今日の京都(9月17日(金) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。

9月は異名として菊月、菊開月とも言います。そろそろ、京都では秋明菊の花が咲き始めたようです。



菊と名前につきますが、秋明菊は、実はキク科の植物ではなく、キンポウゲ科イチリンソウ属です。菊のイメージが全くありません。古代に中国から伝来された帰化植物と言われており、名前の由来は、日本にはないタイプの菊、秋に咲くということで、、「黄泉の国の菊」の意味で「秋冥菊」。その後「冥」はイメージが暗いということで「明」に変わったそうです。

京都の貴船神社の周りにたくさん野生化したので、「貴船菊」の別名がつきました。近年は交配品種のためピンクだけでなく、様々な色のものがあります。
原種に近いものを貴船菊といい、多彩な品種群の総称を秋明菊と呼んで区別する場合もあるようです。
英名はJapanese anemone(ジャパニーズ・アネモネ)です。



○秋明菊の主な名所
* 善峯寺 
* 三室戸寺 
* 貴船神社
* 詩仙堂
* 天寧寺
* 妙顕寺
* 梅小路公園
* 上品蓮台寺など

「菊にして菊にあらずや貴船菊白き花びら日陰に灯り」
一首詠んでみました。

○菊を詠んだ和歌
「父母が 殿の後方(しりへ)の 百代草(ももよぐさ) 百代いでませ わが来たるまで」 (百代草=菊)万葉集 生玉部足国(いくたまべのたりくに)

「心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花」小倉百人一首 第29番 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

「秋風の 吹き上げに立てる 白菊は 花かあらぬか 浪のよするか」古今和歌集

「濡れて折る 袖の月影 ふけにけり 籬(まがき)の菊の 花のうへの露」金槐和歌集 源実朝

いろいろと菊について調べていたら、菊のご紋を思い出しました。

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【菊のご紋】

一概、に菊のご紋と言っても、全部が同じではありまん。
天皇家だけが使える菊のご紋があることをご存知でしょうか?




菊は 日本古来の植物ではありません。
勿論、原始的な野菊は日本にもありましたが、記録では仁徳天皇の13年(322年)頃に大陸より伝来したといいます。

キクという音は、和音ではなく中国音だそうです。中国の貴族たちに好まれた花で、中国では古くから観賞用の菊が栽培されていました。
菊は中国では君子に比べられ、輝く太陽にも見立てられました。

菊は延命長寿の薬ともされ、9月9日の重陽の節では、杯の酒に菊の花を浮かべた菊酒が飲まれました。
それに習い、日本の宮中でも菊を大切に扱い、薬用としても使用しました。

菊花紋章(きくかもんしょう、きっかもんしょう)は、キク科キク属のキク(菊)を図案化した菊紋のうち、特に花の部分を中心に図案化した家紋のことです。菊花紋(きくかもん、きっかもん)、菊の御紋ともいいます。単に菊紋(きくもん)と言う場合は葉、茎、花を組み合わせるか、いずれかを図案化したものです。



鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用されました。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着した(「十六弁菊は南朝の紋で、三十二弁菊(十六弁八重菊)は北朝(および現皇室)の紋である」との説明も見かけますが根拠不明です。

江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まりました。

天皇家の紋は花びらが十六弁、皇族のは十四弁です。和菓子屋さんが菊を意匠して菓子を作るときはこの数を遠慮して十五とかそれ以外の花びらにするのが通例になっています。 

つまり、菊の花びらの数で、天皇家の紋とそれ以外の紋との区別がつけられるのです。
皇室の菊花紋は(十六葉八重表菊)です。


出典Wikipedia



皇族の家紋は(十四葉一重裏菊)です。

出典Wikipedia
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京都御苑では、菊の御紋のついたお土産品がたくさん販売されています。

https://nakadachiuri.jp/shop/


また、皇居でも、菊の御紋のお菓子が販売されていて、中には東京駅の構内でも購入できます。



https://fng.or.jp/koukyo/place/rest/nanko-rest/shop-menu

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どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
お出かけの方、三密にお気をつけてください!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和3年9月17日(金)】(No.2493)

※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

 大文字山です。
京都コンピューター学院の映像です。
 http://www.kcg.ac.jp/daimon/index_f.html 

鹿苑寺金閣
ページの下の方にライブ映像のところがあります。
 https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/

近畿地方の現在の雨の状況です。
 https://www.river.go.jp/kawabou/mb?zm=10&clat=34.86256320369171&clon=135.7296854579934&fld=0


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コロナウイルスのため、中止になっている行事が多くなっています。

9月16日現在の京都の行事やイベントの状況です。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143


○ 花の天井 秋の特別拝観/平岡八幡宮

【平岡八幡宮】



平岡八幡宮は高尾山神護寺の守護神として、弘法大師(空海)が平安初期に自らを描いた「僧形八幡神像」を御神体として創建された山城国最古の八幡宮。室町時代の応永14(1407)年、火災により社殿が消失したが、時の前将軍・足利義満によって再建。江戸末期、文政9(1826)年に至り、時の仁孝天皇の命を受け社殿が修復され、文政10(1827)年に、画工・綾戸鐘次郎藤原之信により、神殿の天井に44枚の極彩色の花絵が描かれました。 

◯本殿花天井

本殿内陣では、極彩色の花絵44面の「花の天井」が描かれています。
描かれている花は、椿や山桜、紫陽花、水仙などよく知られた花もあれば、薯蕷葵(とろろあおい)、万年青(おもと)などあまり聞きなれない植物もあります。 この花天井は、画工・綾戸鐘次郎藤原之信が江戸末期に描いたとされていますが、実は足利義満が再建した室町時代に、すでに存在したともいわれています。それは、義満の御所(室町第)が「花の御所」と呼ばれ、また自らも大変花を愛したことから、義満が花の天井を作ることを指示していたのではないかと推測されています。そして、この天井画からは義満が天皇になることを切望していたという強い思いも伝わってきます。
その根拠として、44面の中で最も上座にあたる場所に牡丹(ぼたん)が描かれています。牡丹は中国で皇帝の花、つまり日本では天皇を表します。さらに、本殿の中には四羽の金の鳳凰が描かれており、鳳凰も天皇を表す鳥とされています。また、義満が建てた金閣寺の屋上にも、金の鳳凰が飾られています。平岡八幡宮を再建した半年後、義満は病死しますが、一方では暗殺されたという説もあります。義満が天皇の座を狙っていたとすれば、暗殺も十分考えられる話ではないかと考えられています。歴史の真実はわからなくなっていることも多いのですが、楽しいですね。

この花の天井は毎年春と秋に公開され、期間中は宮司さん自らが神社の由縁や花の天井にまつわるお話をわかりやすく説明してくださいます。

◯蛙股の彫刻


蛙股とは神社やお寺などの建築で輪郭が山形になった部分のことです。カエルが股を広げたような形になっている事からそう呼ばれています。

⚫弁財天


神殿の蛙股(かえるまた)に彫刻された
大変珍しい弁財天があります。
普通、弁財天は琵琶をもっていますが、
こちらの弁財天はお琴を持っています。

⚫瓢箪の透かしの入った彫刻

太閤秀吉が寄進したものらしく
瓢箪(ひょうたん)の透かしを入れた飾りつけもあります。瓢箪は秀吉の馬印に使われています。戦に勝つ度に瓢箪を増やしたので、のちに千成瓢箪と呼ばれます。

⚫ 鳴滝砥石 



拝殿には曼荼羅型の砥石が奉納されています。この付近で産出した砥石は、黄褐色をしています。赤鳴(珪質頁岩)と呼ばれ、コノドント(中世代三畳紀)という微化石を含んだ。適度の硬度、吸水性に優れ、研磨用仕上砥石として用いられました。砥山は、梅ヶ畑、鳴滝、高雄にかけてあり、「本山合砥石(ほんやまあわせといし)」の名声を高めた。また、梅ヶ畑に産するものは「鳴滝石」「鳴滝砥石」ともいわれ、質量ともに日本随一とされました。
 鎌倉時代、12世紀初め、梅ヶ畑の郷士・木間藤左衛門時成が、菖蒲谷付近で砥石を発見し採掘した。以後、800年間にわたり採掘されました。近代に、最盛期を迎え、その後、休山になっています。

◯椿の名所
今は椿の季節ではありませんが、平岡八幡宮は多くの椿が咲くことで有名です。約200種300本の椿が境内を彩ります。椿は花首がポロッと落ちることから、縁起が悪いと考えられていますが、これは江戸時代の武士道での解釈です。椿は邪悪を払うといわれ、平安時代には長寿・招福・吉兆の木とされていました。歴代の武将が愛用したほか、江戸時代には江戸鎮護の花木とされ、庶民の間で大ブームが起こるほど椿は大変人気があったのです。

⚫白玉椿
白玉椿伝説をご存知ですか?
「願い事をすると白い花の白玉椿が一夜で花開き、願いが成就した」
という平岡八幡宮に伝わる故事です。 
この白玉椿には、願い事をすると一夜で白い花が咲き、成就したという故事があります。

また、宮司さんのお祖父さんの俳名をとって、「一水(いっすい)椿」と銘が付けられています。おぜんざいに入っている白玉は、この白玉椿が語源だそうです。
さらに「平岡八幡ヤブ椿」という樹齢500年の椿もあり、通常のヤブ椿がラッパ状なのに対し、こちらのヤブ椿は三角に花を開きます。

椿の花は香りがしませんが、良い匂いのする香椿「春風(しゅんぷう)」や金魚の形の葉をした「金魚葉椿」など、大変貴重な椿も観ることができます。

椿が最も見頃になる春には、「椿を愛でる会」と題して一般に公開されます。
来年の春の椿の季節が楽しみです。

こちらの宮司さんは、 1975年~1984年(昭和50~59年) ばっくすばにい、尾崎亜美、郷ひろみ、鈴木茂、大村雅朗のマネージャーを務められたというご経歴です。そのせいか、お話も楽しいです。

日程9月17日(金)~12月5日(日)
時間
10:00~16:00(15:30受付終了)
10/3.10/10は拝観休止
料金
拝観料 800円
アクセス
市バス8「平岡八幡前」下車、徒歩約3分
JRバス「平岡八幡」

○秋期大祭(~9/16)/三宅八幡宮

○嵐山鵜飼(〜9/23)/嵐山渡月橋

○宇治川鵜飼(〜9/30)/宇治川

○ 鴨川納涼床(〜10/31)

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ チームラボ 東寺 光の祭- TOKIOインカラミ(〜9/19)/東寺
*現在、中止となっています。


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