C62 C61・京都鉄道博物館 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

C62 C61・京都鉄道博物館


山陽本線は岩国以西と瀬野以東、呉線も芸備線も寸断されて、広島からは線路がどこにもつながっていなかった2ヶ月間。

やっと岩国以西が復旧して、新山口・下関・九州と広島がつながりました。

この災害の影響で、牽引する機関車を回送することができずに、運転を取り止めていた『SLやまぐち号』ですが、今月29日の土曜日から、山口線で運転を復活する予定ですが。



広島に閉じ込められていたD51-200号機も、新山口へ回送することが可能となりました。

さすがに9日は復旧初日であることと、豪雨の真只中だったので、まだ広島へ待機したままでしたが。

約130kmの距離を回送で走るための、点検や整備を受けて一昨日(10日)には早速、EF65-1132号機に牽かれて新山口へと帰って行きました。



D51-200号機による"やまぐち号"の復帰運転初日では、特製のヘッドマークが付く・・・・らしいです?

今頃は、本線営業運転に向けて、しっかりと点検・整備が行われていることでしょう。

少しずつ少しずつ、普段の当り前に戻りつつあります。



さて、今日の記事は京都鉄道博物館(梅小路蒸気機関車館)での、C62とC61の写真をUPします。

冒頭の写真はC62-1号機とC55-1号機の並び・・・・定番ですね。

そしてD51-200号機の話しを進めている最中に、ずっと列べている写真はC62-26号機です。



1948(昭和23)年10月にD52-46号機のボイラーを転用し、川崎車両兵庫工場にて製造№3159として落成。

10月8日に広島第2機関区へ新製配置。

ダイハツ工業製の自動給炭機(ストーカー)は、製造時に標準装備されました。



1950(昭和25)年7月29日に名古屋機関区へ転属しますが、東海道本線米原電化に伴い、1955年7月20日付けで宮原機関区へ転属します。

しかし宮原区では短期間の所属で、1956(昭和31)年11月には梅小路機関区へ転属となり、その時にボイラーを新製交換します。

1958(昭和33)年5月に東海道・山陽本線の電化が姫路まで達したことにより、5日付けで下関機関区へ転属。


東海道新幹線の開業した1964(昭和39)年10月1日付けで広島運転所へ転属となり、1年間呉線で任務をこなした後、1965(昭和40)年10月5日付けで糸崎機関区にて廃車となりました。

更に1年後の1966(昭和41)年10月に、大阪市交通科学博物館にて静態保存され、2015(平成27)年8月から梅小路蒸気機関車館に移設、2016(平成28)年4月29日の京都鉄道博物館落成に伴い現在地=プロムナード入口近くにて80系電車・0系新幹線と並べて公開展示されています。

C62型蒸気機関車の保存機の中で、唯一の川崎車両製です。



続いてはC62-1号機です。

遠くにトワイライトエクスプレス瑞風を望んで撮ってみました。

上の写真で画面中央に見える黒い物体はC62-2号機のテンダー、下の写真で右端に写っているのはC56-160号機のテンダーです。



C62-1号機と言えば広島、広島機関区と言えばC62-1号機と言っても過言ではない存在です。

日本で最大・最速のSLの1号機と言うことで人気は高かったのですが、プロトタイプの宿命で性能面での信頼感は今一つだった現役時代。

それでも"特急つばめ"特急はと""急行安芸"の牽引機として26号機と同様に華々しい人生を送りました。


また"特急あさかぜ""特急さちかぜ"と言った寝台特急も担当し、1958(昭和33)年10月にはボイラーを新製交換して20系客車となったブルートレイン"特急あさかぜ"も担当しました。

C62-1号機の車歴はまたいずれに譲って、こちらの写真はC62-2号機のテンダーです。

本体が不在なのが残念でしたが、また帰って来たらその内、訪れてみたいと思います。


こちらはC62-2号機不在中、スチーム号を担当しているC61-2号機です。

私が訪問した時は元気にしていましたが、以前も少し触れたように7月15日、転車台(ターンテーブル)に乗る際に車止めを外し忘れて脱線事故を起こしてしまい。

先輪のフランジが欠けているとかで、現在も復旧できずにいるそうです。


ファンや国鉄・JRのOBの方々からは非難囂々で、脱線させた運転士さんも肩身が狭い上に、あのJR西日本ですから、その後の処罰を耐えるのも大変なことだと想像できます。

尼崎の脱線事故以降は、人権は守られるように改善された・・・・とは、言われてますけどねぇ。

さて、最後に静態保存されている古典機を3機UPして、今日の記事を締めくくります。


C61-2号機の横にチョコンと居るのは7100形の1号機"義経"です。

1880(明治13)年の北海道初の鉄道が札幌~手宮間の開業にあたり、アメリカから輸入された機関車です。

1980(昭和55)年に昔、宮島口近くにあった遊園地"広島ナタリー"で開催された"懐しの大SLフェア"で、6号機"静"と共に展示されて、当時高校生だった私も友人と一緒に行った、思い出のある機関車です。



この40番のナンバーを付けた機関車は1800形という形式で、東海道本線の京都~大津間が開業する際、この区間に介在する急勾配に対応するため、1881(明治14)年にイギリスから輸入されました。

建設当時は急勾配が連続する難所区間でしたが、高性能の割に石炭消費量が少なく、乗務員からも好評だったそうです。

京都鉄道博物館に保存されている機関車は1号機で、1930(昭和5)年に高知鉄道へ譲渡され、更に1940(昭和15)年には東洋レーヨン滋賀工場へ譲渡されましたが、1964(昭和39)年に国鉄へ寄贈されて大阪交通科学博物館を経て、現在地に保存展示されています。



ラストの機関車は230形です。

1902(明治35)年から1909(明治42)年にかけて41両が製造された内の1機で、それまで輸入に頼っていた機関車ですが、初の国産機の形式で。

1986(昭和61)年に準鉄道記念物に指定された後、2004(平成16)年には鉄道記念物に昇格し、2007(平成19)年に機械遺産に認定され、更に2016(平成28)年に重要文化財・美術工芸品の認定も受けました。


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宇宙へ行くのに、成層圏超えで数秒間でも1000万円以上かかるらしいけど。

宇宙空間まで行っちまうと、どれぐらいかかるんかねぇ。

マンガの好きな作品も問われていることだし。

お金じゃなくて命をかけて。


宇宙戦艦ヤマトに乗ってみるってのも手かな?

必ぁずここへぇ~ 帰ぇって来るとぉ~♪

帰ることのできなかった人も多かった作品でしたね。

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