今日の京都8月27日(火) | 都のかほり日記

都のかほり日記

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おはようございます。
台風10号は前回の予想よりもさらに西よりのコースに変わりました。台風は29日頃に九州に接近し、上陸するおそれがあり、その後、31日頃にかけて日本列島を横断する見通しです。
どうぞ、台風情報にお気をつけてください。



さて、1868年の今日、
京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行されました。(新暦10月12日)


【即位とは】
皇嗣(天皇の跡継ぎ)が新たに皇位に就くことを「即位」といいます。古代では神へ寿詞(よごと)を奏上し、神璽を献納する事を中心とした、簡素なものでしたが、平安時代に「皇位の継承」である「践祚(せんそ)」と「即位(そくい)」が別の儀式として行われるようになり、唐風の儀式が江戸時代まで続いていました。
即位にかかる儀式全般を即位儀礼といいますが、これは皇嗣が即位する「践祚の儀」と即位したことを内外に宣下する「即位の礼」に分かれます。

また、この即位の礼後に、五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度の大嘗祭が行われます。即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)または御大典(ごたいてん)とも称されます。

【明治天皇の即位の礼】

慶応2年12月25日(1867年1月30日)、第121代・孝明天皇の崩御を受け、儲君睦仁親王が翌慶応3年1月9日(1867年2月13日)に践祚して皇位を継承し、第122代明治天皇となりました。当初は11月に即位の礼を行う予定でしたが、徳川慶喜による(徳川家第15代かつ最後の征夷大将軍)大政奉還など時勢が急速に変化していく中で、国事多難を理由に見送られました。

明治新政府は、翌年の慶応4年(明治元年/1868年)5月に新時代の到来を宣布するため、変化に相応しい新しい即位式の挙行を目指しました。津和野藩主で神祇官副知事の亀井茲監をして「御即位新式取調御用掛」に任命しました。岩倉具視は亀井に唐風儀式の撤廃と古式復興を命じました。新時代の象徴として、式典において地球儀を用い、皇威を世界に知らしめることを目的としました。孝明天皇即位に使用された高御座は安政元年(1854年)の内裏焼失によって失われていたので、例年の節会などに使う帳台をもって高御座と称しました。唐風とみなされた装束や装飾は全廃されたため、礼服は廃止され、平安時代以来礼服に次ぐ正装であった束帯が使用されました。庭に立てる儀仗用の旗の類も廃止され、幣旗という榊がたてられました。







出典国立公文書館

慶応4年8月17日(1868年10月2日)に、10日後の8月27日(1868年10月12日)に即位の礼を行うことを発表し、同月21日から関連儀式を執り行った。殊に崇徳天皇に勅使を遣わし命日である同月26日に霊前で宣命を読み上げた翌日27日、即位の礼当日は、宣命使が宣命を読み上げ、参列者中、筆頭位の者が寿詞を読み、古歌を歌われた。そして「拝」と一同唱和し、式典が終了した。
この項出典
wikipedia

明治6年の皇城(皇居)炎上で即位の礼に関する太政官・宮内省文書の大半は焼失しています。「御即位新式取調御用掛」を務めた亀井家に伝来した「戊辰御即位雑記」2冊の附図8帖を画家浮田可成が模写することにより、政府によって復元が図られました。また、「明治天皇御紀附図稿本」中の即位の礼を描いた場面は、後世の作品とはいえ綿密な時代考証に基づいて作成されており、当時の様子を現在に伝えてくれています。
出典国立公文書館

昨日、崇徳天皇のことを取り上げました。その時、明治天皇が崇徳天皇の御霊を白峯神宮に祀られたと書きましたが、即位に際しても、崇徳天皇に勅使を遣わし、霊前で宣明を読み上げられというのは、びっくりでした。

【天皇の即位の礼はどこで?】
明治維新により東京奠都し、天皇が国家の最高指導者に位置付けられてからは、旧皇室典範並びに登極令の制定により、天皇の践祚・即位に関わる一連の儀式の様式が定められ、御大礼(即位の礼)は京都で行う旨規定されていました。そのため、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の御大礼は平安様式に則り京都御所にて執り行われました。

その後、1947年(昭和22年)制定の現行の皇室典範では場所については規定されていなかったので、平成の即位の礼・大嘗祭は皇居で行われました。従来「紫宸殿の儀」と称していた儀式が「正殿の儀」となりました。

平成の即位の礼を京都御所で行うか、皇居で行うかは、当時、議論されました。しかし、現在、東京が日本の中心になっていること、外国からの即位の礼に参列される方々の交通の便、(当時は関西国際空港も開港していませんでした。)警備の面でも、皇居で行う方がということで、皇居で行われました。

この即位の礼では、最重要の儀式が「正殿の儀」です。天皇は束帯、皇后は十二単に身を包むまれます。天皇の束帯は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と言い、天皇以外は着用できなくなっています。
正殿の儀にて使用される玉座は天皇のものを高御座(たかみくら)、皇后のものを御帳台(みちょうだい)と呼びます。造りは三層黒塗り継檀の上に八角形の屋根を置き、鳳凰・鏡等の装飾があります。高さ5.9メートル、幅6メートル、重さ8トンに及ぶ大きなものです。この時、この高御座と御帳台は京都御所に保管されていましたが、即位の礼のために、京都から東京に運ばれました。



高御座(左)と御帳台(右)
東京国立博物館







即位の礼正殿の儀
特別公開高御座と御帳台のパンフレットより

【今上天皇陛下の即位について】
第125代天皇明仁(現・上皇)以来、即位の礼は「剣璽等承継の儀」、「即位後朝見の儀」、「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」、「饗宴の儀」の5つの儀式から構成され、これらは全て国事行為として行われます。

2019年5月1日の即位に伴い、皇室に伝わる剣や勾玉(まがたま)などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」、新天皇が三権の長らを前に最初のお言葉を述べる「即位後朝見の儀」を行われました。

2019年10月22日には、内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」の他、パレードで国民に広く即位を披露する「祝賀御列の儀」を実施し、同日以降、外国元首らを招待する「饗宴の儀」を開催されました。
 国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る儀式「大嘗祭」は皇居で行われました。秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となったことを内外に示すた「立皇嗣の礼」は、コロナウイルスのため、1年延期され、4年前の11月に開催されました。
(饗宴の儀は10月22日、25日、29日、31日に行われ、晩餐会は正殿の儀翌日の23日に行われました。)

この大嘗祭は、毎年11月に行われる「新嘗祭」を即位後初めて大規模に行うものです。
古くは「新嘗祭」と「大嘗祭」の区別は無かったとされていますが、7世紀後半の天武天皇の時に初めて2つが区別されたということです。
その後は、歴代の天皇が即位後に「大嘗祭」を行うことが皇室の伝統になりました。この大嘗祭で、使われた大嘗宮は2019年の11月から一般公開されました。





大嘗宮

私も、皇居東御苑にて公開された大嘗宮を拝見してきました。
また、その後、東京国立博物館にて高御座と御帳台も拝見しました。
なかなか、拝見できないご即位関連のものを拝見できて感動でした。
京都でもこの高御座と御帳台が公開されたので、ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。

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今上天皇陛下の即位に伴い、年号も「令和」になって、はや6年4ヶ月。すんなりと新しい年号にも馴染んできました。これも、一度「平成」で経験したからかもしれません。
図らずも、三つの元号を生きることになることに自分でも驚いています。

どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年8月27日(火)】(No.3571)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143


○大日如来祭/藤森神社



大日如来は、宇宙の中心におられると言う根本仏として知られています。
宇宙から1粒の塵まで大日如来は存在しています。
大日如来祭では、この世の中、すべてを祈願する為に行われています
日程8月27日
アクセス
京阪墨染駅下車徒歩7分
JR藤森駅下車徒歩5分
市バス藤森神社前下車 

その後、31日頃にかけて日本列島を横断する見通し

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)

○ 嵐山鵜飼(〜9/23)/渡月橋付近

○宇治川鵜飼(〜9/30)/宇治川

○ 上七軒ビアガーデン(〜9/7)/上七軒歌舞練場


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