おはようございます。

今日は、私が所属している文章サロン「ふみサロ」から、今月の課題を元に書いたエッセイを載せます。

今月の課題本はこちら。

この本からインスパイアされたことを文章に起こします。


人類の歴史を辿ること、それを受け継いでいくことが教育であると、私は思っています。
今日はそのことを書きました。

以下エッセイです。

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小学校教育は人類の歴史を凝縮している
              大森奈津子

 私が現役の小学校の教員だった時、小学校というところは、実に面白いところだなぁと常々思っていた。面白いというのは、小学校の6年間の中で、人類の進化の過程を見るようだからだ。
 入学時はまだ幼くて、字が書けない、読めない、言葉の意味がわからない状態だった子どもが、半年もすれば、読み書きができるようになっている。これは、人類の進化の過程の何千年、何万年分の過程をぎゅっと縮めてやっているのかと思うと、すごいことをやっているなぁとつくづく思う。(今はだいぶ入学時には読み書きできる子も多いが、私は焦ることはないと思っている。幼児期に大切にして欲しいのは人や自然との関わりだから。)
 例えば1年生の国語では、「赤い花」を理解させようとすると、赤という色と花という具体物を、言葉の音声と文字につなげるという作業になる。これが繋がって初めて認知できたということになる。簡単なようで、すごいことなのだが、それがあっという間に当たり前になり、毎日新しいことを学んでいく。全く同じ授業をする日は一日もない。日々進化していく。
 ただ無邪気な存在だった子どもが、一人の人間に成長するところ、それが学校というところだろうと、私は捉えていた。小学校6年間で、人類が獲得してきた少なくとも約2000年分の知識の中の生きる上で必要なことをピックアップして伝える場所、それが学校というところだと認識していた。学校というところは人類の進化の過程を凝縮して追いかけていってるという感覚だった。
 だからこそ小学校の教育は重要と声を大にしていいたい。
 ところが現在の日本において、教員のなり手が少ない。これは日本の大ピンチだと思う。要因は様々あり、ここでは書ききれないが、少なくとも長期的に見て、防衛費にお金をかけるなら、教育にかけた方が国策としていいのではないかと私は思う。