なにをかくそう(笑)僕の実家は、街の小さなガラス屋さんなんです。


家の玄関と店の入り口は一緒。住居スペースとお店はつながっていましたので、常に父が仕事する姿を間近に見ていました。


小さい頃、新築・改装・修繕の現場にオート三輪のトラックで連れて行ってもらったのが僕の多職種人生の始まりですね。

現場は都内・神奈川あちこちに行ったので、僕が交通網や土地勘に驚異的に優れるのもそのおかげです。

現場にはお客さん・監督さん・職人さん逹に会え、父がその方逹と係わる姿を見ることにより、子どもながらに随分と社会勉強をさせていただきました。

そしてお店の事務所には昔ながらの煙突のついた石油ストーブがあり、それを囲みながら商談するのもよく聞いていたので、他の子よりも随分と社会的知識は豊富になりました。


しかし、扱うのがガラスでしたし、技能職でしたのでお手伝いはあまりさせてくれませんでした。

たまにお手伝いをしても『家業』という事で、お小遣いは貰えませんでしたが、お金では買えない程の社会勉強をさせてもらいました。

ガラス屋は祖父が旭ガラスの元社長さんと知り合いで、その方から勧められたのがきっかけで始めたそうです。

家庭の方針で、小さい頃から「ガラス屋は父の代で終わり」と言い聞かせられていたので、残念ながら長男である僕や弟が継ぐ事はありませんでしたが、現在の建築事情・社会情勢を鑑みても、父には先見の明があったと、今ではそう理解しています。

僕が行った学校は工業高校の建築科でしたし、実は社会に出てからも父から「家に戻ってガラス屋を手伝ってくれ」と言われるのをずっと楽しみに待っていたのですが、それも無かったので、現在の仕事(介護職)にありついています。


現在もガラス屋は細々とやっていますが、父の健康問題もあり、そろそろ廃業を考えているようです。



父の後ろ姿から見た仕事と社会



形は変わっても僕の人生の礎になっています。