美しい海とまだ存在していた紅葉・・・・大きな船も通るし。




この3枚は11月9日に尾道駅から瀬戸内マリンビューに乗った時、車内からロケハンしながら到着した忠海駅で撮りました。

この後、波止場以外のめぼしい撮影場所を散策したのですが、残りの運転回数から考えて『もういいや』と(笑)

案の定、撮影にお出かけ可能な日では、この日が最後の好天で、その後は病気養生もしたし、12月15日まで瀬戸内マリンビューとはお別れでした。





忠海で撮影した後、追っかけして備後赤坂へ向かうつもりでしたが、あまりにも気分が好いので、その昔"急行安芸"の撮影名所だった安芸幸崎へと移動してみました。

何度も言いますがホント天気が好くて海がキレイで麗らかだっのですが、そこはやはり12月なので海風が冷たいんですよ。

移動時間を差し引いて、海を見ながら待つこと約2時間、14時46分頃に瀬戸内マリンビューは颯爽と駆け抜けて行きました。




こちらの写真は再び愛宕踏切です。

ちょうど良いタイミングでN700系が現れてくれたのですが、何かあまり存在感が現せられませんでしたね。

でも8月の瀬野川橋梁以来、ずっと駅撮りばかりだったので、久しぶりの走行写真は楽しかったんですよ。





さて、ラストは三原駅の新幹線乗り換え改札前に置いてある、瀬戸内マリンビューの・・・・何だろう(笑)

恐らく、呉線全通80周年でせっかく製作したのだから、壊すの勿体ないので観光客向けモニュメントとして"三原やっさ号"のヘッドマークを特製して、飾っているのだと思います。

でも観光客には人気で、家族連れで旅行されている方が記念写真を撮ったり、子どもの写真を撮ったりしていました。

今からかなり以前、三原やっさ号は115系で運転されたことはありましたけど、キハ40系や瀬戸内マリンビューで運転されたことはありません・・・・が、でもこれはこれで何かかわいいですね。

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クレープの日


さてメニエルですが、前述の通りもうほとんど回復してて耳鳴りも静かになってたんですよ。

ところが昨日から再発したようで、今回は仕事を休むほどではないのですけど、ちょっと辛いです。

この記事は既に作成済みで書込み予約していたものなので公開しましたが、またしばらく更新と訪問は、お休み致します。

ー追伸ー

今日は12月22日。

瀬戸内マリンビューのラストランです。

メニエルの症状も仕事ができる程度なので、呉駅辺りで見送ろうかな?と、思っていたんですけど。

風邪を引きまして、熱が39.5度という状態に陥りました。

189系の時には豊田や長野まで行ったのに、地元のラストランには行けないなんて、何かムカつきますけど。

このムカつきは、熱による気分の悪さであるのも事実です。

瀬戸内マリンビューは基本、広島~呉~三原を結ぶ観光快速列車でしたが、最後は尾道までの運転区間となりました。

2017(平成29)年には2日間限定で"瀬戸内マリンビュー47号・48号"として福山まで運転されたり、2011(平成23)年には1年通して宮島口発着の"清盛マリンビュー"として運転されました。

記憶に新しいのは今年の10月には、西日本豪雨災害で寸断されていた芸備線の復旧記念として、広島~三次間を走りました。

普段の暮しもあるので、その全てを網羅して写真を撮ることはできないのも、人生なのかな?

フィルム時代の瀬戸内マリンビューの写真は、広島駅で撮った1回分しかUPしていませんが、やはり地元の観光列車なので、約15年も運転されると、いろいろな思い出があります。

一緒に乗った人のなかには、結婚して新しい人生を歩いている人もいれば、もうこの世にはいなくて、2度と姿や笑顔を見られない、声も聞くことができない人もいます。

そんな思い出を胸に、最後となる今年は可能な限り瀬戸内マリンビューを撮っていたのですが、まさか風邪引き高熱でラストランを見送れないとは。

ちょっと無念に感じる部分もあるのは、正直な気持ちです。

最後は会うことができませんでしたが、ベッドの中から贈る言葉を追伸として、記してみました。

来年、改装された新しい姿"etSETOra"になって、会える時を楽しみにしています。

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