おはようございます。


今日はちょっとアイスブレイク😊✨


私のもう一つの顔、文章サロン「ふみサロ」のお話です。


ふみサロでは毎月課題図書が出され、それにインスパイアされたエッセイを発表することになっています。


今回の課題図書は、こちら。



いつも、「うわっ、こんな本でエッセイ書けと言われても、ムリー‼️」というようなお題が出る。

それでも、毎回四苦八苦して書いてしまう、この中毒性はなんだろう?と考えてみた。


わかった。


素の自分が出せるからだ。


なんの気負いもなく、正直な気持ちが書けるから楽しいんだ!


というのがわかった。


今月のエッセイはこちら↓


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『百花繚乱の花火に想う』

                                       大森奈津子


 令和4年7月某日。

「今年も見れなかったなぁ…。隅田川の花火。」娘がぽつり言う。

 我が家は、隅田川に近いので、花火会場には徒歩5分で行ける。見に行かないという選択は考えられない近さだ。当然娘は生まれた時から毎年見ているわけで、毎年見るのがあたり前だった。私も結婚してから、毎年欠かしたことがない。

 隅田川の花火の良さは、なんと言っても、街中で花火が上がることに良さがある。

 路地裏にゴザをひいたり、テーブルを出したり、屋上が宴会場になっているところもある。日常は車が行き交う国道6号線も、この日は地べたに座り込んだ人で埋めつくされる。

 この、地べたに座り込んだ人たちが、大勢で夜空を見上げ、極彩色の花火が上がるたびに、皆の感動のどよめきや拍手が起こる瞬間がたまらない!

 夜空に咲く、鮮やかで、煌びやかで、儚く散っていく花火に、感動を覚える。

 隅田川の花火は、ド派手なスターマインの連続から、毎年花火師の心意気が垣間見れる花火コンクール、そしてラストに向かってどんどん、どんどん大きくなって最後は空いっぱいに、乳白色の数千の花が広がって終わる。

毎年ラストは、これでもか、これでもか、と限界値を探すように高く大きく、白い花火が上がり、ラストは全てを出し切って終わる。

終わった瞬間に、やり切った感が伝わってくるようで胸いっぱいになり、また明日から頑張ろうと思うのだった。そして来年の花火へと希望をつなぐ…。

 それが街に集まった何十万人の人と共有できてるって思えるところが、花火の良さなのだ!


 隅田川で花火を打ち上げるようになったのは、江戸時代、疫病が流行り、疫病平癒のために始まったはず。それなのに、今はその疫病のために3年連続中止である。なんとも皮肉なものだ。

 かつて江戸の世の人々は花火が上がるごとに空を見上げて、疫病退散を願った。

 だったら来年こそは、堂々と疫病退散を願って、またあの百花繚乱の花火が見たいものだなぁと思う。