知的障害を伴う自閉症の彩夏が幼稚園の年少時には、私はほぼ全て母子通園をしていました。

 
    親として、彩夏にいろいろしてやれますが、親では自分で子どもに集団生活を与えてやれません。
 
    そこで私は彩夏を幼稚園に入れることにしました。

 なぜ、彩夏を保育園ではなく幼稚園に入れたのかと、他の自閉症の子どもを持つお母さんたちや、専門職種の人たちに質問されたことがあります。
 
    保育園の方が行事も少なく、日常生活を中心に見てくれるというのが、その人たちの意見です。
 
     保育園は主に共働きの親に代わって保育をしてくれます。
 
    一方、幼稚園は教育をする機関です。
 
 私は彩夏の日常生活については、自分でみようと考えました。
 
    その代わり少しでも多くの教育的な彩夏の成長を、幼稚園生活に期待したのです。
 
    そして、社会生活を考えれば考えるほど、早く健常児に交わらせ、刺激を受けることで成長を促したかったので、3年保育を選んだのです。

 入園後の最初の2週間は彩夏にとっては、大きな環境の変化でもあり、刺激も強すぎたようです。
 
     毎晩不穏状態で何度も布団から出ては叫び、家の中をウロウロしました。
 
    親としてもその状態を見ていて辛い部分もありましたが、これは絶対乗り越えなければならない事と思っていましたので、「彩夏、頑張れ!」と、常に心の中で祈るような気持ちで乗り切りました。

 この幼稚園の3年間で彩夏が身につけたものは非常に大きいと言えます。
 
    何をするのも友達が見本でした。
 
    友達が積み木を積んで遊んでいるのを観察して、自ら真似たりもしました。

 年中時と年長時には、園の配慮で母子分離を目的としたこともあって、補助教員の先生が彩夏に付いてくれました。
 
     しかし、半分から3分の2の期間は園に行きました。
 
    これは行事の練習に親子で参加するためでした。

 家では、常にアンテナを立て、多動の彩夏の様子をキャッチし、トイレへの誘導も行っていました。
 
    4歳でおむつがとれました。

 家の中では、彩夏がしょう油、ソース等ボトル1本まるまるお鍋に入れたり、小麦粉、片栗粉等、粉という粉をばら撒いたりで、片づけに追われ、私にはほとんど休む暇がありませんでした。
 
    だから、母子通園は決して楽なことではありませんでした。
 
    しかし、今の彩夏がいるのはその時を頑張って越えてきたことと、数々の働きかけの結果だといえます。