夕映えのはな(少女編)3     作り話です

こうして麓の駅に降り立つ娘の姿が、迎えに来た父親の目にどれほど眩く見えたことか。
会社から貰った土産の品と新しい着物を誇らしそうにして、然れど、はにかむように微笑む光恵。
手には家族のために貯めた給金入りの封筒を、力の限りに握り締めていた。
明日の山越えに備えて、立派な料亭の暖簾を潜る四人の優秀な女工とその家族七人。
光恵はそのとき、少しだけ、夢に近づけたような気がしていた。

ざわざわと、隣の部屋の、男たちの身支度の音でふっと目覚める光恵。
なぜか、さき程までの夢の中で まどろむ自身の姿が余りにも惨めで、次々とダメ糸を紡ぎあげて班長に罵られ、周りからは蔑み冷笑され、挙句の果ては給金の一切合切を罰金として差し引かれた出来事が正夢でなかったことが、どれほどの喜びであったことか。
両脇で静かに寝息をたてる年長の、優良女工の中にあって温もりと、その幸福感の絶頂であったろう。

用意された昼用の握り飯を受けとり、宿を出たのが朝の七時、前夜から降り続く雪は一向に止まず、踏み固めた道の両脇の、すでに白壁と化したその上にも尚、雪嵩を増やしていた。
綿入りの半纏とモンペ姿に着替えた娘たちは、スゲミノを着け、山笠を被ると男衆の後ろについた。
前に五人、後に二人の男衆と、間に挟まれた娘四人、計十一人の一行だ。
この時期すでに、大陸からの寒風ともに吹き荒ぶ日本海側の湿った雪は、道なき道の斜面を上れば上るほど容赦なく、体中に痛く冷たく染み入ってくる。
途中に何度か吹雪いて前が何も見えない崖道を、降り積もった軟雪に足をとられて肝を冷やしながらも、峠近くの隣村の社にたどり着いたのはもう昼近くだった。
娘たちは、顔を覆った厚手のショールも外さないまま、杉林に囲まれた鎮守の板の間に腰を下ろした。
竹のカンジキを履いた藁のスッペには雪が染み込んで、言いようのないほどの足の痛痒さよ。
握り飯をかじる事も無く、一服し、用を足すと誰彼と無く次々に腰を上げてゆく。
もう村まで、じきだった。
後は下りだけの、今日はまだ誰も通っていない雪深い道筋無き一本道。
代わったばかりの先頭の男衆は、腰まで嵌る降り積もった新雪を体毎こざいて前へ進んだ。
次々に踏み固められる雪道に、更に前を進む先輩女工たちがその跡をなぞってゆく。

光恵には、目も覆うほどの横殴りの吹雪であっても、愛しの我が家が、すぐ、そこまで近づいていたことだけは分かっていた。
その小さな家の中の、我が到来を待ち焦がれる母と幼き妹を想うにつけ、もう逸る気持ちを抑えきれなかった。
次第に高まる鼓動とカンジキの、一歩一歩と踏む雪の音に紛れて、先ほどから、妹の笑い声だけが脳裏にこだましていた。
果たして、ドカ雪に、霞んで佇む藁ぶきの屋根が、突として眼前に現れてくる。
何ん時からか、こちらに向かって手を振る母と妹を認めて、もう直ぐにも、声を発して、この吹雪の中の海原のごとく泳ぎ出したいほどであったろう。
目の前を覆う降り注ぐボタ雪の先の母と妹と、表情など見通せなくとも分かっている。
そして、何より顔を見合わせるだけで、大層な言葉ひとつも要らなかった。

ただ涙を堪えて小さく頷く娘。
久しぶりの、焦がれた故郷の家庭の匂いで十分だった。
何も言わないまま、また答えるように小さく肯く母親。
ミノの上の山のように積もった雪を手で払い落としながら、黙って立つ光恵のあごの紐を緩め、肩からゆっくりと外してやるのであった。
凍えきった体の光恵の背には、たすきに背負った大きな土産物と、腕には大きな風呂敷包みが大切そうに握られている。
その雪に晒され、かじかんでしまった光恵の冷たい手をしっかりと握りかえすと、その細い指一本一本を大事そうに、両手を添えて息を吹きかける母親。
目も合わせないまま、今度は光恵の足元に屈み込んでカンジキの固く絞った紐を解いた。
光恵の片足を持ち上げると、かなり雪も噛んで、重くなったびしょびしょのシッペから足を引き抜き、そのまま足袋も脱がしてゆく。
すでに、霜焼けにもなりそうなほど赤く腫れ上がった娘の濡れた足を見て、母は自分の頭の手ぬぐいを外して丁寧に拭き終えると、いかにも愛おしそうに、懐に抱えて温めはじめた。
光恵は前屈みで母の肩につかまりながら、必死に涙を堪えるだけで精一杯だったのである。
まだ甘えたい盛りの十三の身で、世間の荒波に晒され、それでも気丈に家計を支える、か細い娘の肩。

母は、光恵を出稼ぎなどには出したくなかったのだ。
募集員の甘い話や、帰省する熟練工の聞こえの良い話にも裏があることは分かっていた。
働きの悪い女工には罰金をかけ、夜中まで働かせ、終いには、働きすぎで体を壊せば捨てられる。
実際これまで、工場から逃げ帰ってきた娘の保証金が払えずに、山を下りた一家を知っていた。
それでも、どうしてもと娘が望み、仮にそうでなくとも、他に通年の出稼ぎでこれほどの条件の仕事など一体何処に有ろうものか。
ましてや米の価格が半分に落ち込み、更に副業に始めたカイコの値が暴落したのでは、家族全員、明日の食い扶ちなど望めるはずもあるまい。

母も娘も、それでも何を言うことなどあろうか。
藁の草履を手にして、傍らに寄り添う幼い妹こそ、心配そうに姉の顔を覗き込んだ。
光恵は、顔を上げて涙を堪えると、精一杯の笑顔で微笑み返えす。
帰るたびに、目に見えて成長してゆく妹。
何も心配ないと分かると、草履を揃えて土間に置き、姉の腕を握って家の中に誘うのである。
母は、妹の手に引かれて駆け出す光恵の明るい背中を見詰めながら、心の中でしっかりと手を合わせるのであった。
小学校を出たての娘が、いきなり大人の社会に飛び込んで、苦労の一つも無いはずは有るまい。
多感の時期にして、苦しいこと、悲しいこと、ほんの小さな恨みや辛み、愚痴でも弱音でも吐きたかったに違いない。
健気な娘は母親に心配かけまいと、工場の仕事や人間関係のことを、最後まで悪く言うことは無かったのである。

玄関から直ぐの茶の間の土間には、光恵のために間に合わせた真新しいむしろが敷かれ、その囲炉裏を囲んで、綿入りの、四枚の座布団が添えられていた。
何より、息苦しいほどの黒豆を煮立たす鍋の甘い匂いが、冷え切った身体の隅々にまで染み入ってくるのを自覚し、光恵は、また大きく息を吸い込んだ。
父母の寝室から、大きな段ボール箱を大事そうに抱えて戻ってくる妹。
光恵の、遠慮して除けた客用座布団の上にゆっくりとその箱を置くと、玉手箱でも開くかのように、そっと蓋を持ち上げた。
満面笑みを浮かべて然も誇らしそうに、箱の中の、一等大きな折鶴を光恵に向かって差し出してくるのである。
それは、光恵の掌の上で、ゆったりと翼を広げる美しい折鶴。
艶やかな絹布の衣装をまとい、凛として穏やかに佇ずむ幼い鶴が、ちょうど今、眩いばかりの夕陽を浴びて飛び立たんとしていた。
妹の沙耶のために、光恵が買って送った高価な千代紙であった。

母は二人の様子を嬉しそうに、町で買い揃えた正月用の食材を台所に仕舞うと釜戸で温めたばかりの甘酒をそっと差し出す。
盆の中の、何度か煮詰めたはずの、甘じょっぱい甘酒。
湯気をたてて、焦げた麹が浮ぶ湯のみ茶碗と野沢菜の漬物を受け取ると、光恵は、母の前に土産物と給金入りの封筒を手渡した。
おごるでもなく、何食わぬ顔で燃え盛る囲炉裏の薪に視線をやりながら、好物の甘酒をすする光恵。
母は娘の横顔に向かって、いかにも申し訳なさそうに深々と頭を下げると、そのまま座敷の部屋の仏壇に供えるのである。
線香を上げ、手を合わせながら、茶の間で妹と戯れる光恵を振り返る母。
町へ働きに出して一年足らず、成長してゆく我が娘のことが誇らしかったに相違あるまい。

父は雪踏みから帰ると、家畜に餌を与えに厩の中へ入ってゆく。
鶏六羽に家兎が三頭、ケージに入れているわけでもなく、夏場の庭での放し飼いを室内に移しただけなのだ。
時折り、腹でもすけば厩から抜け出し、茶の間にも顔を出す家族の一員。
それでも、盆や正月、大切な来客ともなれば、彼らは食用に供される運命にあったのだ。
干草と残飯を満遍なくばら撒きながら心を鬼にして、これぞと決めた獲物を追いかける父。
殺されてなるかと必死の形相で逃げ回る鶏。
そうでもなければ、頭を振り振り、餌を強請って近づいてくる愛嬌ものたちなのだ。
命がけの逃走の甲斐も無く鶏冠を掴まれた鶏は、絶叫一番、団栗眼をゆっくり閉じると覚悟を決めた。
雪の降り積もる堆肥場で、鶏の首を捻って捌き終えると、台所に走って母の用意した澄まし汁の鍋に放り込む。
母は母で、台所に吊るした新巻鮭を外すと、いかにも脂の乗ったところを大きく切り取り竹串に刺してゆく。
そしていつの間にか、お客だった光恵が葱を切り、妹の沙耶も椀を揃えていたのだ。
仲の良い、たった四人だけの家族。

いつもとは違う、早い時間の膳だった。
髭を剃り、髪を撫でて和服に着替える父。
普段は殆ど口にすることの無い銀シャリに、囲炉裏で炙った赤鱒を仏壇に供えると、手を合わせ、念仏を唱えてようやく上座の膳につく。
この時ばかりは威厳たっぷりの、一家の長の顔である。
光恵は、父から受けた梅酒の杯を大事そうに両手で掴むとゆっくり顔を近づけ、少量ずつ、ちびりちびると舐めるようにして味わう、一寸、優越感。
よそってもらった吸い物の椀の中に、自身のために潰した鶏の、卵になりかけの数珠繋ぎに連なる黄味を見つけて一寸鼻高々に、一寸済まなそうに口の中へと滑り込ませた。
また傾ける梅酒が舌の上の小さな黄味を溶かして、もう口いっぱいの、香ばしくて甘い、芳醇な香りに満たされてゆくのである。

大きな時代のうねりの中で、世間の厳しさを肌身で感じた幼い少女は、この家族団らんの、ほんのささやかな幸せな時間がこのまま長く続くことを願わずにはいられなかった。
それは、一刻も早く自分達家族の田んぼを持ち、自分達自身のための米を作ることなのだ。
何よりも、自分が出稼ぎに出て精一杯働き、父に田んぼを買ってあげることに尽きる。
だからこそ、光恵はどんなに辛い仕事も苦労と思わず平気でこなしていった。

当時、世界同時不況や不安定な生糸相場、それに輪をかけた業界の山師的会社経営のつけは、ますます過酷な労働環境となって工員たちに跳ね返ってきていた。
周りの女工たちは会社に対し愚痴や不満を言い合い、多くの駄目糸を作り出す中、光恵だけはわが身の立場をわきまえながら辛抱強く、そして前向きに機械の前に立った。
先輩女工たちに誘われても、お洒落や都会の町の様子などには一切目もくれず、仕事の休憩時間さえ惜しむように只ひたすら糸を紡いだ。
そして、その褒美が、ほんのちっぽけな誇りとこのような家族の温もりの実感だったとして、光恵にとっては大きな成長の証だったに他なるまい。

戸外ではあたり一面に降り積もった雪の明りが、なお舞い落ちる大粒のぼた雪を映し出していた。
総てのものを覆い尽くし、人々の感情さえ打ち消すように、音も無くしんしんと降り積もる山里の雪。
時折り耐え切れなくなった軒の上の雪が、土塗りの壁に跳ね返って鈍い音をたててゆく。
やはり何事も無かったように、また一年が終わろうとしていた。
新ござが敷かれた座敷では、コーセンを舐めながらカルタ取りに興じる女達。
茶の間の柱にかかった旧式の時計が新たな年を伝え、父が鎮守の杜から帰ってくるころには、光恵も沙耶も、もう眠気を我慢できなかった。
座敷の中央には光恵の寝床敷かれてゆく。
打ち直したばかりの、たった一組だけの客用綿布団。
光恵はこの家の匂いのする、どっしりと重く、それでもふっくらとした暖かな綿布団の中に身を包まれながら、また新たな希望を見出していた。
それでもようやく身体が温まってくると布団から抜け出し、隣の寝室の、土間に敷かれた父母と妹のワラ布団の中にそっと体を滑り込ませた。
光恵はようやく、満の十三にもなったばかりだった。
 


「暗黒の木曜日」、米ニューヨーク株式市場の大暴落は、一瞬にして世界中に大きな波紋を広げていった。
それまで度重なる金融・経済恐慌に苛まれ、不景気のどん底で喘ぐ日本にも、さらなる世界大恐慌の大津波となって押し寄せてくる。
生糸や綿織物の輸出で体面を保つ日本経済も、過度の輸入増加や軽工業の機械化と合理化の遅れ、鉱工業の衰退等など、そして何より対輸出国、アメリカ経済の壊滅的な状況と相まって一気に奈落の底へと突き落とされてしまう。
多くの製糸、紡績工場はアメリカという大きな市場を失い、否応無しに国内市場への転換を余儀なくされた。
供給過多により過当競争のしわ寄せは、尚一層の労働環境の悪化へと波及してゆくのである。
昭和六年、世に吹き荒れる不況の嵐は一向にとどまることを知らず、その影響は製糸業界の経営者だけでなく、直接女工たち一人ひとりの肩にまで重く伸し掛かってくるのであった。
未曾有の世界大恐慌は、慢性的経済不況真っ只中の日本に更なる深刻な影響を与えていた。
不景気と物価高、米価格の暴落、そのうえ追い討ちをかけるように、日本各地で相次いで起こる大凶作。
働けど働けど一向に生活楽にならず、都会では「大学は出たけれど・・・」貧困農村地帯に至っては「完全欠食児童・娘の身売り」などの言葉が、まるで流行り言葉のように巷を駆け巡る。
満州事変が引き起こされたのは同年九月。
そののち政党政治から見放され、舵取りを失った昭和日本は、あの呪われた「十五年戦争」へと突き進んでゆくのである。
いみじくも一時的な軍需好景気は、都会と農村部の格差を一層広げていった。
文明開化により富国強兵から大正デモクラシーを経て、国民は「昭和」という名の字の如く、明るく平和な時代の到来を想像したかった違いない。

糸ひき工となって、三年目の冬を迎える光恵。
彼女の懸命な仕送りは、すでに前渡し金を含めた会社や地主との借金分をおおよそ半分にまで減らしていた。
その度ごとに送られてくる、筆不精の父親による感謝の手紙。
光恵は、その走り書きのように短く、そしていつも同じ内容の便箋を見る度に、家族の中の自身の立場を強く意識するのである。
現金収入の全く無い小作農家にとって、出稼ぎに出た娘からの仕送りがどんなにありがたいことだったか。
妻と娘二人の女たちの輪の中にいて、常に口数が少なく大人しい父。
それでも光恵には、いつも傍らで、只微笑むだけの父の気持ちでさえ総て手に取るように分かっていた。
便箋の枚数が溜まるごとに、いよいよ休み時間を減らして仕事に打ち込んだ。
一日も早く父親の借金を無くして、自前の田んぼの中に、松之山で一等美味い米を作らせたかったのである。
すでに優良工女の仲間入りをしていた光恵。
性格が素直なうえに責任感が強く、生まれつきの器用さから際立った成績をあげ、会社側の評価もうなぎ上りに高まっていた。
だが工場内で、鬼のように恐れられる班長や厳しい教育係の先輩工女からは一目置かれる分、逆に周りの女工たちからは妬み疎まられ、いつの間にか一人孤立状態になってゆく。
仕事を終えて寄宿舎に戻っても、光恵の許に寄って話しかけてくるものは誰一人いなかった。
日の出とともに起き出し、食事と用足しと、僅かな睡眠時間以外は機械の前に座りっぱなしの毎日。
時間一杯までとことん働き、疲れきった体は、もう誰彼に話しかける時間も気力も無く、ただ故郷の家族のことを想い、季節ごとに送られてくる父からの便りだけが唯一生き甲斐だったのではなかろうか。
それにしても光恵は良く気が付き、良く働いた。
他の者には辛く単調な作業も、田舎での生活を思えば然程苦にはならなかったのも頷ける。
一日三食、米の飯が食え、綿入りの布団に寝られ、働いた分だけ給金が貰えるのだ。
これほど故郷を想い、家族のために働くことの喜びは、今こうして、糸引きの出稼ぎに出たからこそ味わえる。
米どころ、越後の魚沼や頚城にして握り飯ひとつ食せず、冬は暗く冷たく半年間は家から村から一歩も外に出ることさえ叶わず、夏は夏とて、精を出して作業した五反部ばかりの小作の棚田から一体どれだけの収穫が望めようか。
その中から高い地代と租税を差し引き残ったくず米を、稗、粟混ぜてアンボにして、まさか美味かろう筈もあるまい。
それとて、望めぬ年さえ有ったのだ。
それより光恵には、まだ深い残雪の下から微かな小川のせせらぎが聞こえ、ブナ林の木々の根元から愛らしく雪を撥ね退けフキノトウが頭をもたげ、川縁の若い猫柳の枝から新芽が力強く萌え出で、そして、目も覚めるほどの青空に照りかえった白い雪の斜面から棚田の畦が顔を出し、これぞとばかりに土筆が天を仰ぐ、家族の待つ眩いばかりの故郷の光景が目の前に浮ぶだけで、これから訪れるであろう自身のどんなに辛い試練も乗越えられる様な気がしていた。
そして光恵にも、ひょっとしたら、小さな春が訪れようとしていたのであろうか。

「豪雪を生き抜いた農民たち」「国史大事典」「あゝ野麦峠」等を参考にさせていただきました