平成最後の旅 初広島編 うさぎ島大久野島散策⑦(毒ガス資料館) | 温泉大好きさんのブログ

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平成31年4月28日(日)

 

平成最後の旅 初広島(2019)

うさぎ島大久野島散策⑦(毒ガス資料館)

〇毒ガス資料館前
建物前には陶磁器製毒ガス製造器具が展示されていました。
ここに展示されたものは当時の一部として後世に伝えるため永久に保存したそうです。
どの器具も頑丈な陶磁器で重量があり耐熱に強さを見る限り感じます。


〇毒ガス島と呼ばれた背景と資料館開設
戦前の旧日本軍(陸軍)管理下によってこの島に毒ガス製造所が建設され1929年~1945年の

終戦まで秘密の島として当時の日本地図から抹消されていました。
これが戦時中に他国に知れたら攻撃を受けることもありそれを避ける目的や極秘軍事機密を絡んで
そのような対応を行ったのだと考えられます。
毒ガス製造自体は、旧軍の関係者のみ知っておらずほとんど日本人は知りません。
1984年になって初めて公に報道されてから日本人全体が知ることになりました。
毒ガス製造に携わった人は最盛期で5000人以上、年間1200トンと各種毒ガス製造されました。

資料館の開館は広島県,関係市町並びに障害者団体のご理解とご協力により昭和63年に建設。
戦時中の毒ガスの製造作業や戦後に廃棄処理作業に携わった人たちが被毒の影響で人体が侵され
多くの方が亡くなったり方や今でも気管支疾患の後遺症で苦しむ方もおります。
その実態を1人でも多くの方に知って頂きながら二度と同じ悲惨な歴史を繰り返さないとの

思いや祈りを込めて資料を展示しています。

〇資料館の館内様子
展示室と研究室があります。
展示室↓

(工員手帳,男・女用作業服,液体毒ガス製造装置(冷却器部分)、大あか筒の外筒,パネル写真)
研究室↓

(DVD映像 1.証言でつづる大野島 2.おおくのしまは語る外)


〇展示室の感想
大久野島の変遷、毒ガスの製造過程、当時の作業服、毒ガス入り爆弾、毒ガス廃棄過程や

毒ガス人体による影響。
大久野島の歴史で一時的に日本地図から消された真相など含めて歴史を学ぶことができます。
資料館を拝見し当時人々が生死と隣り合わせの危険な作業を行っていたことを実感できる施設です。

さらに若い10代の子達が危険で過酷な現場で毎日お国のために働く姿に戦争というものは

本当に恐ろしいものと実感。
現在、生きている私たちはコロナウィルスで不安な日々ですが当時の人たちは生死争う過酷な

状況に比べたら自由に普通な生活を送れることに日々感謝して生きることが大事だと思いました。
館内撮影は原則NGです。事前の取材撮影許可願いを提出し許可された方のみ取材撮影可能。

💁大久野島毒ガス資料館の情報
入館時間:午前9時~午後16時30分(最終入館は午後16時まで・臨時に開館時間が変更あり
休館日:年末年始(12月29日〜1月3日・その他に臨時に休館あり
入館料:19歳以上一般150円、団体(20名以上)120円。
19歳未満の方や身体障害者手帳など交付を受けている方は料金免除です。
住所:〒729-2311 広島県竹原市忠海町5491
TEL:0846-26-3036

竹原市HP:https://www.city.takehara.lg.jp/simin/sisetukannri/dokugasusiryokan.html