叔母③の病気その6 | かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

2004年に子宮頸がん小細胞がんになりました。
かなり珍しい種類のがんなので治療方法とかを書いてます。
今更かよ~役にたたないよ~と自分でも思いますが・・・
再発しても生きてる人はたくさんいます。
自分が納得した治療ができるといいなと思います。

防災グッズを点検しました

 

2個目の大腸がんを内視鏡で取るため

2カ月ぶりに入院した叔母③。

一緒に入院受付窓口に行く。

 

叔母「ねえ。この前パジャマのレンタルをする時は

ミヤコと一緒だったよね?」

都島「行ってないよ。私はすぐに帰ったもの。

(現在コロナ対策で病棟には入れない)

叔母さんが一人でしたんだよ」

叔母「え?そうだっけ?」

都島「うん。入院受付では

部屋番号がわからないもの」

叔母「・・・」

 

入院受付した後、病棟に行くと

その時に部屋番号がわかるシステム。

 

しかし腑に落ちない叔母③は

入院受付担当に聞いていた。

ここらへんは実母とよく似てる。

自分が納得しないと人の言うことは無視する。

ま、それはそれで大切かもね

 

叔母「私は何号室ですか?」

入院「それは病棟に行って聞いてください。

ここではわかりません」

叔母「(あら、そうなのね)」

都島「(ね!)」

病棟入口でバイバイと手を振って別れた。

 

そして病院から帰る途中に

携帯電話に着信アリ。

叔母「あのさー薬を忘れてきちゃったの」

都島「どこにあるの?」

叔母「一階の机のあたり」

都島「了解~」

 

病院と家が近いと

こーゆー時が楽だね。

薬はすぐに見つかった。

きちんとビニル袋に入って

一週間分あれこれ入っている。

それを持って再び病棟入口まで行く。

ここから中には入れないので

病棟クラークさんに手渡しする。

 

叔母「お世話かけました」

都島「お役に立てて良かったです」

 

まあ2回目だから大丈夫だろうと

こっちも油断していたけれど

やっぱり80才なので

一緒に荷物の点検は必要だったのかも

 

叔母③は承諾書のサインを自筆できる

荷物も自分で準備できる

それだけでもラクチンだ

 

実母は全くできなかった

視力低下だし握力低下もあり

最初から文字を書く気なかった

まじで実母の入院は大変だったなぁ

しかも頻繁だったし

突然の入院も多かった

 

今回も穿孔はなし。

オペも無事に終了した。

叔母「今回は手術中、ずっと痛かった。

我慢していたら

筋肉痛になっちゃった」

あれれ 内視鏡でもそうなのね

今回は結腸だから感覚があるのかな

 

とにかく手術ができて有難い

 

せっせと歩いてね

病院徘徊してください

動いた方が筋肉痛は早く治るよ

 

それにしても

叔母の家の合鍵は

ブランブランと

軒下に吊るしてあった。

 

ちょっと見えにくい場所だけど

これ、いくら何でもあかんやろー

いまどき不用心だよね

どうにかしなくちゃなぁ

 

自分の周りには良い人だけが

住んでると思ってる叔母③

性善説すぎて笑えた