イメージ 1

                        (作り話です)

いつもとは違う、早い時間の膳だった。
髭を剃り、髪を撫でて和服に着替える父。
普段は殆ど口にすることの無い銀シャリに、囲炉裏で炙った赤鱒を仏壇に供えると、手を合わせ、念仏を唱えてようやく上座の膳につく。
この時ばかりは威厳たっぷりの、一家の長の顔である。
光恵は、父から受けた梅酒の杯を大事そうに両手で掴むとゆっくり顔を近づけ、少量ずつ、ちびりちびると舐めるようにして味わう。
よそってもらった吸い物の椀の中に、自身のために潰した鶏の、卵になりかけの数珠繋ぎに連なる黄味を見つけると、いくらか鼻高々に、そしていくらか申し訳なさそうにして口の中に滑り込ませた。
また傾ける梅酒が舌の上の小さな黄味を溶かして、もう口いっぱいの、香ばしくて甘い、芳醇な香りに満たされてゆくのだった。
大きな時代のうねりの中で、世間の厳しさを肌身で感じた幼い少女は、この家族団らんの、ほんのささやかな幸せな時間がこのまま長く続くことを願わずにはいられなかった。
それは、一刻も早く自分達家族の田んぼを持ち、自分達自身のための米を作ることなのだ。
何よりも、自分が出稼ぎに出て精一杯働き、父に田んぼを買ってあげることに尽きる。
だからこそ、光恵はどんなに辛い仕事も苦労と思わず平気でこなしていった。
当時、世界同時不況や不安定な生糸相場、それに輪をかけた業界の山師的会社経営のつけは、ますます過酷な労働環境となって工員たちに跳ね返ってきていた。
周りの女工たちは会社に対し愚痴や不満を言い合い、多くの駄目糸を作り出す中、光恵だけはわが身の立場をわきまえながら辛抱強く、そして前向きに機械の前に立った。
先輩女工たちに誘われても、お洒落や都会の町の様子などには一切目もくれず、仕事の休憩時間さえ惜しむように只ひたすら糸を紡いだ。
そして、その褒美が、ほんのちっぽけな誇りとこのような家族の温もりの実感だったとして、光恵にとっては大きな成長の証だったのではないだろうか。
戸外ではあたり一面に降り積もった雪の明りが、なお舞い落ちる大粒のぼた雪を映し出していた。
総てのものを覆い尽くし、人々の感情さえ打ち消すように、音も無くしんしんと降り積もる山里の雪。
時折り耐え切れなくなった軒の上の雪が、土塗りの壁に跳ね返って鈍い音をたててゆく。
やはり何事も無かったように、また一年が終わろうとしていた。
新ござが敷かれた座敷では、コーセンを舐めながらカルタ取りに興じる女達。
茶の間の柱にかかった旧式の時計が新たな年を伝え、父が鎮守の杜から帰ってくるころには、光恵も沙耶も、もう眠気を我慢できなかった。
座敷の中央には光恵の寝床敷かれてゆく。
打ち直したばかりの、たった一組だけの客用綿布団。
光恵はこの家の匂いのする、どっしりと重く、それでもふっくらとした暖かな綿布団の中に身を包まれながら、また新たな希望を見出していた。
それでもようやく身体が温まってくると布団から抜け出し、隣の寝室の、土間に敷かれた父母と妹のワラ布団の中にそっと体を滑り込ませた。
光恵はようやく、満の十三にもなったばかりだった。
 

「暗黒の木曜日」、米ニューヨーク株式市場の大暴落は、一瞬にして世界中に大きな波紋を広げていった。
それまで度重なる金融・経済恐慌に苛まれ、不景気のどん底で喘ぐ日本にも、さらなる世界大恐慌の大津波となって押し寄せてくる。
生糸や綿織物の輸出で体面を保つ日本経済も、過度の輸入増加や軽工業の機械化と合理化の遅れ、鉱工業の衰退など等、そして何より対輸出国、アメリカ経済の壊滅的な状況と相まって一気に奈落の底へと突き落とされてしまう。
多くの製糸、紡績工場はアメリカという大きな市場を失い、否応無しに国内市場への転換を余儀なくされた。
供給過多により過当競争のしわ寄せは、尚一層の労働環境の悪化へと波及してゆくのである。
昭和六年、世に吹き荒れる不況の嵐は一向にとどまることを知らず、その影響は製糸業界の経営者だけでなく、直接女工たち一人一人の肩にまで重く伸し掛かってくるのだった。
未曾有の世界大恐慌は、慢性的経済不況真っ只中の日本に更なる深刻な影響を与えていた。
不景気と物価高、米価格の暴落、そのうえ追い討ちをかけるように、日本各地で相次いで起こる大凶作。
働けど働けど一向に生活楽にならず、都会では「大学は出たけれど・・・」貧困農村地帯に至っては「完全欠食児童・娘の身売り」などの言葉が、まるで流行り言葉のように巷を駆け巡る。
満州事変が引き起こされたのは同年九月。
そののち政党政治から見放され、舵取りを失った昭和日本は、あの呪われた「十五年戦争」へと突き進んでゆくのである。
いみじくも一時的な軍需好景気は、都会と農村部の格差を一層広げていった。
文明開化により富国強兵から大正デモクラシーを経て、国民は「昭和」という名の字の如く、明るく平和な時代の到来を想像したかった違いない。
糸ひき工となって、三年目の冬を迎える光恵。
彼女の懸命な仕送りは、すでに前渡し金を含めた会社や地主との借金分をおおよそ半分にまで減らしていた。
その度ごとに送られてくる、筆不精の父親による感謝の手紙。
光恵は、その走り書きのように短く、そしていつも同じ内容の便箋を見る度に、家族の中の自身の立場を強く意識するのである。
現金収入の全く無い小作農家にとって、出稼ぎに出た娘からの仕送りがどんなにありがたいことだったか。
妻と娘二人の女たちの輪の中にいて、常に口数が少なく大人しい父。
それでも光恵には、いつも傍らで、只微笑むだけの父の気持ちでさえ総て手に取るように分かっていた。
便箋の枚数が溜まるごとに、いよいよ休み時間を減らして仕事に打ち込んだ。
一日も早く父親の借金を無くして、自前の田んぼの中に、松之山で一等美味い米を作らせたかったのである。
すでに優良工女の仲間入りをしていた光恵。
性格が素直なうえに責任感が強く、生まれつきの器用さから際立った成績をあげ、会社側の評価もうなぎ上りに高まっていた。
だが工場内で、鬼のように恐れられる班長や厳しい教育係の先輩工女からは一目置かれる分、逆に周りの女工たちからは妬み疎まられ、いつの間にか一人孤立状態になってゆく。
仕事を終えて寄宿舎に戻っても、光恵の許に寄って話しかけてくるものは誰一人いなかった。
日の出とともに起き出し、食事と用足しと、僅かな睡眠時間以外は機械の前に座りっぱなしの毎日。
時間一杯までとことん働き、疲れきった体は、もう誰彼に話しかける時間も気力も無く、ただ故郷の家族のことを想い、季節ごとに送られてくる父からの便りだけが唯一生き甲斐だったのではなかろうか。
それにしても光恵は良く気が付き、良く働いた。
他の者には辛く単調な作業も、田舎での生活を思えば然程苦にはならなかったのも頷ける。
一日三食、米の飯が食え、綿入りの布団に寝られ、働いた分だけ給金が貰えるのだ。
これほど故郷を想い、家族のために働くことの喜びは、今こうして、糸引きの出稼ぎに出たからこそ味わえる。
米どころ、越後の魚沼や頚城にして握り飯ひとつ食せず、冬は暗く冷たく半年間は家から村から一歩も外に出ることさえ叶わず、夏は夏とて、精を出して作業した五反部ばかりの小作の棚田から一体どれだけの収穫が望めようか。
その中から高い地代と租税を差し引き残ったくず米を、稗、粟混ぜてアンボにして、まさか美味かろう筈もあるまい。
それとて、望めぬ年さえ有ったのだ。
それより光恵には、まだ深い残雪の下から微かな小川のせせらぎが聞こえ、ブナ林の木々の根元から愛らしく雪を撥ね退けフキノトウが頭をもたげ、川縁の若い猫柳の枝から新芽が力強く萌え出で、そして、目も覚めるほどの青空に照りかえった白い雪の斜面から棚田の畦が顔を出し、これぞとばかりに土筆が天を仰ぐ、家族の待つ眩いばかりの故郷の光景が目の前に浮ぶだけで、これから訪れるであろう自身のどんなに辛い試練も乗越えられる様な気がしていた。
そして光恵にも、ひょっとして、小さな春が訪れようとしていたのだろうか。
四方を山々に囲まれた盆地には、主要な街道と大きな恵みの川が走っていた。
日本屈指の名峰が頂を連ね、八百万の神が宿らんばかりの峰々を、雄々しく朱色に染めて映し出す穏やかな湖面。
湖の先の東の空が飴色に光り輝き、雪に覆われた山並みの背後から驚くほどに燃え上る、一際大きな朝陽が姿を現してくる。
久々の一斉休業に周辺の空気は澄み渡って、感動の吐息さえどこまでも、白く湖面を渡って行きそうだ。
ここのところ朝晩めっきり冷え込んで、やはり初雪の知らせだった。
冷たくかじかむ両手に息を吹きかけながら、おもむろに後ろを振り返る光恵。
湖畔に舞い降りた白いじゅうたんの上を、ゆっくりと歩み寄る愛しい人。
本格的な冬も、もうそこまで来ていた。
 
 
 「ウィキペディア」「豪雪を生き抜いた農民たち」「国史大事典」「あゝ野麦峠」等を参考にさせていただきました