先日、曾祖母(ひいおばあちゃん)が

老衰のため亡くなりました。

94歳でした。


ラジオでは年齢を数えられてなくてごめんね。


私の家族は

ひいおばあちゃんをおかあちゃん

その息子の(私のおじいちゃん)をおとうちゃん

と呼んでいました。


私のお母さんも私も

おかあちゃんに育ててもらいました。


おかあちゃんは「育ての親」です。


私が知る

おふくろの味はおかあちゃんの手料理の味です。


小さい頃粉ミルクを飲まなくて困ってた時も

煮物の煮汁を飲ませてくれて

なんとか成長できたと大人になってから聞きました。


母の体調が優れず私の世話ができない時や

母が働いていて私の面倒を見ることが出来ない時。

いつでもおかあちゃんがそばに居てくれました。


熱が出た時はいつも

暖かいご飯を作ってくれたのですが

熱がある時に私がどうしても

カップ焼きそばを食べたいとお母ちゃんに伝えたら

急いでスーパーで買ってきて作ってくれたけど

熱で味覚が変になってて残してしまって

めちゃくちゃごめんねって思ったのが

何故か凄く印象に残ってます。


キャラクターのリンスインシャンプーが可愛くて

欲しい!って言ったら母に内緒で買ってくれたり

(あとで母に怒られました)


初めてのヒールサンダルは

お母ちゃんが買ってくれたのもおぼえています。

ピンクでビーチサンダルにヒールがついてるみたいなやつでハートが書いてあったっけなぁ。


今私が元気でいるのも

おかあちゃんのおかげです。


本当にありがとう。


戦争を生き抜いたおかあちゃんは

今までで出会った誰よりも強い人だと

胸を張って言うことが出来ます。


よく、戦争の時の大変だった話を

たくさんしてくれました。

今の生活からは想像出来ないような

あんな話やこんな話。

どのエピソードも私の心に深く刻んであります。

何度も死を覚悟しながら人生をタフに歩んできた

おかあちゃんのお話はずっとずっと忘れません。


おかあちゃんは旦那さん(私の曾祖父)を

早くに亡くしていたのに

(私は会ったことがありません。)

ずっと元気にお母さんと私を育ててくれていました。

今思うと絶対に孫たちを幸せにするんだって覚悟が

本当に凄かったんだなって身にしみて感じているし

ここで悲しんでいたらおかあちゃん怒るだろうなぁって

思います。


でもやっぱり寂しいし悲しいです。


家や公園でおままごとしたり

チョコ(犬)ちゃんとすごくながーいお散歩に行ったり

ご飯を作るのたまーに手伝ったり。

毎月お小遣いをくれていて

それを貯めて旅行でお土産いっぱい買ったなぁ。


9歳でハロー!プロジェクトに入ってから

ちゃんと家族旅行に行けたのは


2回くらいでした。


幼少期は

おとうちゃんと3人で

色んなところに旅行行ったんだよなぁ

懐かしいなぁ。


旅行が大好きだったおかあちゃんと

もっと旅行に行きたかったな。


今思うとあんなこともこんなことも

出来たかもしれないなって思うことがあって

心残りがないかと聞かれたら

素直に無いと言えない自分がいます。


中高生時代はダイエットや色んなことに

に苦しんでいた時にこっそりお小遣いくれたりして

その優しさでなんとか頑張れていたなって思います。


おかあちゃんが居なかったら

今の宮本佳林は居ません。


いつだって私の幸せを願ってくれていたおかあちゃん。

今頃はひいおじいちゃんとおじいちゃんと逢って幸せにしているといいなぁと心から思っています。


そしていつでも活動を支えてくれた

ひいおばあちゃんのためにも、

これからの活動を、周りのすべての人への感謝を後悔なく伝えられる行動が出来るように

しっかり頑張っていきます。


おかあちゃん。

大好きです。

長い間本当にありがとう。