今日の京都6月11日(土) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。

今日は七十二候が移ります。
【腐草為螢】
(くされたるくさほたるとなる)
草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。昔は腐った草が蛍になると考えていました。 

今日は、下鴨神社で蛍火の茶会が開催されます。
詳しくは、今日の京都の項をお読みください。

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さて、今日は「傘の日」です。日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989年に制定しました。この日が雑節の一つ「入梅」になることが多いことからだそうです。 
6月10日現在、梅雨入りをしているのは沖縄、奄美、関東甲信地方です。梅雨入り予想としては、今日あたり、九州、中四国、近畿、東海地方も梅雨入りするのではといわれています。




ところで、現在、北大路ビブレの1Fセンタープラザでは、アンブレラスカイが開催されています。約300本のカラフルな傘が空中に飾られています。
7月10日までだそうです。
アクセス
地下鉄北大路駅
市バス北大路バスターミナル




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今日は古田織部忌です。
古田織部といって、どのようなことを思い出されるでしょうか?
⚫︎コミック「へうげもの」
⚫︎織部焼
⚫︎茶人
⚫︎利休七哲
⚫︎織部流
⚫︎古田織部美術館
など。
【古田織部とは】



出典Wikipedia
古田織部(ふるたおりべ)
(1544―1615)
安土(あづち)桃山、江戸初期の武将、茶人。重定の子、通称左介、名は重然(しげなり)。法号宗屋、道号を金甫といった。初め織田信長に仕え、信長横死後は豊臣(とよとみ)秀吉に従い、1585年(天正13)従(じゅ)五位下(げ)織部正(しょう)に叙任され、京都西岡を与えられる。87年九州征伐、90年小田原征伐に従い、92年(文禄1)の文禄(ぶんろく)の役には肥前(佐賀県)名護屋(なごや)に下っている。秀吉の最晩年には御咄衆(おはなししゅう)(御伽衆(おとぎしゅう))の1人に加えられた。98年(慶長3)の秀吉没後は徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦には徳川方に属して活躍した。千利休(せんのりきゅう)とは1582年ころより親交し、91年2月、利休が堺(さかい)に蟄居(ちっきょ)を命ぜられたとき、これを細川三斎(忠興(ただおき))と淀(よど)の舟本で見送ったことは有名。のちに利休七哲の1人に数えられるが、利休没後、秀吉の命で利休の茶を改めて武門の茶法を制定したとも伝え、慶長(けいちょう)(1596~1615)初年には茶の湯名人との評を得ている。1603年から8年間、小堀遠州に茶の湯を伝授(慶長伝授)、10年には江戸城で将軍秀忠(ひでただ)にも茶の湯指南にあたっている。その作意は、形のひずんだ、いわゆる沓型茶碗(くつがたちゃわん)や、多窓形式の茶室、景気を好んだ露地などに示され、大きな影響を与えた。15年(元和1)大坂夏の陣に大坂方に通じた廉(かど)で罪に問われ、6月、伏見木幡(ふしみこばた)の屋敷で自刃した。この大坂の陣にあたり、京屋敷にあった茶席を、早くから親交のあった藪内紹智(やぶのうちじょうち)(剣仲(けんちゅう))に与えたといい、現在京都市下京区西洞院(にしのとういん)藪内家にある、相伴(しょうばん)席を特徴とする燕庵(えんなん)が、その形式を伝えたものという。墓は京都市上京区の興聖(こうしょう)寺にある。
出典日本大百科全書(ニッポニカ)

【茶人としての織部】
茶会に参加したという最初の記録が天正十一年(1583年)で40歳頃のことだったからです(生まれは1543年)。若い頃から茶道に親しんでいたのなら、もっと早くからそれらしき記1582年ごろの千利休の書簡に古田織部の名前が書いてあったことから、
この間に利休に弟子入りしたのだと考えられています。
古田織部の実父である古田重定(勘阿弥)もまた茶道に造詣が深いこともあり、古田織部も茶人としての素質が磨かれていたかと思われます。

織部は、利休の死後、「天下の茶人」と呼ばれ、千利休の高弟7人を指す「利休七哲」のひとりとされました。
千利休の「人とは違うことをしろ」という教えを守り、静謐な利休の美とは
異なり、激しく動的で、 大胆でありつつ自由な美を確立していきました。

織部は茶を勉強しつつ、茶の湯のコーディネーターでもあったわけです。
この織部のデザインした茶碗を見た博多の豪商・神屋宗湛は『宗湛日記』に「セト茶碗ヒツミ候也。ヘウゲモノ也」と残しました。
へうげものとは、「ひょうきん者」「面白い形の品物」という意味です。
豪商・神屋宗湛の見た織部の茶碗は、変わった形をしていたことがわかります。

【織部焼とは】



織部美術館所蔵品
出典織部美術館ホームページ

織部焼(おりべやき)は、桃山時代の慶長10年(1605年)頃から元和年間(1615年-1624年)まで、主に美濃地方で生産された陶器。美濃焼の一種で、基本的に志野焼の後に造られた。

⚫︎色
釉薬の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。織部黒・黒織部は茶碗が殆どであり、それ以外は食器類が大半を占める。
⚫︎形・文様
整然とした端正な形を好み、抽象を重んじる他の茶器とは違い、歪んだ形の沓(くつかけ)茶碗や、市松模様や幾何学模様の絵付け、後代には扇子などの形をした食器や香炉など、具象的な物が多い。

出典Wikipedia

【織部燈籠とは】



織部型石灯籠(織部灯籠)
「キリシタン灯籠」は石灯籠の形としては「織部型石灯籠」に分類されます。
織部型石灯籠の特徴としては
⚫︎竿を直接土中に立てる埋け込み型
⚫︎露盤付きの宝珠
⚫︎波型の屋根を持つ四角形の笠
⚫︎四角形の火袋と中台
⚫︎断面が長方形で上部が十字形または膨らみを持った竿
古田織部が好んだことにより 「織部型石灯籠」、「織部灯籠」と呼ばれます。
織部灯籠には 竿石の左右にふくらみの無いものもあり ふくらみの部分に「FILI」などキリストを 表わす文字が組み合わされた記号が彫り込まれていたり その下に「マリア像」と言われるレリーフが 見えるものもあります。

○京都で見ることのできる織部燈籠
⚫︎桂離宮で七ヶ所
⚫︎南禅寺金地院庭園
⚫︎曼殊院
⚫︎北野天満宮
⚫︎大徳寺瑞峯院
⚫︎フランシスコの家
⚫︎仁和寺九所明神
など

【織部好みの茶室】
織部好みの代表的な茶室に、藪内流の「燕庵」があります。しかし、これは江戸時代中期に建てられたものです。
その茶室のなかの設えは千家流のものとは少し異なった雰囲気を持ち、例えば、床畳が高麗縁、床框が漆の真塗りで、小間の茶室にしては窓が多く、明るく開放的で、草案風で侘びた景色の中にも武家の格式のようなものを感じます。
そして、点前座と客座の天井も段差がなく、マコモ天井が連続して張られています。これは、客も亭主も本来対等であるという武士の精神のようなものを感じます。そして、この燕庵の外観の独創的で面白いところは、なんといっても躙り口の前にある茅葺き屋根の桁を受けている真ん中で曲りのある柱です。この柱の樹種はサルスベリ(リョーブ)だそうです。

こちらに燕庵など詳細が説明されています。映像もあります。



燕庵

http://www.yabunouchi-ennan.or.jp/teahouse

【古田織部美術館】
古田織部美術館(ふるたおりべびじゅつかん)は、京都市北区にある古田織部(古田重然)ゆかりの茶道具、古美術、歴史資料等を展示する美術館です。
現在開催中の展覧会は明日6月12日までの「発掘品から見る志野・織部焼ランキング」です。
次回の展覧会は、6月18日~12月11日
「織部百ヶ条」と織部の茶です。
開館時間 9:30~17:00(入館は16:40まで)
休館日
月曜日(祝翌日休館)
年末年始(12月29日~1月6日休館)
入館料=大人500円/大学生・高校生400円
小中学生300円/未就学児 無料
団体(15人以上)100円引
樂焼玉水美術館(堀川通寺之内上ル、入館料300円)
との共通券 700円
アクセス
地下鉄烏丸線北山駅下車 4番出口 徒歩3分



http://www.furutaoribe-museum.com/

【織部を描いた『へうげもの』】
戦国時代、織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将・古田織部を主人公として描いた歴史漫画作品。雑誌掲載時の欄外のあらすじでは毎回「これは『出世』と『物』、2つの【欲】の間で日々葛藤と悶絶を繰り返す戦国武将【古田織部】の物語である」と紹介されている。
この時代を舞台にした作品には合戦などの「武」を主題にしたものが多いが、本作は茶道や茶器、美術や建築など、戦国時代に花開いた「美」や「数奇」からスポットライトをあてて同時代を切り取った作品である。



『へうげもの』山田 芳裕 著
小学館刊(モーニングKC)
全25巻

私にとっての織部は、千利休の最後の茶杓「泪」です。これは、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた茶杓です。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられています。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえます。名古屋徳川美術館所蔵で、毎年、利休忌(2月28日)前後に公開されます。
この茶杓を作った千利休、これを手にした織部、その心の内に思いをします。



徳川美術館蔵
千利休作茶杓「泪」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/96849

私は、今から7年前に本能寺で開催された、古田織部没後四百年の「利休を超えた織部とは」展で観た、織部焼の緑色に魅せられました。まだ、これはという織部焼と出会えていなくて、その時の織部の器の写真を眺めています。




京都での織部の足跡を辿られてはいかがでしょうか?

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どうぞ、いい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和4年6月11日(土)】(No.2760)

※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

 大文字山です。
京都コンピューター学院の映像です。
 http://www.kcg.ac.jp/daimon/index_f.html 

鹿苑寺金閣
ページの下の方にライブ映像のところがあります。
 https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/

近畿地方の現在の雨の状況です。
 https://www.river.go.jp/kawabou/mb?zm=10&clat=34.86256320369171&clon=135.7296854579934&fld=0


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コロナウイルスのため、中止になっている行事が多くなっています。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 蛍火の茶会/下鴨神社



「蛍火の茶会」と「糺の森納涼市」が開催されます。
蛍火の茶会は、明治時代に御手洗川で催されていたという納涼茶席を再興し、糺の森財団が1991年から毎年催しています。午後から楼門前では「糺の森納涼市」が開催され、和菓子・日本酒・鯖寿司・お香・植木などの販売があります。
17:00から奉告祭が行われ、橋殿と細殿にて茶席が開始されます。
18:00からは神服殿で筝曲や十二単の舞などが行われるとともに、蛍数百匹が放たれます。

日程6月11日(土)
時間
茶会:17:00~21:00
蛍の開放:19:50ごろ(予定)
料金
2000円(糺の森財団会費として)
※2022年のお茶席は「糺の森財団」会員の事前予約のみになります。

境内は自由散策無料
アクセス
市バス「下鴨神社前」
ホームページ
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

○春の特別公開(〜6/19)/大徳寺塔頭 興臨院 

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院

○春の特別拝観(〜6/13)/瑠璃光院 


○ 特別公開(〜6/12)/大徳寺孤篷庵 

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)

○ あじさいウイーク(〜6/30)/柳谷観音

○ 初夏の庭園特別公開(〜7/10)/建仁寺両足院

○あじさい苑開園(〜7/10)/三室戸寺

○茅の輪くぐり(〜6/30)車折神社

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