今日の京都1月7日(日) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
いよいよ2024年令和6年が始動しだしました。
そろそろ暮れに飾った正月飾りをいつ外そうかと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

一般的には(全国的というのか、関東は)松の内(1月7日)までとされていますが、関西では小正月(1月15日)や二十日正月(1月20日)までとなっています。小正月までというのは、元々松の内が1月15日までだったこと、どんど焼き(どんと祭・左義長などとも言われます)の行事が、小正月に行われることが多いというところからきており、関西地方京都に多く残る風習です。

また、二十日正月は、
1月20日を正月が終わる節目の日とするもので京阪地方や岐阜、石川、群馬の一部に残っている風習です。 

鏡餅は、11日に(関西では15日に)鏡開きをするまでは、飾っておきます。

どんどん「ハレの日」から
「ケの日」へ。
ハレの日は、たまだからハレなのです。

さて、今日は七草です。今朝、七草粥を召し上がられましたか。




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さて、今夜からNHKの大河ドラマが「光る君へ」が始まります。主人公は紫式部(吉高由里子)です。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性です。ドラマでは、藤原道長(柄本佑)への思いと、秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君の源氏物語を書いていく姿を描いていきます。総合テレビ毎週日曜日午後8時



【紫式部とは】
紫式部の生年月日は不明ですが、近年の研究では970年(天禄元年)から978年(天元元年)の間に生まれたとされています。紫式部は実名ではなく、父や兄が「式部省」(しきぶしょう:教育などを司る行政機関)の役人であったことと、源氏物語のヒロイン「紫の上」(むらさきのうえ)にちなんだ呼び名とされます。

998年(長徳4年)頃、紫式部は親子ほど年の差がある山城守「藤原宣孝」(ふじわらののぶたか)と結婚し、一女をもうけました。このときの娘が、小倉百人一首にも登場する歌人「大弐三位」(だいにのさんみ)です。紫式部は、結婚後3年余りで夫と死別し、その後源氏物語の執筆を始めます。

1007年(寛弘4年)頃、66代「一条天皇」(いちじょうてんのう)の中宮である「彰子」(しょうし)に、女房(貴人に仕える女官)として出仕します。この彰子は時の権力者藤原道長です。

一条天皇が没したあともしばらく彰子に仕えていましたが、1014年(長和3年)頃に40歳くらいで死去したとされます。しかし、正確な没年や死因は明らかになっていません。なお、紫式部は、源氏物語によって人々を惑わせたから地獄に堕ちた、反対に、観音菩薩の化身だった、などと言われています。

【『源氏物語』】
紫式部が約10年をかけて完成させた、54帖からなる長編小説です。当時、漢文で書かれる文章が多かった中、ひらがなを使った文章だったということも大きな特徴でした。
その内容は、天皇と「桐壺の女御」(きりつぼのにょうご)の間に生まれた主人公「光源氏」(ひかるげんじ)が美しく成長し、学問にも音楽にも才能を発揮するという物語。宮中を舞台に繰り広げられる光源氏の恋愛模様は、女房達の間で大人気となります。その評判は一条天皇の耳にも届き、「源氏物語の作者は日本書紀を読んでいるに違いない。とまで称されたそうです。
『源氏物語』は54帖から成り、各帖はそれぞれで完結し、その集合体として長編小説になっています。
その54帖は、三部に分けられます。
1部は、桐壺(きりつぼ)の帖(第1帖)から藤裏葉(ふじのうらば)の帖(第33帖)まで。
主人公光源氏の誕生から、栄華を求めながら愛を遍歴する様が描かれています。
2部は、若菜上(わかなのじょう)の帖(第34帖)から幻(まぼろし)の帖(第41帖)まで。
光源氏の深まる苦悩や老いが描かれています。
※雲隠(くもがくれ)の帖は、タイトルのみで本文はなく、光源氏の死を示唆しています。
3部は、匂兵部卿(におうひょうぶのきょう)の帖(第42帖)から夢浮橋(ゆめのうきはし)の帖(第54帖)までです。
光源氏の死後、その子や孫が繰り広げるドラマを描いています。
宇治が舞台となる最後の十帖は、「宇治十帖」と呼ばれています。

【紫式部と清少納言】
紫式部と並び称される平安時代の清少納言は何かと比較されることも多く、互いにライバル視していたようです。
それには、一条天皇の后、定子に仕えていた清少納言とその後一条天皇の中宮となり、皇子を産んだ彰子に仕えていた紫式部と、宮仕えの時期は違っているものの、立場の違いもあったでしょう。
『紫式部日記』には、紫式部が清少納言に対して書いている箇所があります。
この日記は1008年(寛弘5年)秋から1010年(寛弘7年)正月までの宮中の様子を、日記と手紙で記した作品です。この中では、後輩にあたる「和泉式部」(いずみしきぶ)に対しては、私生活に苦言を呈しつつも才能を評価しています。先輩にあたる「赤染衛門」(あかぞめえもん)には尊敬の思いをつづっています。
しかし、清少納言に関しては「頭が良さそうに振る舞っているけれど、漢字の間違いも多く大したことはない。こんな人の行く末に良いことがあるだろうか」と痛烈に批判しています。

【紫式部、源氏物語ゆかりの地】
⚫︎廬山寺



紫式部が夫・藤原宣孝と結婚生活を送り、源氏物語を執筆したといわれています。人生の大半をこの邸宅で過ごしたそうです。
京都市上京区寺町通り広小路上る北之辺町397
ホームページ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/index.html

⚫︎雲林院



紫式部が晩年を過ごした地といわれています。『源氏物語』の「賢木(さかき)」の巻に、光源氏が恋い慕っていた藤壺に拒まれて出家しようと、この雲林院に籠もるという話が書かれています。
京都市北区紫野雲林院町23

⚫︎ 真珠庵



紫式部が産湯を使ったという井戸が残っています。
真珠庵は通常非公開で特別公開の時のみ拝観できます。
京都市北区紫野大徳寺町52 真珠庵

⚫︎紫式部墓所



雲林院から東に360mほど行った堀川通の西側には「紫式部墓所」があり、紫式部と小野篁(おののたかむら)のお墓が隣接して建てられています。
京都市北区紫野西御所田町

⚫︎ 宇治十帖モニュメント



宇治神社の前にある朝霧橋のたもとには、源氏物語「宇治十帖」の古跡全体を象徴するモニュメントが設置されています。このモニュメントはヒロインの浮舟(うきふね)と匂宮(におうのみや)が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な情景がモチーフになっています。
宇治市宇治山田68-1

⚫︎ 夢浮橋之古跡



宇治橋西詰の夢浮橋広場には紫式部モニュメントの前方に「夢浮橋之古跡」があります。
宇治市宇治蓮華5-2

⚫︎ 宇治市源氏物語ミュージアム
『源氏物語』に関する文献や史料、小説などのライブラリー機能をもち、図書室では4500冊以上の蔵書が閲覧できます。体験型展示コーナーでは平安貴族の華やかな世界観を体感することができます。
宇治市宇治東内45-26
ホームページ
https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/33/

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今日は「爪切りの日」でもあるそうです。新年になって初めて爪を切る日。
七草を浸した水に爪をつけ、柔かくして切ると、その年は風邪をひかないと言われているそうです。
また、今日は昭和天皇が崩御された日。
昭和が64年で終った日でもあります。
あれから35 年。
昭和は遠くなっています。
そして、平成も幕を閉じ、今からは、令和の時代です。

年が開けて1週間。今年は元日に能登半島での地震が起こり、いまだ余震に襲われています。まだ、被害の全容も分からず、被災された方々が寒さの中、頑張っていらっしゃいます。
少しでもお気持ちも身体も癒されて欲しいと願っています。
どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年1月7日(日)】(No.3338)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

【七草粥のお接待】

京都の神社仏閣で1月7日に七草粥のお接待があるところがあります。
主なところのご紹介です。
まだ、他にもお接待のあるところもあるかと思います。接待の数量が決まっているところがほとんどです。なるべく早目にお出かけになられることをお奨めします。

 ○西院春日神社 若菜節句祭



1月7日、神前に若菜を供え1年の無病息災と五穀豊穣を祈願、参拝者には若菜粥の接待があります。
また1/7に白馬を見ると健康に良いとされる宮中の白馬節句(あおうまのせっく)にちなみ本殿では白馬飾りも公開されるほか風邪除けの勝栗守の授与も。
当日は古札焼納祭も併催され正月飾りや破魔矢が焼納されます。
10時から若菜粥のお接待は11時から若菜粥料金は300円
アクセス
阪急「西院駅」から徒歩3分、またはJR嵯峨野線「二条駅」から徒歩15分、またはJR「京都駅」から市バス「西大路四条」下車
ホームページ
http://kasuga.or.jp/

○福王子神社 



七草粥 1/7、宇多天皇の母で光孝天皇の皇后であった班子女王を祀り、宇多天皇が開いた仁和寺の鎮守として知られます。七草粥は若菜摘みを好んだ光孝天皇を偲び、宇多天皇が中国の風習にならい宮中の行事として取り入れられたのがはじまりといわれることから七草粥の発祥の地ともいえます。
七草粥の接待は2003年からはじまり元日の神事で供えられた鏡餅を入れるのが特徴。
11時予定

○御香宮神社 七種神事

*今年は七草粥の振る舞いは中止となりました。

七草を神前に供える神事で御香宮では江戸時代より行われてきたという神事の後には名水百選にも選ばれた境内の「御香水」で春の七草を炊き込んだ七草粥が振る舞われます。
七草神事6時から

○上賀茂神社 白馬奏覧神事 



1/7、年の始めに白馬(青馬)を見ると一年の邪気が祓われるという中国の故事にならった宮中の儀式「白馬節会(あおうまのせちえ)」を神事化したものです。
神前に七草粥を供え神馬を曳き大豆を与える「御馬飼の儀」の後、二の鳥居手前、神馬舎付近で「厄除七草粥」の接待も行われるます。(有料、数に限りあり)
10時から
アクセス
地下鉄烏丸線「北山駅」から市バス「上賀茂神社前」下車、またはJR「京都駅」から市バス約40分「上賀茂御薗橋」~徒歩5分
ホームページ
https://www.kamigamojinja.jp/

*なお城南宮の七草粥の、お接待は2月11日に行われる予定のため、ここでは記載をしません。

○昭和天皇遥拝式/上賀茂神社

日程1月7日
時間午前10時

昭和天皇のご聖徳を称え武蔵野陵を遥拝します。

○若菜神事(1/7)/貴船神社

○若菜祭並昭和天皇祭遥拝式(1/7)/八坂神社

○今日庵初釜式(~1/12)/裏千家
初釜は新年最初に行なうお茶会で、お濃茶・お薄茶・そして懐石料理をいただき新年をお祝いするお茶会です。
お家元の主催の初釜は、お正客も招かれた方々も名だたる方が多いです。

○おくすべ/岩倉大雲寺
大雲寺の、おくすべは平安時代から続く祭です。洛北の奇祭とも言われています。
閉め切った堂内に、松の青葉を燻べて無病息災を祈願します。

日程1月7日
時間午後7時
アクセス
バス岩倉実相院下車徒歩4分 

○五花街始業式



裾引きの正装、頭には稲穂のかんざしを挿した花街の舞妓、芸妓が各歌舞練場に日本髪に黒紋付き姿で勢揃いして1年の精進を誓います。
売花奨励賞や、技芸が優秀な舞芸妓、成績優良のお茶屋を表彰します。
後に祇園甲部では「倭文(やまとぶみ)」、先斗町では「梅の栄」、また宮川町ではその年の勅題に合わせた舞などを舞い初めとして披露されます。
上七軒の始業式は9日。
一般の見学はできませんが歌舞練場の付近で舞妓さんや芸妓さんに遭遇できるかもしれません。
日程1月7日祇園甲部12時ごろ、先斗町と祇園東13時ごろ、宮川町14時ごろ
1月9日上七軒13時ごろ

過年の始業式の模様です。

https://youtu.be/VSUyp7RblTk

*舞妓さんや芸妓さんの写真を撮ろうと多くの方々が殺到されます。少しでもいいポジションで、いい写真を撮りたいと思われるのはみなさんご一緒かと思います。せっかくの始業式です。マナーを守って、撮影をして頂けたらと願っています。

○蓬莱船(1/1〜2/3)/上賀茂神社

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

○ 伏見五福めぐり(〜1/15)

○ 都七福神めぐり(〜1/31)

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

○ 第58回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開(〜3/18)

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