いろいろ自分で考えなきゃいけない時代なんだな~としみじみ思う今日この頃


こんな記事があったので転載します

長いですけれど、読んで考えてくださいね


(転載) 京都大学教授  藤井聡さん

 我が国にはどういう訳か、「自由貿易は善」であり、その自由貿易の対立概念である「保護貿易は悪」であると、頑なに信じて疑わない人が多い。

こういう人々は、例えばTPPへの加入がどれだけ我が国の国益を損ねることを明示しても、どこかで「本来は、TPPへ加入すべきなのだ」という信念を捨てきれないようである。

その背景には、「自由貿易は全体の利益に繋がる一方で、保護貿易は一国の利益に資するものにしか過ぎない、したがって、保護貿易は“不道徳”だが、自由貿易は“道徳的”だ」という思いこみがあるようだ。

つまり関税が存在することそのものが彼らにとって「悪」なのであり、その完全撤廃をもたらすTPPは「善」なのである。


 しかし、「過激」な自由貿易は、究極的には日本を含めた様々な国々を「亡ぼす」。それは次の理由による。


1)それぞれの国々のローカルな諸産業・諸企業は、それぞれの国々の雇用を守ると同時に、ローカルな文化、伝統、慣習を保存させる機能を持っている、

2)一方で、過度な自由貿易の導入は、それぞれの国々のローカルな諸産業・諸企業を、グローバルな諸企業との競争に晒す事を通して、衰退させ、最終的に壊滅させる、

3)それ故、「過激」な自由貿易は、各国の伝統、文化、慣習を破壊し、そして、最終的には雇用を喪失させることを通して、その国を根底から熔解させ、究極的には「亡ぼす」。


 自由貿易がこうした「亡国」のリスクすらもたらすものである以上、それを「善」と呼ぶこと自体、不道徳であると言えそうだ。

 しかし、自由貿易の「不道徳性」は、こうした「亡国」のリスクを各国にもたらすからだけなのではない。過激な自由貿易は「亡国」どころか「世界を亡ぼす」リスクを高めてしまうのだ。



 その理由は、「進化論」、とりわけ集団と個体のそれぞれでの2つのレベルでの淘汰過程を想定する「階層淘汰論」と呼ばれるものから演繹される(※)。少々複雑な論証となるが(一つ一つの論理展開は単純なものであるので)、以下にその概要を説明することとしよう。


1)我々の社会には、自分勝手な「利己主義」と、他人を思いやる協力的な「利他主義」の二種類がある。企業で言えば、金儲けの事ばかりを考え、時に顧客を裏切るような「裏切り者」の企業が「利己主義」で、金儲け主義に走らずに顧客や労働者の幸福を願う気持ちを忘れない「正直者」の企業が「利他主義」だ。

2)利他主義と利己主義が直接競争をすると、究極的には「利己主義」が勝利し、「利他主義者」が「淘汰」される(つまり、「正直者はバカを見る」)。したがって、彼らが閉じた国の中にいるなら、利他主義者は「淘汰」され、最終的にその国は「利己主義者ばかりの国」となる。


3)しかし、「国々の競争」があれば、状況は一変する。なぜなら、「利己主義者が優越する国」(裏切り者の国)では人々は協力せず、奪い合い、多くの富を生み出すことに失敗し「貧しく」なっていく一方で、「利他主義者が優越する国」(正直者の国)は、人々が協力し合い、多くの富を生み出し「豊か」になっていく。

だから、「国々の競争」があれば、長い時間の果てに「裏切り者の国」は「正直者の国」に敗れ、「淘汰」されていく。

4)つまり、「個体同士の競争」では「正直者」が淘汰され、「集団同士の競争」では「裏切り者」が淘汰される。だから、世の中に「正直者」と「裏切り者」が共存しているのは、「個体同士の戦い」と「集団同士の戦い」の双方が同時に存在しているからなのである。

5)ところが、過激な自由貿易の推進、グローバリゼーションの徹底は、「国境」を熔解させ、この世界から「国々の競争」を消滅させ、「個体同士の競争」(たとえば企業間の競争)を激化させていく。

6)これはつまり、この世界に「正直もの」が生き残る重要な契機が一つ失われてしまう事を意味している。その結果、過激な自由貿易の推進=グローバリゼーションによって、世界が「利己主義者」に支配されることを加速する。つまり、グローバリゼーションによる国境の熔解によって、「裏切り者=利己主義者の暴走」に歯止めがきかなくなるのである。こうして、この世から「正直者」が姿を消し、世界は「裏切り者=利己主義者」で埋め尽くされていくこととなる。

7)その結果、世界中で裏切り合いや奪い合いが横行し、世界全体が「貧しく」なり、世界中の人々の幸福水準が大幅に低下してしまう。



 この様に、人々が協力し合い、人々が安心して豊かに暮らすためにどうしても求められている利他主義や正直者、ひいては思いやりや道徳といったものは、「個体間競争」と「集団間競争」の間の「適切なバランス」があって初めて、この世から全て蒸発することなく存続していくことが可能となるのである。


 そして21世紀の現在、そうしたバランスを保つためには「国境」は不可欠なのだ。


 国境が無くなれば、国家という次元の「集団間競争」がこの世から消滅する。そうなれば、個体間競争だけになり「正直者の企業」がこの世に生き残ることができなくなる。結果、グローバル企業だけが生き残り、世界中の人々が不幸な暮らしを強いられるようになる。


 例えば世界各国の労働分配率(売り上げに占める賃金の割合)は、グローバリゼーションが進行するに伴って、低下し続けている(例えば、中国や韓国は、その具体例だ。そして、TPPに我が国が加入すれば、我が国の国民も早晩、そうした憂き目に遭うであろうことは間違いない)。これは、労働者達の豊かな暮らしにも配慮する「正直者企業」が、グローバリゼーションの進行によって、企業利益のみを追求する裏切り者企業に敗北し、「淘汰」されていく現実を意味しているのだ。



 つまり、国境をなくす程の「過激」な自由貿易の推進は、一つ一つの国々を亡ぼすだけでない。この世界において、あらゆる次元の「正直者」を駆逐し、「裏切り者」をはびこらせることとなる。そして究極的には、TPPに象徴される過剰な自由貿易は、世界中の人々を不幸の淵に突き落とし、世界そのものを亡ぼす危険性を秘めているのである。



 これこそ、自由貿易に潜む「不道徳さ」の本質なのだ。



 だからこそ、「自由貿易はとにかく善きことなのだ」などという陳腐で軽薄な思いこみや、「平成の開国」などという、空々しい勇ましさなるものは、「不道徳の極み」と唾棄すべきものと見定めねばならないのである。そして、日本の存続のみならず、この世界の存続そのもののためにも、我々は「個体間競争と集団間競争の間の適切なバランス」、ひいては「適度な自由貿易と保護貿易のバランス」を考え続けなければならないのである。


※ (この理論の詳細は『なぜ正直者は得をするのか』(幻冬舎)を参照されたい)

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 「自由」はすばらしい

 「関税」なんてないほうがいいに決まってる

 「国境」なんてなければいい


 そんな思いこみを人々に植え付けて、国境も関税も無くして自由化し、世界中の富を手中に収めようとしている人達がいると言う事です。

 思い通りにならないでください。