おはようございます☀

私気がつきました

精一杯生きるということは自分でもう精一杯です❗️って言っているようなものですね

だから、ゆる〜く生きることにしました

今日もゆる〜く生きます❣️



先日、私が参加しているリブリオ・エッセイふみサロがありました。

提出した文章をブログにアップするのを忘れてました。


今回の課題図書はこちら

ふみサロメンバーでもある、つるたえみこさんが出版された本です。

つるたさんとは実際にお会いしたことはありませんが、zoomでは何度もお会いし、個別にお話しさせていただいたこともあります。


柔らかで温かく、誰でも包み込んでしまう印象が、本の表紙の印象とぴったり同じです。
私は、かねてより、よく心理学で言われる、「100%自分の責任」の意味がわかりませんでした。

そのことが紐解けたと思ったことをエッセイにしました。

以下提出した文章です。

…………



「100%自分の責任」大森なつこ


アドラー心理学だったかどうかよく覚えていないが、私が悩んでいる時に何かの心理学系で聞いた言葉。『100%自分の責任。』

 また、こんな風にも言う。『雪が降っても自分の責任』と。

どうも納得がいかない。この言葉に違和感を覚える。

 最近心理学でよく言われる、自己責任。人間関係においては、なんとなくわかる。

 例えば、夫が浮気をするのは妻に責任があるからだと言われて、はいそうですと素直には言い難いが、一部ではそうかなとも考えられる。

 しかし、私のように難病になった原因もわからないのに、悩みの原因だから自分の責任?と言われても、どう考えても納得がいかない。 

 それに世の中、100%自分の責任と言われて、納得いかないことだらけじゃないか!

天災にしても、事故にしても、事件に巻き込まれるにしても、世の中理不尽なことだらけ!

…そう思っていた。

  ある日、神宮外苑前を平日の昼に散歩に行った。黄金色に輝く銀杏が美しかった。働いていたら、この風景は見られなかったなぁとふと思った時、急にこんな考えが浮かんだ。

 もしかしたら、この贅沢な時間を味わえているのは、病気のおかげ?病気は自分で選んだわけじゃないと思っていたけど、このまま教員だけで終わるのもどうか?と考えたことがないといえば嘘になる。

  原因に納得いく、納得いかないの話ではなく、自分が自分に起きた出来事をどう捉えるか、その点においてが100%自分の責任なのだ。他人が悪い、世の中が悪いなどと言っているうちは、原因を人に押し付けているだけ。

 世の中から理不尽に思うことは、決してなくなりはしない。大事なのは自分の受け止め方。

病気も自分の責任でなったと思えば、人を羨んだり、神様を恨むことをしなくていい。自分で何とかしようという気になる。

 なーんだ、そういうことか。

そう思ったら、外苑の銀杏並木の上に広がる爽やかな青空のように、私の心もスッキリした。







ただ今受け付け中です♪

今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました😊