リアルタイムではモロッコー!
もうヨーロッパの記事すっ飛ばしてリアルタイムブログ書きたいくらい!!
憧れだったモロッコに、毎日きゅんきゅんしています![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
(^~^)
******************************
ベルリンは、ドイツでもかなり北の方に位置しているので、9月後半でしたがかなり寒かったです。
コート必須!!冬物のバリエーションがない私は、毎日ほとんど同じ格好です。笑
さてさて、ベルリンといえばやっぱり、『ベルリンの壁』ですよね。
イーストサイドギャラリーと言って、2キロくらい壁が残されている場所があります。
ずーっと続く壁一面に、ペイントが施されています。
第二次世界大戦に負けたドイツは、西側を資本主義国家であるアメリカ、イギリス、フランスが。
東側を社会主義国家のソ連が占領しました。
ドイツの首都だったベルリンも、同じように西側と東側に分けられました。
でも、ベルリン自体は東ドイツのなかに位置しているので、
西ベルリンは、四方を対立する社会主義側に囲まれることになりました。
計画経済が適用された東ドイツや東ベルリンは、国から命じられる無茶な仕事に不満が募り、自由を求めて西ベルリンや西ドイツに亡命する人が増えていきました。
それで、西側に逃げることができないように、西ベルリンを囲むようにぐるっと壁が作られたんだそう。
同じく社会主義国家だったハンガリーが、国民の自由化の動きによって、
西側ドイツのお隣のオーストリアとの国境を開放しました。
当時、同じ社会主義国家への旅行は可能だったため、東ドイツの人たちはハンガリー経由でオーストリアから西側ドイツに亡命するようになります。
そんで、東ドイツ市民たちの自由化を求める動きが強くなり、政府が観念して東西ドイツ国境が開放されることになったらしいです。
↑ 旧ソ連と旧東ドイツが親密だったことを表しているそうな。
東側から見る西ベルリンはどんな景色だったのかな?
急に壁が作られて、昨日まで当たり前に会えていた家族や友達と会えなくなった人たちはどんな気持ちでいたのかな。
壁があった場所をてくてく歩きながら、
色々と想像してみる。
壁自体は、イスラエルで見たそれよりもずっと低いものでした。
でも、この壁には、たくさんの犠牲と諦めと絶望が詰まっているんだよなあ。。
無知な私は、ベルリンの壁がどんなものなのか、ぼんやーーーりとしか知りませんでした(_ _)
今もたぶん、ぼんやりとしか分かってないのだと思います。
それでも、ここに来て良かったなーと、思うのです。
この目で見れたこと、感じられたことに感謝です。
******************************
もうひとつの歴史。
ベルリンにあるユダヤ博物館にも行って来ましたー
微妙に傾いた床。
たくさんの顔が敷き詰められてる
ホロコーストの塔
強制収容所での希望のない生活を擬似体験できる
建物の造りや展示の仕方が斬新で、ユダヤ人の歴史を体感させてくれるような博物館でした。
オシャレだし、結構おすすめですー!
日本語のオーディオガイドもあるし。
(3ユーロをケチって借りなかったけど、私の英語力では限界があった...めっちゃ後悔しましたーm(_ _ )m)
でもね、
ユダヤ人がどんなことをされてきたのか。
知れば知るほどに
パレスチナのことが思い浮かんで、
迫害されてきた歴史を、今度は自分たちが繰り返してるんじゃん。
なーんて、穿った見方しかできませんでした。
うーーーん
知らないことが多すぎるなあ。
(TωT)
もうヨーロッパの記事すっ飛ばしてリアルタイムブログ書きたいくらい!!
憧れだったモロッコに、毎日きゅんきゅんしています
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
(^~^)
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ベルリンは、ドイツでもかなり北の方に位置しているので、9月後半でしたがかなり寒かったです。
コート必須!!冬物のバリエーションがない私は、毎日ほとんど同じ格好です。笑
さてさて、ベルリンといえばやっぱり、『ベルリンの壁』ですよね。
イーストサイドギャラリーと言って、2キロくらい壁が残されている場所があります。
ずーっと続く壁一面に、ペイントが施されています。
第二次世界大戦に負けたドイツは、西側を資本主義国家であるアメリカ、イギリス、フランスが。
東側を社会主義国家のソ連が占領しました。
ドイツの首都だったベルリンも、同じように西側と東側に分けられました。
でも、ベルリン自体は東ドイツのなかに位置しているので、
西ベルリンは、四方を対立する社会主義側に囲まれることになりました。
計画経済が適用された東ドイツや東ベルリンは、国から命じられる無茶な仕事に不満が募り、自由を求めて西ベルリンや西ドイツに亡命する人が増えていきました。
それで、西側に逃げることができないように、西ベルリンを囲むようにぐるっと壁が作られたんだそう。
同じく社会主義国家だったハンガリーが、国民の自由化の動きによって、
西側ドイツのお隣のオーストリアとの国境を開放しました。
当時、同じ社会主義国家への旅行は可能だったため、東ドイツの人たちはハンガリー経由でオーストリアから西側ドイツに亡命するようになります。
そんで、東ドイツ市民たちの自由化を求める動きが強くなり、政府が観念して東西ドイツ国境が開放されることになったらしいです。
↑ 旧ソ連と旧東ドイツが親密だったことを表しているそうな。
東側から見る西ベルリンはどんな景色だったのかな?
急に壁が作られて、昨日まで当たり前に会えていた家族や友達と会えなくなった人たちはどんな気持ちでいたのかな。
壁があった場所をてくてく歩きながら、
色々と想像してみる。
壁自体は、イスラエルで見たそれよりもずっと低いものでした。
でも、この壁には、たくさんの犠牲と諦めと絶望が詰まっているんだよなあ。。
無知な私は、ベルリンの壁がどんなものなのか、ぼんやーーーりとしか知りませんでした(_ _)
今もたぶん、ぼんやりとしか分かってないのだと思います。
それでも、ここに来て良かったなーと、思うのです。
この目で見れたこと、感じられたことに感謝です。
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もうひとつの歴史。
ベルリンにあるユダヤ博物館にも行って来ましたー
微妙に傾いた床。
たくさんの顔が敷き詰められてる
ホロコーストの塔
強制収容所での希望のない生活を擬似体験できる
建物の造りや展示の仕方が斬新で、ユダヤ人の歴史を体感させてくれるような博物館でした。
オシャレだし、結構おすすめですー!
日本語のオーディオガイドもあるし。
(3ユーロをケチって借りなかったけど、私の英語力では限界があった...めっちゃ後悔しましたーm(_ _ )m)
でもね、
ユダヤ人がどんなことをされてきたのか。
知れば知るほどに
パレスチナのことが思い浮かんで、
迫害されてきた歴史を、今度は自分たちが繰り返してるんじゃん。
なーんて、穿った見方しかできませんでした。
うーーーん
知らないことが多すぎるなあ。
(TωT)