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    (作り話です)

ぜんまいの入った竹篭を背負って、裏山の斜面を駆け上がる小学生の父、敬造。
薄暗い雑木林の獣道は、草や木の枝が頼りの急斜面だった。
何故か窪地でべそをかいている、同じ部落の二級下、母のまさを見つけて声をかけた。
「あーれーっ、まさじゃ、ねか。何でこんな山ん中に居るんだっ?」
「・・・」
「泥だらけでどしたーっ・・・。おめ、おらの後ついて来たんか?」
「・・・」
まさは俯いたまま敬造を見ようともせず、何も答えなかった。
「・・・そんで、戻れなくなったんか?」
「・・・んっ」
まさのねんねこの泥を落としてやりながら、背中の赤子を気にする敬造。
まさも顔をあげて、ようやく敬造に答えた。
「おめー、そんでもよく、こんな崖よく下りてきたなあ」
「・・・んっ、うん。おれ、とちゅうでころんですべりおちて・・・」
「あれーっ・・・。まさ、赤ん坊の顔も泥だらけじゃねか」
「・・・うわー!・・・」
大声で泣き出す、まさ。
「大丈夫だ、息してる。だども熱が有るみてだな」
「うっうっ、さっきから泣かなくなったんだ。おばがおかしくなったらおらー・・・。おら、まーがおっかねえ」
敬造は赤子に被された手ぬぐいを外して、さっと手で熱を測ってやる。
綿入れの半纏が衝撃を吸収し、まさの妹の体には少しの怪我も無かったのだ。
それでもまさは、父親の怒りの表情が眼に浮かぶのだった。
子守をしながら、日頃から注意されていた危険な崖下にいて、そのうえ妹に何か有ろうものならただで済まぬことくらい幼心にも分かっていた。
「まさ、いか。おれが子守りしてる、まさをここまで連れてきたことにするから、いな?」
「・・・」
まさは自分だけではどうすることも出来ず、敬造の言う通りにするしかなかった。
「もうじきに真っ暗くなっちまう。おれが赤ん坊背負ってやっから、まさはおれのズボンのバンドしっから握ってれ。いな?」
「・・・うん」
「心配すんな、おめの家まで連れてってやるすけに」
「・・・んー・・・」
薄暗い広葉樹林の崖の斜面を、二人は手を取り合いながら部落の端の、鎮守の社を目指して上っていった。
すっかり帳も下りて、夕飯の時間に居ないことを心配し、すでに両親が探し回っていた。
騒ぎを聞きつけた村人数人、まさと腕に抱かれた妹に何か異変を感じていた。
父親の問いかけに対し、俯いたまま一言も語らない、まさを擁護するように言い放つ敬造。
「すみません!。俺がまささんを一緒に連れてったんだ自分がつれてったんです。本当にすみません」
「あーっ!・・・、まさ、そうなんか?」
「・・・とちゃん、おれが・・・」
「本当にすみません・・・」
何かを言い出そうとする、まさの言葉を遮って、とっさに敬造は再び大きく頭を下げていた。
以降、まさの父親にどれほど罵られ、自分の両親にきつく叱られようとも絶対に真実を話すことは無かった。
まさとて同様で、二人だけの秘密になっていた。

「とちゃーん、とちゃんてばーっ。ほらっほらーっ・・・」
「んーっ、あーっ・・・」
その時父は、眠っていたのに違いない。
おそらく、これまでに見たことも無いほどの大きな岩魚が、餌のミミズに喰らいついているのさえ気がついていなのだ。
「ほらっほらっ、とちゃん。さおをひけって」
「んー?、ああ、そっかっ。よしっ」
立ち上がりざま、あまりにも勢い良く竿を引き上げるものだから、岩魚の口元に針を残してテグスがぷっつりと切れてしまった。
逃した魚が大きかった分その反動も同じで、竿を後ろに反らしながらしりもちをつく父。
「とちゃん、またにげられたーっ。あはははは・・・」
「そだな、あはは・・・」
「とちゃん、へたくそー。ははははは・・・」
「あーっ、そだなー。ははははは・・・」
「とちゃん・・・」
 

「とちゃんてー・・・。とちゃんてばー・・・」
「・・・富子さん、ねえ富子さん?・・・」
わたしはいつの間にか眠っていたようだ。
先生の詠み聞かせてくれる本はいつも楽しく、わたしの気持ちを湧き立たせ、未だ見たことも無い世界中の隅々のことまで目の前に浮かび上がらせる。
だが今日はうとうとし始め、何故か夢の中の主人公は父親だったのである。
静かに耳元に囁きかけてくる、りえ先生。
「・・・んっ、うーん・・・」
「ふふふ・・・冨子さん、夢見てた?」
テーブルに伏せたわたしの頭を撫でながら微笑んでいた。
「うーん・・・。おらー、とちゃん・・・」
「ううん、いいのよ言わなくても。それより暑くない?」
すべての事情を知った上で、わたしを気遣ってくれていた。
「んっ、ううん」
「そう。まだご本、読んで欲しい?」
「んっ、もういい」
「そう・・・。ねえ富子さん、あした家のお手伝いって忙しいかしら?」
そっと栞を挟んで本を置くと、わたしの顔を覗き込んだ。
「ううん。かちゃんはやまにでるども、おら、ばちゃんとるすばんしてる」
「あら、そうなの。じゃあよかった。あした先生とお絵かきに行かない?。富子さんの好きな場所でいいのよ。ねっ、どこか景色のいいところ知ってたら連れてって欲しいのよ。どう?・・・」
忙しかった田植えもようやく済んで、後は家族が食すだけの畑仕事も母ひとりの手で十分だった。
先生は、家の事情を察知してわたしを元気付けようとしてくれたのではないだろうか。
「おら、いっぺしってる。とちゃんとじてんしゃであそびにいったことあるんだから」
わたしは嬉しさのあまり、得意満面に答えたものだ。
「そう、よかった。後で先生、智子さんの家に明日のことをお願いに伺うから、お母さんにちゃんと話しておいてね」
「うん、分かった。かちゃんにいっとく。じゃあ、あとできてね、せんせ・・・」
「ええっ、あっ、ほらっ富子さんっ、走ってら駄目よっ!階段に気をつけなさい」
「うーんっ・・・。あっ、はーい」

りえ先生の実家は、十日町で織物の染色工場を営んでいた。
裕福な家庭に育った彼女は、推薦で入学した長岡の女学校から直江津の女子師範学校に進み、卒業後は、故郷十日町の小学校で教鞭を執ることを希望していた。
だが当時、仮に町の教員採用試験に受かったとして直ちに教員として就職出来るものでもなく、産休か中途退職の補充要員の空きを待たねばならず、さりとて、地場産業の繊維業界こそ御多分に漏れず不景気のあおりを受けて就職難極まりなかった。
それまでは戦争特需で一時持ち直したかにみえた景気も、過剰な設備投資の債務や、後の関東大震災の復旧復興費用、そしてその復興最中引き起こされる金融恐慌などによって慢性的な不況に陥り、さらにはアメリカから端を発した世界恐慌が日本にも波及し、日本経済は一気に奈落の底に突き落とされてゆく。
多くの中小企業は倒産し、当時の大学出身者にして就職先も無く、街は日増しに失業者の数が増えていった。
農業分野においても、生糸の対米輸出の激減、米価の暴落等の煽りを受け、とくに米、繭生産農家は大打撃を受ける有様なのだ。
青田売りや娘の身売り、完全欠食児童など、山間農村部では生活苦に陥り自殺者も出るほどだった。
彼女は迷わず、空きの有った松之山の採用試験を受けて、早速この分校に遣ってきたのである。
だがこの地は冬ともなれば、例年の積雪がゆうに三メートルを超えて半年間は陸の孤島と化す。
その上、冬以外でも十日町からこの分校までの交通の不便さを考えると、決して安易な選択ではなかったはずだ。
それでも子供が好きだった彼女は、親の言いなりで結婚し、平凡な家庭生活を送るよりも、自身の人生目標に掲げた学校教育に生涯を捧げることを決意。
そして、分校の近くの、部落でたった一軒しかない雑貨屋の二階に下宿先を定めたのである。
その日は先生の、一週間ぶりの帰省の日だった。

「豪雪を生き抜いた農民たち」「国史大事典」「あゝ野麦峠」等を参考にさせていただきました