半年に一回通う場所。
病院。
心電図、エコー、診察。
時には、ホルスターってやつだっけかな。
24時間付けて、心電図とるやつ。
肩がけのでっかくて、テープで心音撮ってて、ジーーーーって音がなってる。
つけて学校なんかも行ったけな。
頭と肩の皮膚は、生まれつき白く、頭は髪の毛が白髪の部分もある。
「白髪ジジイ!!!」
と呼ばれていじめられていた。
馬乗りになられて「走れーー!」とか言われたっけな。
保育参観日だったのか親がたくさんいて、その中に親父がいた。
目を向けると、目をそらした。
保育園や学校。
集団生活って本当に馴染めない。
身体的に人と違うだけで、いじめられて。
先生なんかも見ていたと思うし。
なんなら、「センセイ」という人の言う事をなぜ聞かなければいけないんだろ?
と思ってた。
まぁ今もそうなんだが(笑)
1986年11月7日。
夜に私は田子町で産まれた。
ミルクは飲ませても吐いてばかり。
横にしておけば吐く子だったそうで、色白で痩せてた。
春先、家族全員が風邪をひき。
私だけが治りが悪く、病院へ。
もっと大きな病院で診てもらってください。
いろんな検査をしたところ。
「総肺静脈環流異常症」という診断。
分かりやすく言うと、心臓の4つあるうちの部屋に穴が空いていて、うまくポンプ機能が働いていない。
それからは入院し。
親父は実の姉(現在は看護師学校の先生)へ連絡し、心臓の名医を、教えてくれ!
そう言い、必死だったそうな。
たまたま田子町から車で1時間ほどのところにある八戸市立市民病院に心臓のいい先生がいるとのことで
生後6ヶ月で手術。
しばらくの入院生活とは言っても記憶にはない。
まだ動けない赤ちゃんは病室ではアイドルのようにみんなを笑顔にした。
↑の写真は立ってるから、退院後しばらくしてからだと思う。
自分で見ても色白だなぁと思う。
まぁ今も黒くはないけど(笑)
この世に生まれた時に、もう人とは違う。
それは誰しもそうだろう。
顔や背格好、性格が違うのだから。
個性なはずなのに、人はさらに人との違いを探して仲間から外そうとする。
一人一人が違う個性って素晴らしい事じゃない?
私は物心ついたころから、世の中に対しての不安感や不満があった。
保育園や学校に対して。
お金や大人たちのコミュニティに対して。
見えないルールや空気感で、誰かに言われてもいないのに、キツく命令されてるように動いてることに対して。
一言で言うと
【生きづらかった】
どうして周りの人と合わせなければいけないの?
どうして同じ行動しなきゃいけない?
どうして、
どうして、、
どうして、、、
そんな生きづらい人生を送ってきた。
最近になり気づいたことがある。
病院へは18歳になるまで定期的に通い。
検査をしてきた。
「先天性の心臓病の100人に1人の病気があなたの病気だった。
生後6ヶ月までよく生きた。
奇跡だよ。」
って先生に言われた。
生かされた人生。
この世に産まれやることがあるからこそ。
今この身体をお借りしてる。
人と違うことを背負って生きてきたなら
必ずや乗り越えてきたし
これからも乗り越えられる。
食べることは生きること。
そう強く想い、農家になるなんて。
私自身、思ってもいなかったし1番ビックリしている。
みやむらゆうき、みやむーとしての人生。
これから何をお伝えでき、誰かを楽しませて幸せにできるのだろうかと。