夕映えのはな(少女編)6 作り話です

そう、わたしには、この部落にもう一人の同級生がいた。

高山栄一は、近隣数部落を跨いで小作・自小作農家を取り纏める地主の跡取り息子だった。
松之山郷にして、なお山間僻地の急斜面五十町歩所有は豪農と呼んで決して過言ではあるまい。
米処、越後数郡の、広大な蒲原平野等と比して、極めて耕作可能な土地が少なく、尚、小作農民からの需要が高かった。
それは、巨大地主を頂点とした勢力図の、下層社会を形成するとともに末端小作農民らの不平不満を押さえ込む重要な役割をも担っていた。
他の一般農民層とは一線を画すように家の屋号さえ「大倉」で、四季折々、村の政や冠婚葬祭など、専ら、高山家を中心として執り行われるのである。

その日も、夜が明ける前から村中の若い衆が駆り出されていた。
そして栄一が周辺地域の総鎮守、犬伏の松苧神社をお参りし、背中一杯に、買ってもらったおもちゃを背負って帰宅する頃には、もう既に、宴もたけなわであった。
七つ参りは、数え七つの男児が松苧山山頂の神社を初登頂、参拝し、親族縁者ともども成長を祝うこの地域独特の伝統行事で、各家々にとっては結婚式同等の一大儀式なのだという。
周辺一帯を収める高山家にとって、その時どれだけの気の入れようかは窺い知れよう。
村の中程に位置する大倉の家には朝から引っ切り無しに祝い酒が届けられ、はるか遠方からも、縁者や関係者らが大挙して詰め掛けてきていた。
そして我が家も、祖母が来賓として祝いの席に招かれてはいたが、祖母とわたしは炊事場の手伝いに入ることとなった。
元来、わたしと栄一の家とは今は亡き祖父同士が親友で、且つ一貫して土地を借り受けることなく自作農家だったことから、他の小作農民らのような主従関係が発生しなかったのであろう。

一般農家とは比較にならないほど広く立派な板の間の炊事場には、手ぬぐいを姉さん被りにし、和服の上から割烹着をつけた村の女衆が所狭しと動き回っていたものだ。
それにしても手伝える仕事など何ひとつ有るわけでなし、中座敷と奥座敷の襖が取っ払られた大広間の、客の席を回って酌をする祖母に代わって、ちゃっかりと御馳走の膳に着く、わたし。
「ほれほれ、めごい子だすけのう・・・」
「どこんちの子だい?」
久しぶりに遠方からやってきた上村家の親戚筋が、箸を休めては珍しそうにこちらへ視線を投げかけてくる。
「ええ,私の孫ですての・・・」
通された席に着くなり周りに挨拶を済ませると、早速熱燗を乗せた盆を持って給仕約役に徹する祖母。
「へえ、百合さんののう・・・いくつだのお?」
「七つですて。学校に上がったばっかりですがのお・・・」
「へえ、そうですかい。体がでっけすけのお、めごいこての・・・それじゃあ、栄一と同級だこっつぉのお・・・」
「ほれほれ、べっぴんさん・・・。栄一と並ばっしゃい・・・」
上座に座らされた栄一こそ、あつらえた、一張羅の洋服をまとわされ、さも飾り人形かのようで、されど、両腕に抱え込んだ、境内で買ってもらった玩具に興味がつきなかったものであろう。
わたしとて、膳の上の手の込んだ贅沢料理や高級仕出しに心奪われ、親戚筋の、興味本位の視線など何ら気にも留めなかった。

屋敷の外では、次々に設えた長机にさえ座りきれない村人たちにも御神酒が振舞われ、ここぞとばかりに、家の使用人源吉やら村の若い衆やら数名、見栄え良く切り割りした屈強な石垣の上から団子を天に向かって放り投げていた。
その小脇に抱えた真新しい竹製の箕の中には、白米を粉にして作った団子や駄菓子の他に、五銭、十銭と硬貨が大量に混ざっていたものだから、度ごとに、彼らの腕の動きに合わせたどよめきが沸き起こるわけである。
外から聞こえくる奇声とも歓声ともつかぬ大きな声に思わず席を立ち、玩具を手にしたまま、おもてに駆け出してゆく栄一。
やはり栄一の背中を眼で追いながら、食べかけの煮物を口いっぱいに頬張ると、その後を追ってしまう、わたし。
大の大人の背丈はゆうにある、石積みの、塀の上に立つ大柄な若者さえ声を枯らさんばかりに眼下の女、子供を囃し立て、澄みわたった五月の空の下、舞い落ちる団子と硬貨と、轟きわたる掛け声に喝采に、ひとしきり、多くの村の衆こそ、どれほどに面白おかしかったことであろう。
女衆は身につけた前掛けを大空いっぱいに広げては舞い落ちる獲物を俟ちうけ、子供らは子供らで大人たちをすり抜ける様に硬貨だけに狙いをつけては地べたを這い回る始末だ。

「栄ちゃん、お父さんが座敷に戻りなさいって・・・。みんなが待ってるわよ。富ちゃんも、ね・・・いい?」
突然、祝いの席から飛び出したまま一向に戻ってこない主役、栄一を呼び戻しに、おもてへ飛び出てくる当家の女中、キミ。
「ん・・・、うーん」
わたしこそ、目の前に繰り広がる歓喜の輪の中にすぐさま飛び込みたい心境だったが、キミに念を押されては生返事のひとつも返すしかなかった。
「キミ・・・。おら、もうざしきはあきた。おもしろくね・・・。へやであそぶすけ。とみこもこい」
「・・・」
「お父さんに叱られるから、ね。早く座敷に戻りなさい・・・ほら!」
栄一は、引き止めようとするキミの腕を振り払うと広い玄関の、整然と並べられた祝い客の履物を蹴散らせながら、自身のために忙しなくごった返す台所や、多くの客で埋まって座敷のことなど一向に意に介することなく、そのまま一目散に階段を駆け上がってゆく。
「とみこー。はやくこい!」
「・・・」
二階からの栄一の呼びかけを受けて、キミにそっと目配せをしながら一体どうしたものかと考えあぐねていた。
「ふふふ、しょうがないわねー、栄ちゃんも富ちゃんも・・・。じゃあ、もうお座敷はいいから二階で遊んでなさい。私からお父さんや皆さんに上手く言ってあげるから・・・」
「んー・・・」
その時、わたしは頭を垂れながら、如何にも辛そうに一段一段ゆっくりと階段を上っていったものだ。
それにしても、当時、あれだけ立派な造りの屋敷は他に有っただろうか。
見るからに頑丈そうな踏み板で、しかも人が何人乗っても軋み音ひとつしない幅広な階段だけでも頷けよう。
栄一の部屋とて、ただの子供部屋などと決して侮ることなかれ。
先祖代々の位牌を祀る一般農家の座敷などより明らかに広い間取りに、採光と換気を兼ね備えた大きなガラス入りの窓、当地一流の雪深い冬の厳寒や盆地独特の蒸し暑さを考慮するように、丁寧な塗り壁と豪華な瓦葺の屋根は保温性と通気性を兼ね備えていた。
ただでさえ重いべた雪の豪雪地、梁と柱の太さなぞ語る必要も有るまい。

実際に、わたしは栄一の部屋が好きだった。
滑りのよい部屋の木戸を開ければ、窓から射し込む陽光を受けて、特別あつらえの大きな勉強机と立派な地球儀が眩いばかりに姿を現せる。
ゆったりと天井からぶら下がった傘つきの白熱電球や、部屋の隅に据え置かれた大振りの書棚の中の、世界各地の絵本に翻訳童話、子供向け小説など、見事なまでの品揃えとその質の良さには目を見張る。
とりわけわたしは、講談社発行の少年倶楽部がお気に入りだった。
小学校後半から中学校前半の少年向けに、当時、一流大衆作家の長編小説や読み物、漫画などを中心とした月間少年雑誌。
絵物語の挿絵にしても、特徴的な画法を以って現す人物画は一種独特な雰囲気を醸し出し、大きな人気を博していた。
佐藤紅緑の「少年連盟」や「少年賛歌」、佐々木邦の「村の少年」など、漢字の読めないわたしに、時折読み聞かせてくれる女中キミの横顔を眺めながら、すっかり想像の世界へと嵌まり込んでしまうのであった。
児童向けの絵本や童話にしても、世界各国、多種多様な文化や歴史、風光明媚なとりどり風景や建物を画く総天然色挿絵には大いに心弾ませる高級手作り感である。
待望の長男栄一が誕生し、そのとき父母は、いったい、わが子の未来に何を想い描いたかは決して想像に難くあるまい。
ようやく栄一が足も据わってそちらこちらを這い回る頃には、家人の誰彼となく絵本や童話を買い求め、詠み聞かせていたのであろう。
時に、初の内孫を愛おしむように祖父が、大切な跡取りを育むように父母が、そして、まるで我が子にそっと語りかけるよう女中のキミがそうだった。

キミは、教育を受けた女性だった。

「豪雪を生き抜いた農民たち」「国史大事典」「あゝ野麦峠」等を参考にさせていただきました