D51ー214 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

D51ー214


JR貨物の広島車両所にはD52ー1号機が静態保存されているのは有名な話しですが。

正面ゲートを入ってすぐ、左手にはD51ー214号機の動輪が保存展示されています。

動輪は第1から第4までの全輪で、走行装置一式が完組されたレリーフとなっています。



説明書きには、以下のように記されています。

【広島工場は、昭和18(1943)年3月23日創立以来蒸気機関車工場として歩み続け昭和48(1973)年9月17日D51214号の中間検査完了出場をもって蒸気機関車検修を終了しました。

この間≒30年出場した蒸気機関車は9214両におよぴ奇しくも最終定期検修車D51214号は、この両数の下三桁と同じ214でした。



本州における蒸気機関車最終受持区となった長門機関区は昭和50(1975)年1月をもってその運用を終え、広島工場における蒸気機関車の廃車処分もこの年3月をもって完了しましこのときにあたり、広島工場職員一同の力によりここに最終出場機関車D51214号の一部を永遠の記念として残すことになりました。】

では、久しぶりですが恒例の履歴書を綴っていきます。

D51ー214号機は1938(昭和13)年12月26日に新製No.04として国鉄鷹取工場で完成後、名古屋鉄道監理局・米原機関区へ配属されました。



ちなみに山口線で"SLやまぐち号"を牽引しているD51ー200号機は1938(昭和13)年9月30日のデビューなので、214号機は約3ヶ月年下となります。

さて214号機ですが、1939(昭和14)年7月27日から8月18日までの間、岡山区へレンタル移籍となります。

続いて1941(昭和16)年11月10日から12月14日の間、今度は敦賀区へレンタル移籍となります。



1944(昭和19)年6月2日には新津区へ転属となり、同年10月4日には広島第一区へレンタル移籍し、そのまま11月22日付けで正式転属となります。

終戦は広島で迎えましたが、運用の関係から被爆はしていないようで、1945(昭和20)年12月20日付けで広島第一区から広島第二区へ配置替えとなります。

そして広島では約4年を過ごした後、1948(昭和23)年6月21日付けで正明市区へ転属します。



1949(昭和24)年5月11日から28日まで下関区へレンタル移籍となりますが、正明市区時代は大人しく山陰本線で活躍します。

1962(昭和37)年11月1日付けで正明市区は長門区と改称。

1968(昭和43)年3月1日から3月16日の間、広島区へレンタル移籍しますが、1975(昭和50)年1月24日付けで廃車となり29歳24日の生涯を閉じました。


D51214

生涯走行距離=275万8,257.2kmでした。

ラストの写真は、いつものようにJE2DLMさまの『インデックスD51』から拝借致しました。

静態保存機の写真は全てUP済みですが、保存動輪のものは多数眠ったままなので、折を見てまたUPしたいと思います。

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