先日、友人の紹介で『メイド喫茶』ならぬ
『冥土カフェ』に参加しました。
実際の葬儀場でお寺の御坊さんを招き
死を通して思う事、感じる事を語り合う、
というだいぶ特殊なイベントで
7年ぶりの開催だそうです。
現世とお別れをし、自らが入棺し、その傍ら
御坊さんに自分を送り出す為の
お経を唱えて貰う
死に対してのイメージや
棺に入る前、出た後の気持ちの変化を
参加者同士で語り合う。
送る側では無く、送られる側の体験ができ
じっくり自分と対話するのに
良いきっかけとなる
とても貴重な経験となりました。
↓私が棺に入り
御坊さんにお経を詠んでもらっている様子
【以下HPより】
冥土を体感し、生を考える。
人生の定期点検
ふと気づくと、10年なんてあっという間。
あぁ、これでよかったんだっけと思っても時すでに遅し。
死を認識することで、生を意識する。
今・ここ・自分を取り戻す。
最後の晩餐、僧侶との死と生の対話、今までの自分の棚卸し、冥土体験、振り返り。
たまにはじっくり、
自分と向き合いませんか。
本当に死にそうになる前に。
イベント詳細↓
結論から言うと
参加して、本当に良かった。
定員10名という少ない規模感も良かった。
生と死について真剣に向き合って
考えた事がある方々の
参加に至るまでの経緯や思い、
感じ方、考え方を聞かせていただきました。
今回お経を詠んで下さる
御坊さんのお話も面白く
葬儀場を提供して下さった葬儀屋の社長さんや、終活セミナーの講師を勤めていらっしゃる方も今回は一顧客として参加し、
私や他の参加者の方と同じ目線で自分の
思いを語って下さいました。
皆さんが本音で話しているのが
伝わるからこそ
私自身も臆する事無く、
胸の中にある死生観に向き合い
思いを吐き出す事ができました。
どの方のお話しも自分と重なる
共感出来るところがあり
話す方も聞く方も互いに
涙が溢れてしまうような
少し不思議な、それでいて
心が満たされるような時間でした。
棺桶に入る前までは
自分がその中で横たわり、御坊さんにお経を唱えられ、見送られる時間が一体どんなものになるのか、全く想像もつきませんでした。
棺桶の蓋が閉じられ、小窓が閉められ
目を瞑り、御坊さんの唱えるお経が聞こえてきた時、そこで感じた事は
『あぁ。これで終わりなんだなぁ。』
でした。
私の気持ちは意外にも
とても安らかで穏やかで
それなりに満足していて、
棺の外から自分に向けられたお経を
聞いていると、
まるで心が鎮まるようで
とても心地の良いものでした。
ただ、その直後脳裏に浮かんできたのは
私の大切な人が
棺の前で泣きじゃくる姿でした。
私はこれで終わりだけど
残してしまう大切な人が、
孤独に呑み込まれてしまったり
哀しみや寂しさを感じて
残りの人生が辛いものになってしまう事だけは絶対にしてはいけない。
その人の為に、もしも私が先に去るのならば
哀しみを笑顔に変えるような
ポジティブで明るいお葬式にしたい、と
棺の中で必死に考えていました。
参列した他の人達はきっと、
私が先に逝ったとして
一時は悲しむだろう。
たまに、思い出してくれるかもしれない。
けど、私の死が足枷になる事は
まず無いだろう。
変わらず明日はやって来て、
変わらず自分の人生を生きるのだろう。
それが普通の事だと思うし
勿論それくらいで、丁度良い。
ただ、遺族はそうでは無いのかもしれない。
後悔や自責の念に囚われるかもしれない。
でも、そうは思って欲しくない。
残された人はその後も希望を持って
明るい気持ちで
前向きに生きて行ってほしい。
だから、自分の最後の時は
笑顔のある楽しいお葬式がしたい。
『いろいろな事があったけど、いろいろな事があって良かった!結局こんなに面白おかしい人生でしたー!皆んな出会ってくれてありがとう!!沢山の感動をありがとう!!とても愛しい一生だったよ!!じゃあ、またねー!』
くらいのテンションで。
1番を紹介したい。
1番美味しかったお店とか、
1番夕陽が綺麗に観えた場所とか、
1番好きなモノや、1番好きなコトとか。
香典返しも辛気臭いのはやめて、
結婚式の引き出物のような明るくてキラキラした物が良い。
泣かないで笑って送り出して欲しい。
そして皆んなを安心させて、
笑わせて去りたい、
と思いました。
今迄は正直、自分が亡くなった後の事なんて
たいして気にもしていなかったし
考えた事もありませんでした。
でも『終わった後の事は知らない』では、
あまりに無責任で
沢山の人に支えられ、助けられて
生きて来たはずなのに
その恩返しが出来ていない。
亡くなった時、バトンを託したい人に
良いバトンが渡せるよう
今考える事、やるべき事はあるな、
と思いました。
今回の葬儀場を提供して下さった社長さん
言わく、
彼は2,000組以上のお葬式に立ち合い
故人を見送ってきたけれど
残された遺族が必ず口にする言葉があるそうです。それは、『もっとこうしてあげれば良かった。』という自責と後悔の念なのだそうです。
『皆さん命が永遠に続くものだと思っていて、
大切な人や今目の前の幸せに、突然終わりが訪れるかもしれないとは思っていない。いつか死ぬ、という事は分かっているのだろうけど、それは遠い未来だと思っていてどこか現実味が無い』と。
このようなお話しだったと思います。
話しを聞いていて、私も昔から
『なんで皆んなもしかしたら明日
死ぬかもしれない、
と思えないんだろう?』と感じており、
お話しに共感し、何度も頷きました。
死を通して、生の尊さを知る
改めて命と向き合い、考え
日々の愛しさ、大切さを再認識する、
よい振り返りになりました。
順番なんて分からない。突然やって来るものだから、他人事では無い。だからこそ
幸せの瞬間を自力でも良い、他力でも良い
増やして、積み重ねて、一緒に生きて
いつかのお別れの時に自分が後悔しないよう
去った後の事もちゃんと考えておかないと、
と考えさせてくれる
とても良い一日でした。
ちなみに
最後の晩餐として『前日の夕飯を
写真に撮って来て下さい。』との指示があり
私が現世で食べたい最後の食事は
おつまみを食べてお酒を飲んだ後
『納豆ご飯・なめこのお味噌汁・卵焼き』
でした。
卵焼き、最後の食事になるのに
失敗しました。
それもまた、乙ですね。